北朝鮮は、いま

北朝鮮研究学会
北朝鮮は、いま (岩波新書 新赤版 1107)
岩波新書の北モノで、韓国のインターネット新聞連載もの。監訳は今や貴重な北シンパの一人である石坂浩一。役者が揃ってるので、強烈なヤツを期待したのだが、意外と普通であった。この北朝鮮研究学会(北韓研究学会)というのは韓国の研究者の集まりで総勢400人を擁しているそうだが、宮塚先生の娘も留学した北朝鮮学部は今や幾つも設置され、北韓大学院大学なんてのもあるらしい。韓国が北朝鮮研究の最前線であることは当たり前なのだが、長年に渡って、公然と北朝鮮の研究など出来ない時代が続いていたこともあり、日米の北朝鮮研究の蓄積にはまだ及ばない面もある様だ。一応今でも国家保安法が生きていることもあり、明からさまな主体思想賛美には盧武鉉政権下でも逮捕者が出たりはしているらしい。とはいえ、主思派の影響力は韓国の「市民運動」のかなりの範囲に及ぶらしいのだが、当の北では「主体思想」は形骸化して、「先軍思想」に吸収されんとしているらしい。要は統治手段に過ぎないので、そこに思想もクソもないのだが、幾ら自分が作らせたとはいえ主体思想が金日成の「思想」である以上、正日も自分の「思想」にそれが命取りにならない範囲でシフトする必要もあろう。ともかくも「先軍」であるからに、軍隊を最優先にするということなのだが、それに対して韓国は「平和国家」として一方的に軍事を削減すべきという意見が学会で出ているらしく、石坂の狙いもソレなんだけど、日本が一方的に軍事削減したら、北の先軍政治というものは終わるとでも言うんだろうか。
★★
大人のための「ローマの休日」講義

北野 圭介
大人のための「ローマの休日」講義―オードリーはなぜベスパに乗るのか (平凡社新書 (388))
映画の最高学府とも言われるニューヨーク大学大学院映画研究科博士課程中退の著者の平凡社新書第3弾なんだけど、やはり分かりにくいものだった。著者もその辺は気にしているとみえて、書物なんて気に入ったところだけ読めばよいなんて書いているのだが、全部読まなくては、何処に気に入った箇所があるのかなど分からないというもの。ということで修行のつもりで読了したけど、「オードリーはなぜべスパに乗るのか」もよく分からんかった。おそらくは映画の身体論にそのヒントが書かれていたのかとも思うのだが、難解な記述を排除したつもりが、ますます難解になってしまったという印象もある。オードリーの同時代人や時代背景の解説は、それなりに参考になったのだが、学生時代のトラウマか、どうも映画の学術的講釈には拒否反応が出てしまう。「ローマの休日」なんて500 円DVDの三文映画で十分ではないかと思うのだが、やはりオトナってヤツはそれではいけないらしい。
★★
エビと日本人Ⅱ

村井 吉敬
エビと日本人 2 (2) (岩波新書 新赤版 1108)
第一作から、もう20年も経つのか。鶴見良行が死んでからも、もう14年というから時代というものを感じさせられものだが、著者が批判してきた「世界一のエビ輸入国」日本が、アメリカにその座を譲ってからも10年経つという。当時の論調としては、日本人がエビを高値で買うから、生産地の人の口に入らなくなってしまったみたいなことだった様な気がするのだが、実際は当時から養殖が主流であって、その担い手も当時から日本人ではなく、台湾人であったことは、今回の本を読んでも確認できた。となると、鶴見のバナナも、告発している対象は日本や日本人というよりも、食糧の自給率やグローバル化、大企業の資本投下による自然破壊、そして農薬や抗生物質による食の安全性という、極めて今日的な問題であったということなのだろう。毒ギョーザの問題は、正に予言されていたと言っても過言ではないのだが、中国というアクターが、ここまで日本の食に関わってくるとは著者も予想だにしなかった様だ。レスター・ブラウンの予言が「今のところ」外れていることを著者も指摘しているのだが、この説は、中国政府ならずとも、否定的に捉えるのが主流だったと思う。しかし、予想を上回るスピードで飽食の時代が続いている状態では、その予言も近い将来、甦る可能性は否定できないだろう。アメリカが日本からエビの消費量のトップの座を奪い返したのも、飽食嗜好から健康志向へのシフトであり、エビ料理の豊富なバリエーションだという。そうした点において、日本よりアメリカが進んでいるというのも意外な気がするが、日本のエビ輸入分の多くは加工品のエビフライらしい。アメリカも肉食オバケみたいな生活はもう流行らないとは聞いているが、マックにエビバーガーはあるのかしら。いずれにしても、飽食から健康へは中国もいつかシフトするだろうし。どんな食材でもそうなんだろうけど、エビ料理のバリエーションは、中華は最強でしょう。
★★
イタリアは素晴らしい、ただし仕事さえしなければ

加藤 雅之
イタリアは素晴らしい、ただし仕事さえしなければ (平凡社新書 399)
時事通信のジュネーブ特派員だった人の記者ものなんだけど、ジュネーブなのに、なぜイタリアかというと、時事はイタリアに支局がないから、ジュネーブでカバーしているからという理由。つまり、イタリア駐在ではなかった訳だが、外からの方がイタリアがよく見えるとのこと。と言いながら、なんか古典的なイタリア特殊論みたいな陳腐なものになっていて、こんなタイトルを付けていることからも分かるが、「朝日新聞記者が書いたアホ、マヌケ、アメリカ人」を彷彿させる記者ものとしては、かなりの低レベルではないかと思った。別に記者が一般人目線でも悪くはないのだが、そこに批評性や皮肉の一つでも交えないと、その見識を疑われてしまうというものだ。しかし、バチカンの聖職者が慇懃無礼だったというのは、前に読んだ朝日のローマ特派員の岩波新書と全く逆であって興味深い。これは語学力の差や、バチカンに記者席がある朝日と、ローマ支局すらない時事との力の差というものもあるだろうが、「日本人女性」と「東洋人野郎」の差ということが大きいとみた。まあ聖職者とはいえ、所詮はイタ公中心だし。しかし、著者がもはや西欧社会ではキリスト教の影響力は、ほとんどないとしている点の判定は微妙なところだ。最後のイタリア歌謡界紹介は安直な頁数埋めにも思えるが、イ・プーがまだ現役だったとは驚き。
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