幻想としての米国2 & 『われらの子ども』 | Hiroshiのブログ

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今後不定期投稿となります

<数値目標>
https://www.duolingo.com/learn
アメジストリーグ +30XP,20940 XP,十三分钟。

https://www.youtube.com/watch?v=RBvTiSELGqs&list=PLrWxcegPNiyj-M05glrorpUrXekNDKejm&index=6
HSK3,#5~6 背了四十九分钟单词。

https://www.youtube.com/watch?v=Tt268XD1sQY&list=PLzFiCIq_l6aREnzBZdwNI9cty0o0NibwI&index=5
Mimi in Shanghai 4~5, 学了二十分钟汉语。

https://www.youtube.com/watch?v=_dHLGqhAr8Y&list=PLeYT_HGPLwrsOAYbc2OIjhtZGMMTEiAmJ&index=10
Elementary Lessons 9~10, 把这个频道学习十分钟。一共一个小时三十二分钟。

运动;爬山散步 4km,6434步,13楼。

今日は午後から公民館関係で外出後、そのままモールのスタバへGO! 勉強は少しだけ(汗) だが読書は進んだ。



<幻想としての米国2>
昨日の点について1つ付け加えるならば、私が知っている米国は80年代の半ば、時まさにレーガンの時代だったということ。今、読んでいる本の中でも米国で分断が酷くなってきたのはこの時代(レーガノミクス)を境にしてとのこと、同様なことはあのピケティも述べていた。

もちろん酷い格差や差別は当時も存在した。しかし、それまでは「縮まる」ことが期待されていた。しかし、この期を境に逆に「広がる」時代に入った。当時渦中にいた貧乏留学生は全く気がつかなかったということなのだろう。

今まさに読んでいる、『われらの子ども』の中でもフッラデルフィアの貧困地区ケンジントンでも1970年代まではコミュニティーが健全だったという。ここに麻薬が入ってきてコミュニティーが崩壊していくのは1990年代だという。 
第五章「コミュニティー」p227 より。


<物事を複眼的に捉える>
「いつも同意できるわけではないが、いつも参考にしている」内田氏のblogからのメモ。
http://blog.tatsuru.com/2020/11/04_0759.html

『自分が見ているものだけに基づいて状況を判断しない…複数の視点から寄せられる情報を総合して、今起きていることを立体視すること』

いつも心掛けている「縦糸横糸論」に通じるところがある。
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/3717/trackback

『1つ1つの史料、あるいは書籍に引きずられるとミスリードされることがある。しかしそれらの整合性に注意を払うと自ずから全体像が見えてくることもある。また無意識や意図的な史料の誤摩化し=捏造も暴かれることがある』

これは「歴史」を学ぶ時に重要だが現状認識にも必要ということか。勿論、「言うは易く」の口。



<新しい波は確実>
昨日コロナは4波としたが、今日のマスコミ報道では3波としている。先の大阪大学核物理研究センター長の中野貴志氏によれば最初の1波を数えるかどうかの違い。トラジェクトリー解析で見るとやはり4波。
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/6234/trackback
https://web.sapmed.ac.jp/canmol/coronavirus/trajectory.html?t=d



『われらの子ども』
副題は「米国における機会格差の拡大」、ローバート・パットナム著、創元社、2017年初版。
Robert D. Patnam, OUR KIDS; The American Dream in Crisis.

400ページにも上る分厚い本だが、本文は300ページ程度。残りは長い解説と原注からなる。この本は先に読んだ『遅刻してくれてありがとう』『人口ピラミッドがひっくり返るとき』に比べ、資料は少ない。その代わりに「われらの子ども」*のストーリーが語られる。p41 その意味ではよく言われる「羅生門」的研究。以前その代表としての『La Vida』について以下のように批判したことがある。

『しかしこの手法はミスリードする危険性も大きい。やはり此処はトッド的な膨大な統計を駆使した巨視的手法と併用しないと危険だろう』
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/64/trackback

こうした批判を予想するかのように著者は何故、こうした手法をとったのかを最初の章で説明する。曰く、

『従来から用いられる指標は常に30~40年遅れのものになっている』 p54

その通りだ、そうした資料を集め因果関係、相関関係を含め解析するまでにそれだけの時間がかかる。先の本も20年前だからこそ評価が可能になった。
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/6334/trackback

この点について著者は 『従来型の「バックミラー」的手法』とする。p55 成る程ね!と納得した。

冒頭、1950年代(著者がポートクリントンの高校を卒業した時)に比べ格差がとてつもなく広がっていることはどのような研究者からも同意を得られる事実だと述べている。p29 p46  その中にはあのEmmanuel Saezの研究を挙げる。p365 

Saezはあの『21世紀の資本』を書いたPiketyの上司でもある。そしてこの半世紀のアメリカのストーリーは労働者階級の没落と新しい上流階級の誕生の結果だとする。31 著者はこれを「アメリカンドリームの破壊」と捉えている。p55 

こうした格差拡大の原因の1つに富裕層と貧困層の地理的分極化を挙げ、その背景に高速道路網の拡張による郊外の成長を挙げる。p49 何故なら、50年前に富裕層と貧困層が同じ地区に住んでいたころには貧しい「子ども」を気に掛ける富裕層や、貧しい人とお金持ちの人との間に「ロミオとジュリエットが壁を飛び越える」可能性があったからだ。p51

う~ん、確かにStanford大学のあるパロアルトと危険が一杯なので行くなと注意されていたイーストパロアルトはフリーウェイで物理的に遮断されていたね! 壁を乗り越えることは簡単ではなかった。

今、Google mapのストリート・ビューでみるとEast Palo Altoの環境も凄く良くなってきている。あれから30年も経っているから当然だが… 

しかし、あのころ格安料金で(確か5ドル?)髪を切ってくれていた黒人の若い兄ちゃんが、今もEast Palo Altoで住んでいるようには思えないのだが…
https://www.google.co.jp/maps/@37.4679861,-122.1408833,15z?hl=ja

*冒頭にこの鉤括弧付きの「われらの子ども」という言葉が出てくる