Roots of TWO-J #7 "突然変異"
やはりあの頃の記憶は特に曖昧で、
今思えばそんな状態がもしかしたら18歳くらいから続いてた気もする。
途中 "バグりすぎて" 覚えてない。
このプラットフォームで全てを書くのは、やっぱコンプライアンスとやら的にふさわしく無い気がする。どこまでがそれで、 他ならありなのかっていうラインもよく分からないが。
書きたくて仕方ないけど、それはやっぱ別冊でだ。
ここでのシリーズが一旦完結する頃には別冊をちゃんと用意できてる状態にしておこうと思う、そちらを読んでもらえたら、とてもとてもありがたい。
(その別冊には嫌がられようがどっぷりと濃い目の話を、と思うので、楽しみにしてくれてる方が居たとすれば、どうかそれまでご辛抱とご勘弁を。)
このドープな3〜4年の半ば辺りからの一部覚えてる話に "飛ばさせて" もらう。
いろんな仕事を転々としたと言ったけど、まあ、まともに続くわけもなく、
唯一楽しかったのは洋服屋の店員の仕事だった。
ローライダーの販売や製作、修理などを専門的に行ってた先輩のショップに併設して、
LAでウエアを直接買い付けて販売してた先輩のショップがあって、そこでバイトさせてもらってたことがあった。
好きなものに囲まれてたし、バイトといえどもちゃんと収入も入るわけで。
"水を得た魚"という言葉があるが、その時の俺は正にそれに近かった。
インターネットなど今程まともに普及してないような時代で、当時のショップ広告はローライダーマガジン(日本版)に掲載していた。
ニューアイテムを広告に載せた新刊が出るや否や、俺は一日中通販のオーダーの電話対応と出荷の仕事に大忙しだった。儲かったと思うよ、先輩は。金いっぱい持ってたもん。
確かこの頃だったと思う、DJ MOTO氏率いるW.C.C.に最初に出会ったのは。
ただ、まだこの頃は初期も初期で深い交流とまではいかないが。
この辺の記憶もズレ込むからタチが悪い。
そんな洋服店の先輩オーナーのそのまた先輩たちも、良く服を買いに遊びに来てくれてた。
みんな質の良いインパラ(※a)に乗っててワンランク上だった。
(※a)
後で聞けばその人たちも地元では有名ないわゆる"不良"だったりするわけだが。
だからってそこは俺だ。"この人達面白い" という興味の方が先行するのだ。
その後、なぜだか俺は特別可愛がってもらって、いろんなとこに遊びに連れてってもらったり、飯食わせて貰ったりして、いつしか当たり前に居る先輩たちになってた。
ある日、その中でも、一番パンチの効いた と言っては失礼に当たるが、なんというか、そう、その、インパクトのある先輩!(笑)
が、俺に、
"お前、騙されたと思って、ヒゲ剃って俺んとこ仕事に来い、月50万稼がせてやるわ"
と唐突に言って来た。
ヒゲ剃って?、騙されたと思って? えっ、どういう事? 何の仕事?
って、一応は思ったよ。
けどそれより先に、月50万っていう言葉に考えるより先に気持ちが反応しまくっていた。
大抵の人はここでいろいろ勘ぐるだろう。
もちろん俺だって大体の説明は受けた。
そりゃあ、その日のうちに返事などする訳も無い。
そこ!? と思うだろうが、
まず第一に、その当時これがカッコイイと思い込んでる俺に、ヒゲを剃り落とすなんてことが、できるはずも無いのだ。
けど、その約2ヶ月後には、
ヒゲを剃り落して、ポリシーのように守った坊主頭を伸ばして、
月に60万円ほど稼ぐ俺が誕生してたのである。
嘘みたいなホントの話を身をもって体感した。
確か23歳とか、1998年頃の話だ。
ただ、これを読んでくれてる皆さんにはもう予想は付いたかも知れないが、
"若い馬鹿に急に金を持たせたらロクなことにならないのだ。"