ナチュロパス びんせい -157ページ目

大州内科・今田院長が絶賛の代替療法


広島大州内科・院長の今田先生は、日本において波動療法・ホメオパシーを始め多くの代替療法を活用した草分けの医師です。
見て下さい、このバラエティー!
検 査
1:虹彩分析
2:血液細胞分析
3:キルリアン分析
治 療

1:キネシオテーピング療法(協会認定医)
2:構造医学的アプローチ
3:経絡通電療法
4:酵素等の新栄養療法 特殊水療法
5:耳介療法
6:アロマ、フラワーエッセンス
7:サウンドエナジー療法
8:カラーパンクチャー
9:SRS療法
10:クオンタムゼロイド
11:ホメオパシー
12:気導術

その今田先生が絶賛したのがアイオロジースクエナーセラピー
ロシアの宇宙開発のバイプロダクト、スクエナーは神経系を正常にする事で痛みをとり、身体の機能を正常にする最先端の自然療法です。

武道家の今田先生がスクエナ-を持つと、きりっとしてかっこいいのでありました。

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私の持つスクエナーは1世代前の物です。様々な奇跡を起してきたこのデバイスは未だに手放せません。

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今田先生が導入をきめたエナジーブランケット。ブランケットに包まれるとすぐにリラックス。自分のエネルギーを反射するとともに変化した波長が自然治癒効果を引き出します。スクエナーで変化させたデリケートな身体の働きを記憶させるのに役立つ他、やけどの患者さんなどは包まれているだけで痛みが取れると言います。蒲の穂のようなブランケットです。
アメリカで癌が治ると言ったために全て情報を廃棄され獄中死したウィルヘルム・ライヒの発明であるオーゴンエナジーはひそかにロシアのアカデミーグループによって持ち帰られ研究されました。そしてできたこのブランケットは今ではロシアの多くの医療機関で推奨され、利用されています。

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謝金も無いのにあまり回らなかった私の首が10分ほどの施術で回るようになりました。少しは賢くなったかと思いましたが相変わらず頭の回転は遅いままで、奇跡は起きませんでした。(やはりこつこつやるしかないか)

虫垂炎を考えるの巻


1.食道 2. 3.十二指腸 4.小腸5.盲腸 6.虫垂 7.大腸 8.直腸 9.肛門

海外で盲腸になったとき辞書で調べるとCecum と出ています。病名はappendictitis
appendix はおまけとか付属品みたいな意味で虫垂のことを言います。
最後にtitisがつけば何でも炎症
付属品に炎症が起こったよと言うのが虫垂炎の事です。
盲腸炎とは言いません。

若い頃ワーキングホリデービザでオーストラリアにいたときに虫垂炎になり手術をしました。
全身麻酔ですぐ手術。
麻酔が覚めてからは多少の痛みは我慢するものと寝ていましたが、朝起きて歩け歩けと言うので起き上がろうとすると激痛
するとナースがほーら痛いんでしょ と言ってすぐ麻酔を打ってくれました。
ナーンだ痛いのは我慢しなくていいのか と感じた次第です。

オーストラリアでは患者が我慢しないせいかペインコントロールが進んでいます。
しかし麻薬の使いすぎが問題視されています。
日本はペインコントロールはあまり考えられていません。
医師は切ったんだから当たり前と考えている方も多いようです。

そんなこんだで3~4日休んで仕事に戻る前日快気祝いで1ッパイやったら次の日に熱を出して再入院。全く若気の至りであります。
この頃はまだ自然療法も何も考えなかった頃です。

しかし思い出に残るのはちょっとすけた白衣のナースのボディーラインなのでありました。
(色っぽいと言うよりはかっこいい感じ。)
虫垂炎を切るならパースに限る と言った感じでした。ちなみに西オーストラリアでは救急の医療費はこの頃は全て無料でした。

腹膜炎を起してはまずいですが必ずしも切る必要が無く炎症を治す事も出来ます。
海外では抗生物質を使った方が手術より予後がよいという結果がでています。
しかし日本では抗生物質の使う量が少ないため海外の標準治療で出たような優れた結果は期待できないようです。
六号通り診療所所長のブログ より

ちなみに漢方では南極観測船などの医師をしていた伊藤先生が大黄牡丹皮湯を使って多くのケースで結果を出しています。(これは必見)

日本では東條先生が
ゴボウをすりおろし、その絞り汁をお猪口一杯くらい15分おきくらいに飲んでいく。そして痛みのある下腹部に芋パスターの湿布を貼って、絶食。
という方法をいっていますがこれで治った方もいるようです。

鍼灸では蘭尾と言うつぼがあります。足三里から2寸下がったところです。虫垂炎の時はココに圧痛があると言います。右の蘭尾に灸をしたり指圧をしたりします。

スクエナーでは単純に痛いところを施術します。もちろん蘭尾も効きます。痛みと機能回復ではスクエナーは大変優れています。

自分で試す方は病院の駐車場で灸をするなど、くれぐれも破裂させないように気をつけましょう。スクエナーはこんな時にとても役立ちます。移動時でも施術出来ます。だからロシア(ロストフ近郊)の救急隊が常備してるんですね。

ラピッド プルーフ フェンス 盗まれた時代の映画


オーストラリアの隔離政策のときに起きた実話をもとにして作った映画です。
日本名は「裸足の1500マイル」 第8話「英語版」
ココに出てくる子どもに送る歌を聴い下さい。

1931年、オーストラリアでは先住民アボリジニに白人文化を教育するために子どもを家族から隔離し、白人社会に適応させようとする隔離・同化政策により、14歳のモリーと妹で8歳のデイジー、モリーの従妹である10歳のグレイシーという3人の少女が、強制的にパースの北にあるムーア川の寄宿舎に収容された。気丈なモリーたち3人は施設から逃げ出し、母のもと
ジガロングへ帰ることを計画。脱走した3人は、2400キロの厳しい家路を歩き始めた。地図も無く荒野をさまよう3人に、ある白人女性からオーストラリアを縦断するうさぎよけ用のフェンス(ラピッドプルーフフェンス)を教えてもらう。それをたどれば故郷に続いていること頼りに歩き始める。アボリジニ保護局の局長ネヴィルとアボリジニ追跡人のムードゥは執拗に追い掛け彼らがフェンス沿いに歩く事を予想し待ち伏せる。やがてグレイシーはお母さんの故郷に向かう列車に乗ることを勧められるが、だまされ彼らに捕まってしまう。幼い妹と2人きりになりフェンスの無い荒野を逃げ続けるモリーとデイジーだったが、妹はやがて歩けなくなり姉も力尽きる。
その頃自分の子ども達が
ジガロングに向かっている事を風の便りで聞き村の女達は祈りの歌を歌い使いのとんびを子ども達に送る。
力尽きて倒れている子供たちの上空をとんびが回っている。そのとんびを見た瞬間モーリーはお母さんからの使いだとすぐわかりスピリチュアルな力で遠くの故郷に続く見えないフェンスや山を見つけ、再び2人は故郷にたどり着くというお話。

ココに付けてあるのは第8話。力尽きた子ども達にとんびを送ったくだり。
お母さん達が歌う子どもたちの歌を聴くと思わず涙がちょちょぎれる私でした。
この隔離政策は1969まで続けられ彼らの土地は切り売りされ彼らの文化は継承できなくなり、全て失った民族になってしまいました。


ABCに拠ればこの舞台になったジガロングですが今水が不足しており、ある水は硝酸が多く特に子どもたちの飲料に適していません。近くの鉱山にはきれいな水があるのになぜこの村には水が無いのか問題になっています。今も昔も初めに被害を受けるのは子どもたちというのは切ないです。