天皇機関説 『三星堆・中国古代文明の謎』 | Hiroshiのブログ

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今後不定期投稿となります

夏休み最終日笑い泣き (年金生活者が夏休みもないのだが、それは言わないでてへぺろ)




<避けられたかもしれない戦争>

昨夜サルソンに行く途中で「終戦の日」という事で、献花台が天神の公園に設置されていた。



上は地元の宇美公園の慰霊碑。地元、宇美町では439人が亡くなった。


先の大戦では日本人300万人が亡くなったと聞く。その中にはビルマ(現ミャンマー)で消息を絶った母方の叔父さんもいる。勿論、遺骨は帰っていない。あの「飢餓街道」と聞くインドシナ半島の何処かに今も眠っているのだろう。


それだけではない。日本が侵略したアジアでは2,000万人の犠牲者が出たとも聞く。この『負の遺産』は80年後の今も、戦後生まれの我々が背負っていかなくてはならない。


無かった事や、美化してはならない。勿論、全ての責任が日本側にあったとは考えてはいない。しかし日本は、


【外に出て戦った】


中国も半島の国も、ビルマも日本に来て戦ったわけではない‼️   そこが <明確なポイント> だ。まして、


『自衛の為の戦い』などと、

【詭弁】を弄してはならない‼️


その意味でも『終戦の日』の天皇の言葉と、高市首相の言葉に落差を感じるのは私だけではない筈。


16日の産経新聞に天皇の言葉が載せられているが、そこには、


『過去を鑑み、深い反省の上に立って』の一文がある。


一方で高市氏に反省の言葉は無い。まさに過去を振り返り、反省が重要。


また、多くの人を死に追いやった戦争責任者の中には、戦後も <おめおめと生き延びた人物がいる‼️ムキームキームキームキー>  この事も忘れてはならないが… これはまた別の話。



…それは兎も角、


では今、何が出来るか?

 

その参考となるのが、あの名著『避けられたかもしれない戦争』だと感じている。


『人はなぜ憎しみ合うのか』の著者が最後に述べた様に、


【人は分裂する、分裂しようとも、持ち堪えないといけない』


この言葉を、私は、


『人は殺しあう、殺しあおうとも、持ち堪えなければならない』と言う言葉に置き換えた。



争いは必ず起こる、また憎しみは消えない、しかし【戦争は避ける事が出来る】。


最後に一言、雑なアイデアを。


日本も元々は様々な集団の集まり、それは現代DNA学が明らかにした様に、遺伝的にも、文化的にもバラバラだった。それが弥生、古墳時代と言う激動の時代を越えて、日本人としてまとまったのは、その過程で激しい闘争があったにしても、『日本人』と言う


【共同幻想】


を持ち得たからだと考える。その一つが私は『天皇』だと考える。


この新たな【天皇機関説】がヒントになる筈。


又、文字数制限に掛かったので此処までにしよう。




<クラウド使用料金値上げ>

50Gのスペースを借りているが、それが9月から月額150円から180円に値上げとか。


多分円安が原因だろう。アップルのクラウドだからドル計算。


まだ、15.6G使用と余裕なので、一般的な人にとって、こんな安い料金で安全が保障されるのは素晴らしい事。


私の場合は、主に写真と動画が467個もあり、特に動画が20%とメモリーを食っている。大体、サルサの振り付け動画てへぺろ 


普通の人はこんなに使わないだろう。後のワードとかのパックアップファイルは11%で大した事ない。


これで3台のスマホやPCのどれが壊れても大切なファイルは保存され、他の末端にリアルタイムで回収される。一度使うと離れられない。これぞアップルの囲い込み戦略ガーン 


以前、この事を旅先で出会った若い中国人に拙い中国語と下の図を書いて説明したてへぺろ 意外とあのデジタル社会中国でも知られていない事に驚いた。




『三星堆・中国古代文明の謎』

副題、史実としての『山海経』

徐朝龙著、大修館書店、1998年初版。


元々、『山海経』を入手するつもりだったが、図書館から借りて頁を開いて見ると、余りにも文字が小さくて読み辛い。老人には無理っぽい。


それで、早々に諦めて、必要に応じて調べる方針に転換。代わりに借りた本。やや古い本だが、これ以外には『山海経』関連の本が地元の図書館にはなかった。


著者紹介記事を読むと、四川大学の考古学出身だが、京大の考古学を専攻し、京大で学位を取られたみたいで、その後は日本在住の様、翻訳ではない。


『山海経』は31,000字で18巻から成るらしい。長年歴史とは関係ないものとして中国でも扱われたので、司馬遷などの歴史家から批判、整理を免れたとする。v


その意味では、逆に今となっては修正、改竄も少なかろうし好都合かもしれない。兎に角、史書は後世の書き換えが酷いから。


この本によれば、荊楚出身の人間が東周時代、春秋時代前期頃に蜀の地域に入り、その地方で言い伝えられていた数百年前に滅んだ三星堆文明にまつわる奇妙異怪な神話伝説を記録し纏めたと考えられるとか。p5


これが脚光を浴びたのは、1986年に三星堆遺跡が発掘された事による。p7


三星堆は成都の北に位置し、四川盆地で新石器時代晩期、紀元前3,000年頃に定住農耕文化が確立した頃とされる。その頃には稲、豆類が栽培されていたとする。p13