<補習>
誰でも簡単、ネィティブ中国語、3h.
三時台からスタートしました。一応、補習完了と言う事で
来週からまたガンハ‼️
<首都直下型地震>
被害予測が発表されたとか。
基本、各自での対応が重要。緊急事には政府には頼らない、【自助の構え】こそ重要。
まず、この機会に備蓄を確認する。とりあえず最低3日は大丈夫👌 常温保存のソーダ水4L、豆乳4L、200kcal程度のカロリーがある砂糖漬け果物5缶。カロリーは豆乳もかなりある。全てサイクル消費している。わざわざ防災グッズとしての食料ではない。
19日、午後5時現在。
スマホ、PCの電源はプリウスから取る予定。その為に特注で普通コンセントを付けた。今は車は標準装備かな?
問題はトイレの水。これは工夫可能
いざとなったら裏庭コンポも![]()
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いずれにしろ、各自が自宅の耐震性だけでなく、【土地の強靭性】も確認する必要があるが、この点は余り知られていないみたいだ。例えば切土か盛り土かで同じ震度でも実際の揺れは全然違う。
調べるのは簡単、スマホで出来る。国土地理院のデーターベースを参考に‼️ 一例は此処。他にもツールは山ほどある。
これで自宅の土地の脆弱性を知った人も知っている。同じ隣り組の方ですが![]()
自宅はセキスイハイムのプレハブ工法、耐震性は高い。寧ろ室内での【家具倒壊】が怖い。
統計によると、本棚等による下敷き>火災での死者が多いとか聞いた事がある。 これもok。そもそも本は非所有派![]()
『ベトナムの基礎知識』8
72年は世界的変化が起こった年だと捉えている。日本も米国に押されて田中角栄氏が訪中した。この一連の流れはベトナムにも及んだようだ。
72年に南ベトナムで春季大攻勢をかけ南ベトナム政府軍に大打撃を与えた。米国はそれに対応しベトナム港を機雷封鎖したが、一方でデカントの流れが止まるリスクもあった。
しかし中ソはおざなりの批判しかしなかった。中ソにしても、ベトナムのせいで緊張緩和を台無しにしたくなかったのだろう。もしかすると裏で「手打ちが」行われたのかもしれない。
これに対してベトナム労働党は中ソのこの態度を、
『溺れる強盗に浮き輪を投げる』と非難したとか。p151
これなども、日本がニクソン・キッシンジャーにやられた様な一種の【裏切り行為】。こうした事を弱小の国は経験してきたが、それを知らない政治家が多いのには驚きだ。
そして73年のパリ協定調印で和平に流れは変わってくる。 この頃、ニクソンは国内でも苦境に立っていた。ベトナム反戦デモの広がりとあのウォーターゲート事件である。そして74年に彼は辞任する。
翌年75年、あの印象的な『サイゴン陥落』があった。私もテレビでサイゴンに入るベトコン兵士の姿を見た。
ベトナム戦争で米国の死者は58,000人。一方で、民間人を含むベトナム人の犠牲者は300万人❗️とされる。p155
これは先に述べた米軍の戦術により【農村が破壊】された事による。実に米国は酷いことをしたもの。
高市さんも国際情勢に疎い様だから心配だ。彼女はその点でも、首相の器ではない。
そんな、こんな事を考えていたら、以下の様なニュースが流れてきた。
…それはともかく、
一方でカンボジアで新たな事態が起こっていた。即ち、ポルポト政権の誕生とその恐怖政治、あの虐殺事件である。そしてそれはベトナムの軍事侵攻を引き起こす。
これは著者によればベトナムのインドシナ半島での勢力拡大を快く思わない中国が裏でカンボジアを支援したとする。p156
此処で注意すべきは有名なポルポトによる自国民虐殺の中に【多くのベトナム人】がいたと言うことだ。p156
これはカンボジアに住むベトナム系の住民が高等教育を受けた人達が多かった、と言う事と関係あるだろう。 だからベトナムのカンボジア侵攻は今日のの【ロシアのウクライナ侵攻】と似たところがある。こうした事も余り知られていない。
また此処らは現代のタイ・カンボジア紛争とも似ている感じがしないではない。此処らの国境も不確定なものだったのだろう。
また後から出てくるが、ベトナム人はラオス人やカンボジア人に対する【優越意識】があった様に感じる。
いずれにせよ、ベトナムはカンボジアに侵攻し、それが79年の中越戦争につながる。この際、中国は「懲罰」との表現をとった。p156
此処らは当時、大学院生だった私にも記憶に残っていて困惑したものだ。何故なら、超大国、米国をベトナム戦争で破った解放戦線に密かに【尊敬の念】を感じていたから。
此処まで読んで来たような舞台裏は全然知らない若者だった。 今や、その当時の様々な疑問がかなり解けた感じがする![]()





