Roots of TWO-J #21 " FOESUM "
今更になるけど、やっぱりカリフォルニアの気候っていう部分にも他には無い魅力があって、乾いた空気の中に吹くちょうどいい風が気持ち良いし、いたるところに無数にあるパームツリーとマッチして、頭上には、ずっと広く見渡せるブルースカイ。背の高い建物が少ないだけに、空の広さが一段と広く感じる。
そんな気持ちよさ全開の中で、俺は郷農さんと菊池さん、にお供して、今回の郷農さんの仕事でもあるパーツのオーダーや、車の買い付けのため、色んなローライダーショップへ訪問した。
行く先々で、
"彼は日本のラッパーで曲も作ってて"
なんて俺を紹介してくれた。
そういえば、ここで一つ思い出したけど、LAに到着した時の話で、
俺は荷物の中に20枚程自分の曲のCDを持っていた。
空港を出るときの荷物のスキャンで止められて、
"このCDはなんだ?なんでこんなに持ってるんだ?"
って話でしばらく足止めをくらった。
ギリギリの英語で、自分のCDで、俺はアーティストだなんて頑張って説明するわけだが、
局員は "は?なんだそれ?" みたいに半分笑いながら、
開けていいか?と聞くので、嫌だったけど、OKすると、
おもむろにキャラメル包装を剥がし、
そこにあったCDプレーヤーで俺のCDを鳴らし始めた。
"え?ここでかけるの?"
と思った時には俺の曲はその場でもう鳴り始めた。
俺は引き止められても対応がままならなかったために長引いて、すでに同便の乗客はみんな外に出ていて、手の空いた職員たちまで、俺の所に集まり始めてしまった。
みんな、その初めて聞く奇妙な言葉のラップを聴いていた。
所々英語なのに途中の日本語に面白そうに反応していた。
"これお前のラップ?みたいな感じで、おそらく初めて聴いただろう日本語のラップにウケてた。
"このCDくれる?"みたいな感じで、俺はその職員に1枚CDを渡して解放された。
珍しくて弄られたようなものだった。
どこに連れてってもらっても驚きばかりのこの旅で、
もう一つ菊池さんからのサプライズが飛び込んでくる。
(菊) " FOESUMがスタジオ入るっていうからから会いに行く?"
!?!?!?!?! エッ?FOESUM !?1? (フォーサム)
"マジすか!行きたいです!"
FOESUMだぞ、 (このブログの最初の#1を読み返して欲しい)
あのFOESUMに会う?
あの溜まり場で夢中でレコードかけて聴いてたあの、FOESUMたちに俺が会える!?(#1)
マジで!?
当然MAXテンションだった。
向かったのはリンウッド。
よくある小規模な店が何店か並ぶ場所のリカーストアの脇から、2階へ続く階段を昇る。
昇った先には、黒い鉄製の柵扉が2枚。
"本当にこの先がスタジオなのか??"
というような一見怪しい場所。
その頑丈な扉を開けて出迎えてくれたのは、
紛れもなくあの頃から憧れたアーティスト FOESUMのMNMSTAだった。
それを見た瞬間、思わず、
"うぉっ"
て声が出たよ。W
MNMはゴツい手で握手してくれて中へ迎え入れてくれた。
中に入ると、外からは全く想像できないくらいの、ちゃんとした立派なレコーディングスタジオだった。
1番最初に目に入ったのはCOOLIOのGANGSTAS PRADAISEの巨大なプラチナディスクの記念プレートだった。そのエントランスには他にも確かゴールドディスク等のプレートが飾られていた。
こういうプレートは制作に携わった人に送られる記念プレートで、このスタジオの関係の誰かが制作に関わったのだとしたら、俺はすごいところに足を踏み入れたとになる。
そして奥のコントロールルームを開けると、そこにはあのT-DUBBとDJ GLAZEが待っていた。
"うぉーーー。" とまた思わず声が出た。
驚きと喜びと興奮が混ざり合って信じられないような感覚。
何度も言ってしまうが、とにかくあのFOESUMに、G-FUNK界のオリジネーターに、
あの時の少年が対面したのだ。
純粋に、"音楽やってて良かった〜" と思った。
俺は超カタコトの英語で必死に色んな話を伝えた。
ずっと聴いてたことや、あの曲のここがいいとか、あれが好きだとか、どれがかっこいいとか。ラップしてる事とか、ビート作ってる事とか、数年分の想いを一気に伝えた。
全ては菊池さんがしっかりと伝えてくれたのだが。
ラップしてみろって言われて、アカペラでラップした。
日本語まじりのラップを彼らはやっぱり面白がって聴いてた。
GLAZEに "FOESUMの曲ならどれが好きだ?"って聞かれて、
(ここからは少々マニアックな話になるが、FOESUMの曲を是非チェックしていただければと思う。)
俺は迷わず "Late Night" と答えた。
Glazeは ”お、そうなん?お前やるやん " みたいな感じだった。w
多分他のヒットナンバーを言ってくると思ってたんだと思う。
T-DUBBとMNMも "おー、そうきたか。渋いじゃん" 的なリアクションだった。
このくらいは英語のわからない俺でもニュアンスでわかるものだ。w
想いが直結でコネクトした瞬間だ。
すごく大袈裟かもしれないけど、音楽に壁は無いという表現をリアルに実感できた。
その後DJ GLAZEは俺にビートを沢山聞かせた。
"かっこいいーーっ!!!"
あのG-FUNKレジェンドが目の前で未発表のビートを聞かせてくるのだから、ヤバイなんてもんじゃ無い。
そして、聞かせてくれただけじゃなく、彼は俺にDJ GLAZE流のG-FUNKの曲の構築方法を目の前で簡易的に作りながら教えてくれたのだ。
(数年後の2007年に発表する自分の曲の中で、"俺のG-funk sound、My homie FOESUM譲り." というフレーズがレコーディングされてるが、まさにこの時の
場面を言ってる。) 本場譲りだ、ここまでしてくれるなんて思わなかったし、奇跡的だ。
クソ真剣に教えてもらった。勿論その場で習得出来るようなイージーなものでは無いが。この時の収穫は後の自分のサウンドスタイルをかなりの部分で形成している。
ビートを聴きまくった中で、"これっ!!" ていう好みのスタイルがあった。
それに反応した俺に、GLAZEは
"じゃあこれに今から曲作って録ろう"
と。
当然かなり驚くべき話だけど、こっちに来てから驚きまくってる俺は、驚きの感覚はとっくに麻痺してて、すぐに "今から書くよっ!!" 反応した。
FOESUMと郷農さんと菊池さんと俺で、曲のアイデア考えて、その場でリリックを書き始めた。
そしてレコーディングが始まる、憧れのラップスターのレコーディングを目の前で見る。
というか一緒にレコーディングしている。
この時の感想を色んな言葉で並べても表現が伝えきれないので、自分の言葉で単純に言う。
"マジでどやべかった"
続く。
Roots of TWO-J #20 "スクリーンの中"
みんなが使ってる中部国際空港 セントレアはこの頃まだ無かった。
名古屋空港から成田へ一旦向かいそこからロサンゼルス国際空港へ、LAXだ。
自分の場合、どこへ行くにも飛行機移動はわくわくするものだが、今回ばかりはワクワクの度合いが違っていた。
とは言いつつも、
10時間程のフライトの3分の2位は眠っていた。
着陸の少し前のアナウンスで目を覚まして、窓から外を見た時は岩というか土というか、山脈的な景色だった様な気がする。それだけでも日本には無いビジュアルだった。
しばらく飛行して見えてきたのは、あの映画の中に登場するロサンゼルスの街並みの光景だった。なんというか空から見たそれは、平たくだだっ広いマス目の様な景色が延々と続く街並みというか。緑とコンクリートのコントラスト的な景色。まさに自分の頭の中にずっとこびり付いて取れなかったあのLAの景色だった。
なんというか、単純な表現だが、まさに自分は映画の中の世界に今現実で降り立とうとしていた。そんな感覚だった。
遂に来た。LAに。
到着後、自分たちを迎えにきてくれた人物がいた。
写真家でLA在住のTakashi Kikuchi氏、菊池さんだった。
菊池さんはLAで主にローライダー関連の撮影等の仕事をしていた。
ローライダーマガジン(日本版)の連載コラムも書いてて、現地の話などを掲載してて、俺はガキの頃から読んでいた。
その菊池さんだ。LAに着いただけでも驚きと感動なのに、迎えにきてくれた人が、自分が読んでたローマガのコラムの人って。最初でこれなんだから、この後俺はどんだけ驚く事が待ってるんだろうみたいな。本当に逆に"ポカン"としたよ。
"開いた口が塞がらない"みたいな感覚の連続だった。
ポカンとしてる間にフリーウェイを走ってた。
目に入ってくるもの全て、本当に何を見ても100パーセント全てがフレッシュな光景だった。フリーウェイからみるLAの街並み、パームツリーに平家の住宅、当然だが全て英語の看板や標識。遠く奥にはダウンタウンのビル街が、LA特有のスモッグの中にぼんやり見える。
憧れてたロサンゼルスに降り立って、これで感動しないやつなどいないだろう。
とにかく、ここから俺はあの時から憧れた"ロサンゼルス"という街で
信じられない位の体験をさせてもらうことになる。
驚くのはまだ早かった。
ここから俺にとってのミラクルが連続することになる。
Roots of TWO-J #19 "ハンバーグ"
2003年、名古屋に単身移り住んだ。
正確には名古屋の南の境目、道一本跨いだ東海市。
エリアコードでいうところの自分が住んでたここも"052"エリアだ。
ここでの自分は、毎日ビートを作っていた。
借りてもらったワンルームマンションの一室は、
音楽生活一色な配置になった。
この頃には自分で、プリプロといって本レコーディング前に、ある程度の曲の構成を
簡易レコーディングして音源化する作業までをそこで行ってた。
(今は機材の進化で宅録で本仕様まで作ってリリースできてしまうような時代だろうが。)
そのプリプロをとにかく何曲も作って、
郷農さんに聞かせに持っていく。
郷農さんは、ミッドランドオートカスタムというローライダーのカスタムショップを経営していた。過去には自身もミュージシャンだったし、音楽にはとても精通していた。
ショップの従業員さんたちも、ローライダーやウエストコーストスタイルにどっぷりと魅了された人達ばかりで特殊な世界だった。
みんなファミリーのように迎えてくれて、楽しく過ごせたし自分には素晴らしい環境を与えてもらった。毎日みんなカスタムの仕事で大忙しの中、自分は音楽ばかりやっててすいませんみたいな恐縮な感覚も少しあったけど、俺のそんな想いとは逆にみんな応援してくれたし、期待してくれてた。そんな気持ちに応えるべく、俺はこれが自分の仕事だと自信持って言えるように、ひたすら曲を作って過ごした。
そんなある日、いつものように事務所に顔を出した俺に唐突に郷農さんがこう言った。
(郷) "パーツの買い付けでLA行くけど、行く?”
!?!?
ウォーーーーーーー!!!
"行きます!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!"
(郷) "OK、行こう。"
一瞬だった。なんの迷いもなかった。
例えようがない喜びというか、
例えるなら、、
腹空かしたハンバーグが大好物な子供が、
"今日ハンバーグあるけど、食べる?"
と唐突に予想もしてなかった事を言われ、
"食べるっ!!!!!!!!" ってなって、その後
” ヤッター、ハンバーグ🎶 ハンバーグ🎶 "
なんて妙なテンションで歌って踊りだすみたいなあの子供特有な光景の
更に10倍くらいの嬉しさだった。
心踊るとはまさにこの事だ。
その場で踊りはしなかったが。笑
こうして、俺は郷農氏とLAに行くことになる。
あの夢にまで見た ロサンゼルスに遂に行くのだ。

