九州国立博物館 & 『水中考古学』5 | Hiroshiのブログ

Hiroshiのブログ

今後不定期投稿となります

<数値目標>

https://www.youtube.com/watch?v=gKUoka-HWPA&list=PLrWxcegPNiyj-M05glrorpUrXekNDKejm&index=13

HSK4#11~#13 背了四十二分钟单词。

 

https://www.youtube.com/watch?v=I7oxc9KpZbM&list=PLPJh8_1ABGf_lMTdsDTRjh-COU_Iw3-Ad&index=29

中国まる見え情報局。25,29,十九分钟频道。

 

https://www.youtube.com/watch?v=DxqiVtzdXhg

誰でも簡単!ネイティブ中国語専門チャンネル,1h15min~1h53min ,做一个小时听写。

https://www.youtube.com/watch?v=SKbJtpP8rek

誰でも簡単!ネイティブ中国語専門チャンネル,做三十九分钟作文。

 

https://www.youtube.com/watch?v=Y3bAOA5_as4

李姉妹ch、看了十二分钟分钟李频道。“Notion”

 

https://www.youtube.com/watch?v=93VZUEQE5xk

【完全版1~1200】HSK5,1h31min~1h41min,x2, 背了半小时单词。一共三个小时二十二分钟。

 

今日もアンカリングが効いて何とか目標達成爆笑てへぺろ

 

运动;爬山散步  3.4km, 3801步, 11楼。(计划)

 

 

 

 

<今朝のWorld Newsより>

シンガポールCAN:インドネシア大統領選では国防長優位。 パキスタン選挙混乱とシャリフ首相連立政権への動き。 インドでは農家のスト。 インド、カタールと司法取引をめぐり裏取引? 

中国CCTV:いつものことながら景気のいい話しだけ、他国の中国関連ニュースの比較するとちょっと滑稽ニヤリ

中国香港TVB:新NATO加盟国フィンランドの大統領選で中道右派勝利(対露強硬)。

タイMCOT:王室に対する不敬罪が存在する国。

オーストラリアABC:反シャリフ派(カーン派)93議席獲得 

インドNDTV:農民ストとデモ。  

ドイツZDF:トランプリスクに備えるドイツとEU 

 

 

昨日少し書いたが、日曜に読み終えた『プア・ジャパン』、久しぶりの『お薦めの1冊』だと結論できた。

 

 

<九州国立博物館>

日曜のスマホ学習会が連休中日でお休みにしたので以前から気になっていた「日本刀展」に行ってきた。会場は九州国立博物館4階の文化交流展示室内の1室を借りての展示。

 

九州国立博物館にはこれまで何度も行く機会があったが、特別展示だけでなく一般展示にも沢山見るものがある。

 

現役時代にも新入生歓迎のオリエンテーションで行った時もここが目的だった。大学には九州だけでなく他の地方からも大勢来るので手っ取り早く九州、福岡の歴史や文化の「さわり」を知るにはいい場所。福岡市内から行くには少し遠いが地下鉄、電車、バスの取り次ぎで「ハイキング感覚」でいけばよい、ということで決定した経緯がある。場所も太宰府の山側で環境も抜群。

 

駐車場が満車で下の第2駐車場(赤○部分)に止めた。実は余り知られていない天満宮側の第3?駐車場もあるがアプローチが全然違うので渋滞に巻き込まれた後では動きが取れない。

 

アプローチ、かなり坂を登る。

 

博物館全景。なかなか良いデザイン。ここにも駐車場があるがこれはハンデを持つ人専用、こうした配慮もいい。

 

まず、最初に写真を撮ってもいいとの表示! しかも70歳以上は無料の、言うことなし。「65歳以上無料」は他に九州歴史博物館もそうだった。

 

 

 

今回、この展示に興味があったのは実は自宅にも脇差と思しき日本刀が一振り。また鐔が5点ある。鑑定書を見るとどうやら江戸時代のもののよう。詳細は父親の遺品にあったもので由緒は不明。

 

自宅の日本刀が江戸時代のものであることは展示会に行って納得できた。それは刃の幅が実用的な戦国時代のものに比べ異様に広いから。鎌倉から江戸時代直前までの戦乱にくれた時代は細身の如何にも武器という形態だ。

 

11室に入ると最初に日本刀の説明。これで見ると自宅の日本刀は脇差で「湾=のたれ」と呼ぶ「刃文」を持つものだとか。

 

これが「湾」を持つ展示刀。

 

自宅の刃文

 

 

戦国時代とかの日本刀は非常に細身でソリが強く、力学的に切り裂くタイプ。

 

江戸時代とかになると実用性が薄れたのか、少し刃が広くなりソリも少ない。

 

ここで先の新安沈没船の遺物として大量(2万点)の陶磁器や銅銭(28トン)が見つかったらしいが、その一部が韓国より寄贈されたみたいだ。当時は元代で紙幣が使われたので前王朝の銅銭は無用のものとされ、日本に貨幣として輸入されたようだ。

 

その他、京都の東福寺や博多の筥崎宮の再建用の物資が送られたことを示す。宛先入りの木箱が見つかったとのこと。こうしたことからこの船は日本の寺院、多分それらを統括する?幕府が仕立てたとする「ちー」さん情報が正しいかもしれない。

 

その他、元寇時代の沈没船の錨も展示されていた。但し、本物部分は中央に見える重しの石部分のみで、左右2〜3個が縄で木製の錨本体に固定されている。木部は既に朽ち果てたのだろう。錨の全体の大きさは隣の人の背と比較してかなり大きいものであることがわかる。

 

ここは実は写真撮影可の表示が出ていた11室の隣で、写真を撮っていいのか不明だが何処にも撮影禁止の表示はない。むしろあちこちにQRコードが貼られていてスマホで読み取り、更なる情報を入手することが可能になっている。だから普通に皆さんスマホ構えています。

 

これは良い傾向だと思う。フラッシュを焚かない限り、撮影は許可してもいいはず。因みに九州歴史資料館は不可。

 

早くこうした方向に動いて欲しい。昔はフラッシュなどによる光学的劣化を恐れての処置だろうが、知的所有権などない遺跡、何で未だに写真撮影不可なのか理解に苦しむ。

 

ここで面白い資料があった。それは当時の琉球が独立国であることを示す資料。薩摩による侵略の前まで、沖縄は日本も中国からも独立を維持していた独立国、琉球。

 

4階の文化交流展示室だけ見て回ったがそれでも2時間ほどかかった。まだ十分に吸収し切れていない部分もあるが、また行けばいい。

 

駐車場に戻ると遠くに大学が見える。どうやら筑紫女学院大学のよう。いい場所にあるものだ。

 

 

  

 

『水中考古学』5

対馬の水中遺跡は北の端、鰐浦の西側の矢櫃と呼ばれる場所にあるらしい。ここは船からしかアクセスが難しく名前も「矢櫃」と意味ありげ。p247 

 

著者も何かを(矢や米)貯蔵していた場所かもしれないという。対馬の人はほとんど利用しない入り江だそう。海賊には良さげ(笑)p247

 

下にあげたのは対馬の北端の鰐浦の位置と、その西がわに位置する矢櫃をGoogle Earthで眺めたもの。いい時代になったもの。こうしてバアーチャルトリップが寝そべっても出来る。2番目の図の上の薄水色が道路。確かに海からしか矢櫃には行けそうにない。

 

 

考古学者の前には、所謂「トレージャーハンター」が沈没船を漁り、文化財を破壊するしかなかった。彼らはその富の一部を地元の政治家などに寄付してWin-Winの関係を作っていたとか。特にアフリカではそうだったらしい。p258

 

いずれにせよ1960年代までは多くの国で遺跡保護の法律はなかったので、見つけて引き上げた者の所有物となった。それゆえ「一攫千金」を狙うトレージャーハンターの標的となった。p268

 

この喜望峰周りの沈没船から引き揚げられた物を見ると、交易船は単にヨーロッパからアジアに一直線に向かったわけではなく、アフリカ沿岸で交易をしながら航海していたことが分かるらしい。p264

 

実は、同じことが既に陸のシルクロードでも知られているので、私にとって少しも意外ではない。その場合も多くの日常的品物が道沿の都市で取引され、一部高価なもの(絹織物など)だけが遠距離輸送された。

 

アフリカ東のタンザニアのキルワ島は古くから貿易拠点だが、これはこの島がモンスーンの風がくる最南端に位置するから。かの有名なイブン・バットゥータも訪れたらしい。ということは、ここから一気にインド亜大陸に行けたのかな? p265

 

ここであのジャマイカのポートロイヤルが出てくる。これはかつて海賊の町。そしてその堕落した町らしく、一夜にして地震による津波と液状化で滅んだ町。その地震は1692年6月7日、11時43分だとか。p271 

 

17世紀の地震がこれほどまで正確に時間がわかっているのは海中から懐中時計が見つかったことによる。p272

 

ユカタン半島から1万数千年前の人骨が発見された。これは半島に沢山ある鍾乳洞からのものでこの環境は保存にいいらしい。同時期の骨はここ以外のアメリカ大陸ではあまり見つかっていないらしい。多分、石灰岩と骨が同じような成分によるからだろう。p275

 

昔、ユカタン半島を1週間ほどかけて旅行したことがあるが、こうした知識がなかったのでピラミッドだとかの遺跡は見る機会があったが、洞窟の紹介はあっても殆ど注意することがなかった。 惜しいことをしたもの、やはり旅行する前にあらかじめ予備知識が必要。 只、その時の事か記録が定かではないが、古代のマヤの人々は洞窟の湖に生贄として人を投げ込んだとか聞いたような記憶があるが??