Roots of TWO-J #9 "ライオンの親"
うまく行きそうな所で結果ひどく深いところに戻ったというか、またやったというか。
その仕事は残念ながら、辞めてしまった。
その後自分はそんな状態から、少しは回復というか、その後キッパリと 例の "ダメ絶対" なものに手を出すことは無かった。正確に言えば、回復するには長い年月を要するけど。 手を出さなくなった理由としては、金銭的なものもあったし、身体の症状だったり自分から来る精神的な恐怖や不安に捕らわれて戦うほど心身を削るのはもうタイト過ぎて限界だった。母親に見つかって、見た事ないほど怒り狂われた事も大きな原因だった。
もう一つの理由としては、その雇い主の先輩の言葉もある。
その先輩には沢山教わった。俺が悪い部分は徹底的に"教育"された。
今思えば、俺は正されて良かったのだ。
その仕事を辞めると申し出た時、先輩は何も止めることも無かった。
お前が辞めたいなら辞めればいいと言われた。
今思えば、拾って貰って稼がせて貰ったのに、自分の身勝手な行動が恥ずかしいばかりだった。
ただ一つ、
”辞めて何やるんだ?”
と聞かれた。
何もないくせに俺が無理くりに精一杯答えた言葉は、
"音楽とか服屋とか自分でやります。"
だった。
先輩の答えは、
" おう、じゃあ、お前それ本気でやるなら、
ちゃんと形にして成功するまで、俺の前に顔出すな。"
だった。
その時の自分の感情といえば、
怒り、悲しみ、寂しさ、対立心、悔しさ、情けなさ、とか
いろんなものが交差しまくって、だいぶ滅茶苦茶な感情だった。
俺は、ぐっと歯を食いしばって、
渾身の "解りました、ありがとうございました"
という言葉だけを残してその場を後にした。
帰りの車で俺は 泣きわめき散らかした。
"チキショウ! ゼッテー! ヤッテヤルワッ! バッキャローッ!!!!!!!!" て。
今思えば、先輩の捨て台詞が効いたんだ。
その時の先輩の真意は今なら分かる。
家に着く頃には、もう全く違う気合いの入った俺が生まれてた。
まるでドラマみたいな話だが、
ドラマはこっから始まる。
Roots of TWO-J #8 "ジェットコースター"
その仕事はといえば、細かな内容はここでは控えさしてもらうとして、
(勿論別冊の本編には書く。)
"セールス" の仕事とだけ言っておくとする。
トータル的に見たら "簡単"な 仕事だった。
簡単と言い切ってしまったら 誤弊があるかもだけど。
そりゃ、今まで好き勝手に遊んで来た俺にとって、始めてするジャンルの仕事だし、最初のうちは全然分からない事が多い。
けど、これがやってみるとすぐに慣れて 意外と簡単で楽だったのだからしょうがない。
一応、就業時間は11:00から20:00となっていた。
けど、今思えば実働時間は平均してたったの2〜3時間だったと思う。
極端な表現をすれば、
対人に "本来要らないものを買わせる"
(時に、ちょうど考えてたて言われるパターンもあるが。)
"買わせる"といったらなんか聞こえは悪いが、、
基本的に9割型以上断られる仕事だ。w
けど、買う気がなかったものを買ってしまうのだから、そこはセールススキルなのだ。
当時の俺なら、ただの水を、これはすごく良い水でなんて あーだこーだ言って納得してもらった上で高値で売る位のスキルはあっただろう。www
(詐欺じゃないよ、押し売りでもないし。)
あくまでも例えね。
先輩にはスゲー良い仕事を与えてもらったし、稼がせてもらった。
が、
やはり、当時の俺に金を余らせたらロクな事にはならないわけで。
今思えばしばらくの間、バカみたいな高額を、
ダメ、絶対!
なものに注ぎ込んでしまう事になる。。。
戻れないどころか、
最大に深い場所で気づかずに生きてたのかもしれない。
当然、いろいろと疎かになったりするわけで、
仕事も1年半ほどで辞める事になる。
結果、何も稼げてないのだ。。
良くも悪くも、この後から、奇跡的にやっとTWO-Jが生まれるタイミングが始まり出す事にはなるのだが。
Roots of TWO-J #7 "突然変異"
やはりあの頃の記憶は特に曖昧で、
今思えばそんな状態がもしかしたら18歳くらいから続いてた気もする。
途中 "バグりすぎて" 覚えてない。
このプラットフォームで全てを書くのは、やっぱコンプライアンスとやら的にふさわしく無い気がする。どこまでがそれで、 他ならありなのかっていうラインもよく分からないが。
書きたくて仕方ないけど、それはやっぱ別冊でだ。
ここでのシリーズが一旦完結する頃には別冊をちゃんと用意できてる状態にしておこうと思う、そちらを読んでもらえたら、とてもとてもありがたい。
(その別冊には嫌がられようがどっぷりと濃い目の話を、と思うので、楽しみにしてくれてる方が居たとすれば、どうかそれまでご辛抱とご勘弁を。)
このドープな3〜4年の半ば辺りからの一部覚えてる話に "飛ばさせて" もらう。
いろんな仕事を転々としたと言ったけど、まあ、まともに続くわけもなく、
唯一楽しかったのは洋服屋の店員の仕事だった。
ローライダーの販売や製作、修理などを専門的に行ってた先輩のショップに併設して、
LAでウエアを直接買い付けて販売してた先輩のショップがあって、そこでバイトさせてもらってたことがあった。
好きなものに囲まれてたし、バイトといえどもちゃんと収入も入るわけで。
"水を得た魚"という言葉があるが、その時の俺は正にそれに近かった。
インターネットなど今程まともに普及してないような時代で、当時のショップ広告はローライダーマガジン(日本版)に掲載していた。
ニューアイテムを広告に載せた新刊が出るや否や、俺は一日中通販のオーダーの電話対応と出荷の仕事に大忙しだった。儲かったと思うよ、先輩は。金いっぱい持ってたもん。
確かこの頃だったと思う、DJ MOTO氏率いるW.C.C.に最初に出会ったのは。
ただ、まだこの頃は初期も初期で深い交流とまではいかないが。
この辺の記憶もズレ込むからタチが悪い。
そんな洋服店の先輩オーナーのそのまた先輩たちも、良く服を買いに遊びに来てくれてた。
みんな質の良いインパラ(※a)に乗っててワンランク上だった。
(※a)
後で聞けばその人たちも地元では有名ないわゆる"不良"だったりするわけだが。
だからってそこは俺だ。"この人達面白い" という興味の方が先行するのだ。
その後、なぜだか俺は特別可愛がってもらって、いろんなとこに遊びに連れてってもらったり、飯食わせて貰ったりして、いつしか当たり前に居る先輩たちになってた。
ある日、その中でも、一番パンチの効いた と言っては失礼に当たるが、なんというか、そう、その、インパクトのある先輩!(笑)
が、俺に、
"お前、騙されたと思って、ヒゲ剃って俺んとこ仕事に来い、月50万稼がせてやるわ"
と唐突に言って来た。
ヒゲ剃って?、騙されたと思って? えっ、どういう事? 何の仕事?
って、一応は思ったよ。
けどそれより先に、月50万っていう言葉に考えるより先に気持ちが反応しまくっていた。
大抵の人はここでいろいろ勘ぐるだろう。
もちろん俺だって大体の説明は受けた。
そりゃあ、その日のうちに返事などする訳も無い。
そこ!? と思うだろうが、
まず第一に、その当時これがカッコイイと思い込んでる俺に、ヒゲを剃り落とすなんてことが、できるはずも無いのだ。
けど、その約2ヶ月後には、
ヒゲを剃り落して、ポリシーのように守った坊主頭を伸ばして、
月に60万円ほど稼ぐ俺が誕生してたのである。
嘘みたいなホントの話を身をもって体感した。
確か23歳とか、1998年頃の話だ。
ただ、これを読んでくれてる皆さんにはもう予想は付いたかも知れないが、
"若い馬鹿に急に金を持たせたらロクなことにならないのだ。"