今日も朝早くから頑張りました‼️ 何しろ今夜はスペシャルイベントの日
早め早めの行動計画![]()
サルサだけでなく、タンゴやフラメンコ、アラビアンダンス、歌と盛りだくさん。
パフォーマーは先生とクラスメイト(ただし上級)。皆知り合いばかりだから気楽![]()
<補習>
誰でも簡単、ネィティブ中国語。2h.
ま、これで(=数字)辻褄を合わせる
これを行動経済学では『アンカリング』と言うとか![]()
<週2ペース>
またまた行きました。今度は高菜鍋とNO2の位置を争う「豚と海老」のランチ。ミニフォー付き。 寒い日はやはりフォーがあった方がいい。1,100円也。年金生活者に優しい![]()
前回と少し見た目が違う様に感じたので、前回の記録と比較してみる。こんな時、blogは便利。
どうやらお皿の違いだけ? 温まりましたし、満腹コース
何しろご飯とフォーがある、当然だ。やはり日本人はご飯がないとね![]()
<安全確認>
町内回覧板で団地のある丘から井野川沿いに降りる道に途中、停止サインがある事の周知を徹底させる為の「お知らせ」が来た。 事故でもあったのかな?
確かにこの道は急な上に、上の回覧板の写真の様にきつく曲がる、その方向の右折の視界は開けていて、また登ってくる車も多いので、それに注意をとられるが、(下の写真の<字カーブ) ※夜の徘徊時に撮りました![]()
最初の写真の←方向へ(=道なり)の道もある。ここからは主に住宅の駐車場から出てくる車が偶にある。
しかもこちらは回覧板の地図中の矢印に沿って高い石垣で前方左側の視界が遮られるので、出会い頭の事故はあり得る。現場の写真。左側に石垣がある。
次回この道を通る事が有ればちゃんと一時停止しよう。ま、此処は何時もの「夜の徘徊コース」だが、車で通る事は殆どないけどね![]()
因みにこの場所はかつて谷部。炭鉱の跡に大規模団地が造成され、昔の地形は完全にわからなくなっている。
地形的には密かに土砂崩れなどの災害発生可能地帯と思っている。 古地図で初めて分かる事。本当は周知義務があるべきだが… 下の古地図の下の方の赤印の場所。
『ベトナムの基礎知識』15
9章は隣国との関係。先にベトナムは「小中華」としたが、インドシナ半島では他に大国としてタイ、その間の緩衝地帯?としてラオス、カンボジアがある。<と言うのが、私のこれまでの理解だが、果たしてこの本ではどの様に描かれているか?
冒頭、著者はラオス、カンボジアはベトナムにとり「戦場の友」と書かれていた。p245
ベトナムは「南進」により領土を拡大して18世紀にメコンデルタに進出、19世紀に現在の支配を確立したとある。p246
先ず、この事に驚いた。こんな最近の話だとは⁉️
此処でも当時のシャム(=タイ)に対抗したとある。此処らはこれまでの理解でok。
小中華としてのベトナムはインド化したラオス、カンボジアを単一支配の枠組みに当時、編入したとも。p250
これら編入された国では越僑社会が形成され、1936年時点でラオスでは人口の2.6%、カンボジアては6.2%日本上った。p251
彼らは仏領インドシナでは官吏など知識人層、商人とも言った有力な地位を占め、謂わば【アッパークラス】を形成したようだ。p252
これがその後、ポルポト政権で虐殺が行われた時、格好の標的となったのだろう。p257
こうした事情が『連携に困難な状況』をつくり出したと言う。p251
エッ? 冒頭の「戦場の友」とギャップがあるのですが?
どうやら読み進めると、あくまで対仏と言う意味での友でそれが、結局三国別々の国になった理由の様。だから今でもこの三国の間には軋轢があると言う事か?
最近のVTVとかの報道では、現在ベトナムとカンボジアは今友好的な関係だと感じていたが、もしかするとそれは「危うい均衡」なのかもしれない。
或いは、もしかするとカンボジアは今、歴史的ライバルであるタイの敵だから?
敵の敵は味方?







