<ユニセフからメールが来た>
わざわざ封筒で連絡しなくてもメールで十分。その分、支援にまわして欲しい。
ここでも善意がトルコやシリアに届いた。よかった、よかった。
https://blog.goo.ne.jp/kuru0214/e/91c728f51003a36c036c2750edf36159
<昨日書きそびれた事>
天皇の男系継承にこだわる人たちがいる。安倍元首相はその1人で「男系継承が古来、例外なく維持されてきたことの重みを踏まえ、慎重かつ丁寧に検討を行う必要がある」と国家答弁で述べた。また彼は反韓でも有名だった。
もしこの継承体系が日本と同じ長子直系家族構造を持つ半島由来だとしたら、彼らはどんな顔をするのだろうか? 楽しみだ。
<町内活動と社会資本>
地元の町内会では組合から離脱する世帯が出始めている。これまで町内の通りや公園の清掃は町内会のボランティア活動で行われていたが、それが今後どのようになるのか危ぶまれている。外部委託するのか?その際のお金はどうする? そもそも、離脱した世帯はそのための組合費や区費を払っていない。
若い人の中には「自治会のボランティア圧力が嫌いだ」という人がいるのは承知しているが、ではどうするのか?アメリカのスラム街のように(あのミッションストリートがそうだが)荒れるに任せていいのか?
これらは地区の教育や文化を支える上での社会資本、ソーシャルキャピタルなのだという認識がそういう人にはなく、それ故にまた対案を持っているはずもない。パットナムの名著『われらの子供』を思い出す。
問題はそれだけではない。最近は個人情報の関係からも町内の情報管理が煩く言われるようになった。しかし隣に住んでいる家族の情報は自然に周囲に漏れるもの、それを完全に防ぐことは難しい。
中国では共産党の伝統文化破壊でモラルが破壊されたと言われる。その是正のため現在、伝統宗教を文化・モラル復興に取り入れ始めたのが、習近平氏だとか。
そうなのか? では、日本の場合、こうした社会資本の衰退は何がもたらしたのか?
『中国の歴史認識…』7
8章では中国と日本の和解がテーマとなる。2005年に日中韓の研究者などによる歴史教科書、『東アジア3国の近現代史』が3カ国同時に出版された。p308 これはいかなるスポンサーも補助金もなしで行われたという。p309
しかし、このような試みは実は初めてではない。ドイツ−ポーランド、ドイツ−フランスで戦後行われたとか。p309
これに対し、日本では左翼的な本の1つに過ぎないとの批判もあったことが書かれている。これに対し、著者は国内だけで作成するのなら簡単だが三カ国が共同で出すとなると非常に困難だという。p314
それはそうだろう。そして幾つかの『物語』、ナラティブ、を提供し読者(学生)に選ばせる方式もあるという。複数の視点を提供すれば歴史教育が特定の集団を軽んじたり悪者扱いするこれは避けられるとも。p316
そして各国でマスメディアがいずれも相手を悪者扱いにする傾向があることも指摘している。p324
最後の9章では中国の台頭が語られるが、ここが実は一番興味深い部分があった。それまで著者は比較的慎重に言葉を選んでいたように感じる。ところがこの章に入り、所々で明らかに中国政府の見解とは異なることや批判をさらりと書く。例えば9章の冒頭で天安門事件を『浅ましい弾圧』とさらりと書く。しかし一方で、それにもかかわらず党は高学歴の若者を含む大衆に支持されてきたともいう。p328
それはそうだと私も感じる。
そしてこの背景に『太古の文明への誇りという「選びとられた栄光」と、恥辱の1世紀による「選びとられたトラウマ」があるとする。p332 そして、それなくしては単なる党のプロパガンダで説明することはできないとも。p334
さらに指摘することとして、外部からの圧力は逆に『(党が)結束を固め、政治的異論を切り崩し、大衆の支持を結集させるために体良く利用される』とまで言う! p338
是非、こうした深い洞察を日本の政治家も持ってもらいたいところだが、「口先だけ勇ましい(そうして支持を得ようとする)」日本の政治家には難しいかもしれない。
さらに現代の電脳空間は中国の若者に逆にナショナリズムを掻き立てる原因にもなっているとも。p342
またそれだけでなく、ジャーナリストや研究者も内々では客観的な意見を述べることがあっても大衆に向かうと反米、反日的となるともいう。p347
そして最後に非常に重要なことが書かれていた。それは、もし中国が現在の一党独裁から複数政党型の民主制になると、更にナショナリスティックになるだろうという予測だ。それは支持者を集めるための道具に容易に利用され得るからだと。p356
実は正にこの点は日本も同様!! 政治家はしばしば支持者を惹きつけるために容易に反中的なことをしがちで、特に「口先だけの卑怯者」にその傾向が大きいと昔から感じていた。






