Roots of TWO-J #3 "木こり"
やっぱり西海岸のHIPHOPが好きだった。
映画の中で聴くHIPHOPとLAの景色は少年TWO-Jにとってはパラダイスの様に見えていた。
1995年当時、俺は小さなクラブ? いや、クラブと呼べるかどうかという様な規模のDJバー的な店によく通ってた。
そこでは決して多くは無いが、平日でも同世代の若者がよく遊んでいた。そこでいつもDJしてる1つ上の、(ここでは名前をTとしよう)
TというDJが居た。TはDJが上手くてスクラッチは勿論、2枚使い等、いろんなギミックを備えてたし、何より曲に詳しくて、レコードも沢山持ってた。
Tの見た目といえば、ティンバーランドのブーツを履いてでかいサファリハットを被っていかにも当時のニューヨークヒップホップ的ファッションをしていた。(人の事を言える立場では無いが、敢えて言わせてもらうと、顔はお世辞にもイケメンではなかった。笑 )
俺と友達の間でTの事は"木こり"と呼んでたくらいだ。
少々脱線したけど、
俺もこの店でDJをやらせてもらってたのだが、それに至る前にTに相談した時のエピソードがある。
当然やりたいと思う事にすぐ食らいつく俺としては、"ここでDJしたい"と思うに決まってて。Tに相談した。その時Tに言われた事を今でも覚えてる。
"西海岸のHIPHOPなんて誰も聞かんよ"
全身全霊で西海岸好きな俺に対してこの言葉はなかなか挑発的だった 笑
確かに当時HIPHOPのDJの主流はやはりNewYorkをベースとした東海岸のものが多かったかもしれない。ましてや俺の住んでる様な田舎にはそもそもDJすら少ないのに、LAスタイルのDJなど当然居なかった。
けど俺がやりたいのはLAスタイルの選曲だしファッションやローライダーや好きなのは全てLAなんだ。Tに舐められて黙ってるタイプでは無い。そこからかなりその店に通って客が居ようが居まいが自分が好きなウエストコーストのHIPHOPをかけまくった。
そんな時にその店でのイベントでDJコンテスト的なものが開催される事になった。
コンテストって。。
オールジャンルなうえにコンテストって何?みたいな。
どんなイベントだったかというと、出場するDJは、HIPHOPは勿論だが、RnBやROCK系、当時流行ってたメロコアのDJまでとジャンルは多様。で、どう競うの?と思ったけど、最終的に一番良かったと思うDJを客が投票してその票数で優勝が決まるっていうルール。確か賞金もあった。
ひねくれ者の俺は、"そんなもん連れを多く呼んだやつの勝ちやん” と真っ先に思ってしまったが。
まあ、他ジャンルのDJもいる中で、知らない多くの客の前で、自分のDJが通用するかどうか試してみたいっていう気持ちにはなってた。
それで木こりに、いや、Tに参加する意志を伝えた。
そしてこのコンテストに出た結果、ある種の洗礼を食らう事になるのだが。
Roots of TWO-J #2 "Boys n the Hood"
17歳の頃、通ってた工業高校を中退した。
当時地元の4つか5つ上の先輩たちバンドのライブによく通ってた。
ある日のライブで先輩のアメ車を初めて見た。
1976年式のシボレーカプリスだ。
アメ車のことなんて何も解らない少年でも、カッコイイって事くらいは一瞬で解る。
先輩が "乗っていいぞ "って言ってくれて、喜んで運転席に座った。
初めて乗ったアメ車のインテリアに何とも言えない高揚感を覚えた。
渋いな〜なんて思いながらハンドル周りやメーター周りを見渡してる時に事件は起こった。何と自分の乗った車が飛び跳ねたのだ。何が起きたか最初全く解らなかった。
だって止まってる車が飛び跳ねる訳ないじゃん。普通。
その後だね、先輩からこれがローライダーだって教わったのは。
そしてその文化はカリフォルニア特有のもので、そこにGANGやHIPHOPの様に文化的背景、それにメキシカンやブラックといった様な人種的背景など、車だけじゃなくいろんなものが付随してることも学ぶ事になる。先輩は実際にLAに行ってこのカプリスを買い付けてきたのだ。そこでLAの話を聞けば聴くほど興味が深まった。
最初は映画を観た。
Colers, Boys N the Hood, menace II society, Blood in Blood Outとかアメリカンミーとか他にも沢山。めっちゃ繰り返し観た。
Boys n the Hoodに関しては口頭で映画の内容を全部説明出来るし、なんなら劇中のあらゆる重要なメッセージ性を細かく説明出来るほど何度も観た。笑
そこからLAという土地の危険な部分や格好良さや自分が今まで知るはずもなかったアメリカの文化的部分、自分にとっては全てがメチャカッコよかった。故にドップリと魅了される事になったのが全ての始まりだ。その結果2年後にはこの記事の最初に登場する、
"リンカーンを乗り回す19歳の俺 "が登場する事になる。
ここからが長いわけで。
Roots of TWO-J #1 "Back In The Day "
いきなりだけど、26年 時間を戻してみてください。
26年て半端だけど。
そしたら皆さん何歳?
1995年、当時19歳の生意気盛りの俺は、1978年式のアメ車、フォード リンカーン マークVを乗り回し、好きな遊びに没頭していた。
当時好きだった黒人系ブランドを身につけて、
(これが今になって90'sヴィンテージなどと呼ばれ高値で取引されるとは思ってもなかったが。)
同じ地元の少し年上の仲間たちと良くつるんでた。
完全にカリフォルニアのストリートスタイル、中でもHIPHOPやローライダーカルチャーにどっぷりと虜になった時代。
"LAに住みてぇーっ”なんて漠然と思ってた。
(正確にいうと今でも思ってるが。)
ほぼ毎日、先輩の家がいわゆる溜まり場で、
夜になると5,6人の仲間たちがそこに日課のように集まり,
海外のミュージックビデオを見たりしてた。
ちなみに映像はVHSのビデオテープにMTVの番組だったり、
いろんな海外のアーティストの曲が録画され、更にダビングされて販売されてた様ないわゆる"海賊盤"だ。今のようにYouTubeで何でも観れる様な時代じゃ無い。
その溜まり場の主人はDJをやってたから、よくターンテーブルで遊んだりしてた。いつも俺がターンテーブルを占領してて、自然と溜まり場のBGM担当だった。
ウエストコーストのHIPHOP、ギャングスタラップ、特に当時はG-FUNKと呼ばれるスタイルがグイグイ来てた時代。
好きでかけてた曲はロサンゼルスのロングビーチ出身の3人組、 "FOESUM"の曲が多かった。後にこのFOESUMと出会い、一緒に曲を作り、LAでも日本でも最高なドラマを作るなんてことも、当時の俺が想像できる訳も無い。このエピソードは順を追って話すとして。
けど、そもそもこの"カリフォルニアスタイル"にハマるきっかけは何だったのか?ここに至るには更に少し前に時を戻すことになる。