夜更かしで、明日はどうなる事やら。そんなわけで早々にアップ。
<日曜の午後>
先日の講演会で須恵器の話が出来てきて、その作製に使われた「登り窯跡」が牛頸にあると聞き、早速行ってみたくなった。
Salsonの前にちょっと寄ってみるつもりだったが、ついでに登り窯のある公園を1周。おかげで運動量は何時もの2倍程度。6.2km、9966歩、4階段分を消費。
行き先は梅頭窯跡。これについて詳細はまた後日。
そのあとは何時ものコース、今夜は綺麗どこと踊れて満足。最近サルソンに来られるようになった美人さんから「お願いできますか?」て誘われまししたぜ![]()
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でも私から誘わないといけませんね、反省![]()
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<裏庭コンポスト作業をしながら考えた>
自宅の敷地は切土で表層20cmを削るともう硬い岩盤に突き当たる。
これは地震とかには堅固で好都合なのだが、剪定した庭木のコンポスト作業には不都合。これには鉄製スコップ、鍬が必須。そこから妄想が広がる。
水耕稲作を取り入れた弥生時代の人は、何としても鉄器が欲しかったに違いない。
当時、日本列島には鉄鉱石は見つかっていなかったので祖先の住む(=弥生人は遺伝子的には半島大陸人)半島にある鉄材を渡海というリスクを払ってもどうしても入手したかったに違いない。納得、納得。![]()
<剪定年間料金>
今、自分で生垣の剪定はやっているが、リタイヤ前は業者さんに頼んでいた。料金は年間サブスクで3万円。年間数回の剪定(切り取った枝葉などは勿論処分してもらった)と消毒、施肥まで含めての料金で確かに安い。うろ覚えだったので、改めて調べてみたら記録していた。
これはMDさんの記事でのコメント関連。
これは良心的というか、日本の料金が世界水準ではない、ということかな? デフレの日本に想像が広がる。
生垣の一面の一部。これのほぼ4倍程度の広さ。この面以外は棘のある生垣で結構剪定作業は大変。
<古代の土器が語る歴史1>
副題:ドキドキ(土器、土器)素敵な須恵器ワンダーランド。
中々ネーミングが良い![]()
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午前中はホン・ボクシ氏による「朝鮮三国時代の土器」。通訳がついての講演だった。
まずスライドが韓国語と漢字のミックス。多分、日本での講演の為に作られたのではないだろうから、歴史関連は漢字は当然なのだろう?どうだろう?
同氏は国立公州大学の教授で、歴史博物館館長を兼ねる。お名前も漢字表記だった。
私の知り合いの韓国人教授によると、韓国人は自分の名前は漢字で書けるとか。だけど今の世代はどうかな?
話を元に戻すと、最初に新石器時代から現代までの半島での土器の流れを紹介される。ここらは分類に興味を感じないものとしては、なかなか頭に入らない、てか眠気が🥱![]()
僅かな形状の変化、突起やカーブの角度により色々分類されているよう。
紀元前3世紀から4世紀にかけて、陶質土器が展開する。これは焼成温度が1100度以上で、高句麗タイプ、百済タイプ、新羅タイプ、伽耶タイプがある。ここでそれぞれの土器タイプの違いが説明されるが興味ないので退屈だった![]()
ただ1つ注目したのは、伽耶を細かく分ける傾向があるらしいが、例)阿羅伽耶、大伽耶、小伽耶、比火伽耶など。これらの区別は土器のスタイル(で分類されているとか。多分、土器様式の違いを生活、文化様式の違いとしてのことだろうが、なんかスッキリしない。
新羅の土器に「土偶」が現れるらしい。これは日本の古墳で見つかる土偶と関連するのか? 詳しい説明はなく不明。
やがて半島は三国時代から新羅による統一新羅が出来上がるが、このころに土器は多様化して、かつ生活土器が増えるとか。それまでは祭儀用がメインということか?
また9世紀に入ると火葬の習慣から骨壷が現れる。このころに唐文化様式が入り金属鉛を加えた唐三彩、奈良三彩が生まれてくる。6世紀以降に中国から漢字が伝わり銘文土器も登場する。
なお、伽耶土器は4世紀末から5世紀にかけて列島に持ち込まれ日本の須恵器となる。これは登り窯による高温での焼成土器。これが、昨日登り窯に行った理由。
<なかなか考えさせる番組>
日本は陸続きの国境を持たない分、安全が担保されている。
『Q&Aで読む弥生時代』8
Q33:土器
東日本の弥生土器には縄文の伝統が強く残る。p153
縄文と弥生も焼成の方法は同じで露天の野焼き、穴窯を使わない。ただし、弥生土器は覆い焼き。つまり稲作で生じた藁や籾で土器を囲って焼成する。(須恵器土器は古墳時代中頃に半島から伝わった穴窯使用法)。
縄文と弥生の造形の違いは、縄文は立体的で装飾的。弥生は平板的で線刻画。また、描かれた絵画は、縄文は蛇、カエルなどの変態動物で循環的再生思想。弥生は稲作儀礼関連、鹿、鳥が多い。p154
Q38:金属器
青銅器と鉄器がほぼ同時に弥生中期に入った(前半500年は石器)。p174
生産活動と、武器で鉄器が、p176 青銅器は威信材として主に使われた。特に後者は青銅器の美しさがあるだろう。
Q41:経済活動
弥生中期以降に前漢末以降の中国銭貨が入る。p188 秦の半両銭や漢の五銖銭、新の貨泉、大泉五十。p194
またこうした中国銭貨が出土する場所では楽浪土器が見つかることから、楽浪人が住居していた可能性が考えられるとか。中国にルーツを持つ交易者に巻き込まれる形で貨幣経済に接した西日本海浜部と言う意味合いと考えられるここらは半島でも同様。p189
貨幣経済が日本列島で本格的に進むのは、その後相当経ってから。それまでは穀物や鉄素材という定量化されやすく保存の効くものが主。p190、p194







