今日も今日とて、5万9千越えの文字数オーバー![]()
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<数値目標>
誰でも簡単、ネィティブ中国語。4h.
運動、サボリ![]()
<world newsより>
BBC: オーストリア、シドニーで対ユダヤテロ。 ネタニエフ、何とオーストリアのアルバニー首相批判‼️
ZDF: シドニーテロで多数殺害さる。/ ウクライナ和平会談。/ イスラム原理主義者テロ計画。
アルジャジーラ: ハマス、幹部暗殺でイスラエル批判し委任統治拒否。イスラエル、テロでの捕虜の遺体一人残している事を理由に挙げる。
ABC: アフリカからロシアへ傭兵のレポート。
クシュナーがウクライナ和平に関与することは米国とイスラエルの関係を象徴する。
世界の流動化で戦後和平体制の揺らぎ。
以下、省略
<高市外交の貧困>
以下の前駐中国大使・垂秀夫氏の意見に大いに賛同する。氏曰く、
『高市答弁の内容は正しいです。でも、それをああいう場でしてはいけません。あのような発言がなされたのは、高市首相のなかに戦略的思考がないから』
正に‼️ 彼女の答弁を最初に聞いた時の私の反応そのもの‼️ 日本の【曖昧戦略】の意味を全く理解していないと‼️
『揃って馬鹿』 と批判した。
それだけではない。更に‼️ 何時も私が此処で言う1972年の、『ニクソン・キッシンジャーの裏切り」を明言する❗️ 曰く、
『米中の接近戦になると戦略のない日本は真っ先に切り捨てられます。たとえば1972年、当時のアメリカ大統領リチャード・ニクソンは中国とソ連の対立を背景に中国に電撃訪問しました。「東アジアにおけるもっとも重要な同盟国」であるはずの日本には、一言の挨拶もありませんでした』
https://news.yahoo.co.jp/articles/5e04f22b48b802417e53dc89095babb3fd3f6f85?page=2
びっくりするほど一緒だ❗️![]()
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私は外交は完全な素人、何も知らない。 しかし全体的な【理解】は結構良い線いってる? <これを【自卖自夸】と言う![]()
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これまでの『日米中の近代関係史』に関する私の基本理解は以下にまとめているが、その理解の上から来たのが、先の結論だ。
外交に限らず、先の経済政策もボロボロ、
特に昨日指摘した様に「お米券」に関しては利益誘導そのもの。
高市氏には当初、多少期待したが、流石安倍氏の弟子、【利益誘導は上手】だが、後は全て落第。首相の器ではない![]()
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<AI vs 現場主義>
AI研究者の話を聞く機会があったが、彼曰く、
『AIがやっている仕事は二次情報処理。だから現場に関わる仕事は人の仕事として無くならない』 とか。 大変勇気付けられる。
…逆に言えば二次情報処理の仕事をする人は職を失う。 例えば翻訳や史書の解釈研究。
私自身、常に現役時代『現場主義』に徹した。 教科書からは決して得られない情報が其処にはある。 そこから新たな知識が、時にブレイクスルーが得られる…
今は職業としての研究生活からは引退したが、別に人生が終わったわけではない。今後も引き続き現場第一主義で何事にも当たろう。
<スノーボードで男女優秀>
二人共、英語で答えていた事が良かった。そう!世界で勝負しないといけない‼️
『ベトナムの基礎知識』3
次の章は都市。ハノイとサイゴン(ホーチミン)の他に最近になって、ホイアン。あのベトナム料理店の名前で知った都市の名前だけしか知らないレベル。 なのでメモしていたらきりがないので特に印象に残ったもののみ記録する。
ハノイは2010年に王宮跡のタイロン遺跡がユネスコの世界遺産に指定されたとか。この地が7世紀に遡る北部ベトナムの中心地だった事が証明されたとか。p048
更にフランス統治時代のコロニアルな南プロバンス的洋館も残っている。p051
プロバンスも好き
行った事はツルーズに一度しかなく、あとは本やTVとかで観るだけだが
後でだんだん分かってきたが、今のベトナムは古代、北部ベトナムと中央部のチャンパ、それに南部のメコンデルタのクメール系と三つに分かれていたよう。漢字で書けば、大越、占城、扶南だ。
それが統一されるのはかなり後。17世紀以後の様。知らない事ばかりで、驚いた![]()
* 赤帯がラオスと隔てる山脈。細い赤丸で囲んだ場所にホイアン港=都市がある。また17度線(かっての南北ベトナム停戦線)の位置に北部と中部を分ける地形がある。細い青○が17度線で此処で亜熱帯モンスーンと熱帯モンスーンの気候も分かれるらしい。
それにしても、こうして【自分で】図化する事で、理解が深まった気になるもんだ
でもそれって案外正しいのでは?
文字化、図式化は認識を高める一番な手段。
…それはともかく、
ハイフォンはトンキン湾にあり、北部の代表的港。「トンキン湾事件」が頭によぎるが、実はこの地は中国との戦い (南漢・10世紀、宋・10世紀、元・13世紀)でも戦場となった。p052
図中、細い赤丸で囲んだ場所がホイアン。あのベトナム料理店の名前だが、これも港町で中部に位置し、国際交易港として、日本関連だと朱印船貿易時代には日本街も存在した。p063
1999年には此処もユネスコの世界遺産となって、現在観光地として成功している。p064
中部と南部の間の内陸部が現在、世界的なコーヒーの産地でブラジルに次ぎ生産2位。p065
南部、ホーチミン(旧サイゴン)はベトナムの支配下に入って未だ300年位だとか。と言う事は18世紀くらい? p067





