<昨夜のサルソン>
女性ダンススタッフの誕生日でちょっとしたイベント。仲間が歳をバラしたが、20歳サバを言っても通用するほど若く見える、驚いた。
多分、いつもダンスしているからだろう。私も頑張ろう! 今でも70過ぎというと驚かれるが、いつまでも現役ダンサーでいたい![]()
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<ユーロヴェロ90000キロ>
先日の火野正平さん死去のニュースで思い出して見始めたNHK-BSの15分の短い番組。
<安楽死法案>
終末期患者の「安楽死」を認める法案審議。賛成多数により可決したとか。
https://news.yahoo.co.jp/articles/fa6f2affde51c996a7ad510ce68ccc7d005a7bba
色々考えさせられる問題。法律は時代について行ってないと言われる事も多い。
<ノートルダム修復される>
5年かけ、大聖堂修復される。大丈夫、何度もこうした遺産は火災などで傷ついても人々の意思があれば復活する。
https://news.yahoo.co.jp/articles/9ad1b848c0c32532890b16a4c5208fee31740efa
遺産は残っているのではなく、残されているのだから。
シテ島のノートルダムはパリを訪問する時はお馴染みの場所だった。
『ユーラシアの中の「天平」』4
2019年に唐代の洛陽で生きた日本人のことが発見されニュースになったらしい。知らなかった。
それは李訓墓誌に鴻臚寺の官職にあった李訓の最後に筆をしたためた人物として日本国朝臣備書とあるらしく、著者はこれを吉備真備に当てる。
これは彼の当時の本名が下道朝臣真備で当時、中国において1字姓、1〜2字個人名が一般であり(今でもそうだ)長いのは夷狄を示すことから、遣唐使は中国風に字数を減らすことが普通だったことからの推察。p183
例えば有名どころでは、阿倍朝臣仲麻呂は朝衡と名乗った。因みに仲は同じ意味の衡にしたとか。p184
それはそうだとしても、1回の遣唐使には何百人も成員がいて、当時の唐にはそれまでの何回かの遣唐使で唐に残った留学生なども沢山いたはず。彼ら大部分の消息は歴史書に残られていないから、沢山の朝臣備がいてもいいはず。何か強引な感じがするが、こんなものなのかな?
確かに朝臣を名乗れるのは極めて地位の高い姓であるとしても、最初に八色の姓が制定された時点(AD684)でも52氏もあったらしい。更に功績のあった氏族にこの朝臣をあげて奈良時代には全ての氏族が姓を持っていたとか。この出来事はAD736のことらしいので相当姓の数は増えている可能性が高い。
遣唐使成員(正使、副使は別として)の殆どが歴史の闇に消えている以上。可能性は限りなくあると思うが?
ま、そんなこんなで、批判的読書は嫌いじゃない![]()
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次に日本列島で初めて金山が見つかる話が続く。749年、陸奥国かららしい。それまでは朝鮮半島から金は入手していたとか。p204 めでたきことで元号も変えたとか。ただし、大宝ではない。
で、議論は盧遮那仏=大仏開眼に合わせ、唐から金を入手するために746年に遣唐使が計画されたらしいが、これが3年後に発見されたことで中止になる。p204
大仏の表面は金メッキをするので金が必要。塗布するための水銀(水銀アマルガム)は国内で採れるが金は無し。だから大量の金の入手が必要だった。
それで著者の推察は、遣唐使派遣決定と3年後の金鉱発見との間の異常な長さの理由である。普通、こうも遣唐使派遣決定と実行には時間がかからない。それで様々に想像を巡らせる。
結論から言うと、金鉱発見は早かったが、採掘の目処が立たない場合も考慮して、バックアップ体制として遣唐使を計画したということらしい。p208
そうこうする間に先帝の死去などが間にあり、目出度こと(金山発見)と、これらの出来事が重複するのを避けたのが理由だろうということ。これもなんとなく強引![]()
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因みに200ページに大仏造築の手順が書いてあったが、図示してみた。




