Roots of TWO-J #19 "ハンバーグ"
2003年、名古屋に単身移り住んだ。
正確には名古屋の南の境目、道一本跨いだ東海市。
エリアコードでいうところの自分が住んでたここも"052"エリアだ。
ここでの自分は、毎日ビートを作っていた。
借りてもらったワンルームマンションの一室は、
音楽生活一色な配置になった。
この頃には自分で、プリプロといって本レコーディング前に、ある程度の曲の構成を
簡易レコーディングして音源化する作業までをそこで行ってた。
(今は機材の進化で宅録で本仕様まで作ってリリースできてしまうような時代だろうが。)
そのプリプロをとにかく何曲も作って、
郷農さんに聞かせに持っていく。
郷農さんは、ミッドランドオートカスタムというローライダーのカスタムショップを経営していた。過去には自身もミュージシャンだったし、音楽にはとても精通していた。
ショップの従業員さんたちも、ローライダーやウエストコーストスタイルにどっぷりと魅了された人達ばかりで特殊な世界だった。
みんなファミリーのように迎えてくれて、楽しく過ごせたし自分には素晴らしい環境を与えてもらった。毎日みんなカスタムの仕事で大忙しの中、自分は音楽ばかりやっててすいませんみたいな恐縮な感覚も少しあったけど、俺のそんな想いとは逆にみんな応援してくれたし、期待してくれてた。そんな気持ちに応えるべく、俺はこれが自分の仕事だと自信持って言えるように、ひたすら曲を作って過ごした。
そんなある日、いつものように事務所に顔を出した俺に唐突に郷農さんがこう言った。
(郷) "パーツの買い付けでLA行くけど、行く?”
!?!?
ウォーーーーーーー!!!
"行きます!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!"
(郷) "OK、行こう。"
一瞬だった。なんの迷いもなかった。
例えようがない喜びというか、
例えるなら、、
腹空かしたハンバーグが大好物な子供が、
"今日ハンバーグあるけど、食べる?"
と唐突に予想もしてなかった事を言われ、
"食べるっ!!!!!!!!" ってなって、その後
” ヤッター、ハンバーグ🎶 ハンバーグ🎶 "
なんて妙なテンションで歌って踊りだすみたいなあの子供特有な光景の
更に10倍くらいの嬉しさだった。
心踊るとはまさにこの事だ。
その場で踊りはしなかったが。笑
こうして、俺は郷農氏とLAに行くことになる。
あの夢にまで見た ロサンゼルスに遂に行くのだ。