『地形と歴史から探る福岡』1 | Hiroshiのブログ

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今後不定期投稿となります

今夜はサルソン口笛 今夜はF先生から伝授されたリードに重点を置いてやってみよう。爆笑ウインク



<リフィル処方箋>

昨日、moritaさんから頂いたコメントで、リフィル処方箋と言うのがあるらしい。これの事だろうか? 赤で囲ったもの。



もしそうだとしても、その旨知らせて承諾を取るべきだし、しかも、わざわざこちらが病院まで出掛け処方箋を受け取る必要があるならば意味ない。折角病院に出向いても診察なしなら、尚更だ。




<MAGA>

製造業をアメリカに戻す? ま、いいけど 中国で下の様な動画が流行っている?爆笑爆笑






『地形と歴史から探る福岡』1

石村智著、MdN新書012、2020年初版。


郷土コーナーで見つけた本。いつも探す図書館の本棚ではない。こうして時には新たな出合いがある照れラブ


「はじめに」で、最近対馬で日本の歴史書に登場しない「秘密の港=矢櫃港」が見つかった事が紹介される。朝鮮半島との密貿易?に使われた可能性が指摘されているとか。p5


これは聞いたことがある。以前読んだ、『水中考古学』で出てきた。



福岡中央区の大部分は鎌倉時代にはラグーンになっていて、更にその外側にある博多湾も巨大ラグーンを形成する、二重構造を持っていたとか。p32


31頁に江戸時代に書かれた中世の福岡の絵図とされるあるが、この図では現在の住吉神社は海のそばに位置する。


これは以前読んだ本でも、古代は自然堤防だったと書かれていた。



但し、この絵図は江戸時代に描かれた事と、これまでの発掘調査から、平清盛建設説は今では否定されたとか。12世紀当時は既に陸地化していたらしい。


金印が発見された志賀島は海の神、綿津見神を祭る志賀島神社があり、安曇氏の根拠地。p39


ここも、万葉に歌われたと言う事で訪れた事がある。


糸島半島は倭人伝の時代は文字通り島だったとか。p42


奴国迄はほぼ位置が特定されているが、その先の不弥国は、飯塚(穂波)説と地元の宇美説がある。著者は考古学的遺物(中国製の銅鏡、銅矛、沖縄産貝製腕輪)から飯塚説支持の様。p43


また著者は「邪馬台国機内説」を支持するが、此処で九州説を支持する、安本氏の面白い仮説が紹介されていた。


安本氏は心理学が専門だが、彼の視点はユニークだ。つまり、甘木、朝倉地方には畿内の地名に酷似した地方がありその相対的位置まで似る。御笠山(三笠山)、香山(香久山)、三輪、雲梯等。


そこから安本は、邪馬台国勢力が畿内に移動した時、地名をそのまま機内に当てはめたとするもの。p46  


この著者は考古学的史料から「やまと政権」が纏向遺跡にあったとする仮説を支持する。p47


弥生時代から古墳時代にかけて、『九州から畿内にパワーバランスが移動が起こった』点は未解決だが、安本氏の「東遷説」や吉備や出雲等の勢力が関与してヤマト政権が打ち立てられたのかもしれないと。


それにしても、邪馬台国畿内説は今では定説だと思っていたが、まだまだだと再認識した。