アンネの薔薇と私と言葉。
こんにちは、美容フードアドバイザーの道乃です。今年も、この花が季咲く季節になりました。(もう、時期が少し遅いかもしれないですが)アンネの薔薇。アンネ・フランク第2次世界大戦。その中で、夢を諦めず追い続けた少女。アンネはドイツで生まれました。ヒトラーが大虐殺を行ったユダヤ人です。ナチスによるホロコーストで犠牲となったユダヤ人は600万人以上、最多で1,100万人を超えるとされています。私も含み、その当時の事は日本人には、理解できないでしょう。私は小さなころから、アンネが好きでした。このアンネの薔薇を見て育ちました。私の父は、アンネのお父様。オットー・フランクさんに何度かお会いしたことがあります。なので、父からよく話を聞かされていました。父が若かったころ。イスラエルにコンサートツアーに行っている間、ナタニアのレストランで、偶然、オットー・フランク氏と出会ったことがきっかけで交流が始まり、アンネのバラを譲り受けました。アンネの薔薇の色は時間を追うごとに変化をします。蕾の時は赤色、開花するとオレンジ色に黄色がかったいわゆる黄金色で、さらに時間の経過とともに日差しを浴びて、花弁の先から次第にサーモンピンクに変色し、さらに濃く変色して赤色に近くなります。それは、アンネの生涯を表しています。アンネを知ったのは小学校に上がる前。気がつくと、いつの間にかアンネと同じ年になり、今ではきっと、アンネから見たら、私は大人になりました。「アンネの日記」アンネが、十三歳の誕生日から、ナチスに捕まるまでの二年間を書きつづった日記。ユダヤ人たちの生活や、潜伏生活について・・・彼女の目を通して様々な日常が書かれています。わずか14歳とは思えないほどの文章力。彼女の言葉が重く私にのしかかる。私の大好きな言葉の一つ。私は理想を捨てません。どんなことがあっても人は本当にすばらしい心を持っていると今も信じているからです。I keep my ideals, because in spite of everything I still believe that people are really good at heart.この言葉。普通の言葉と思いましたか?この言葉を残しているアンネですが、なぜあんな過酷な状況で、こんな言葉が言えるのか。今でも私は理解ができません。だけど、信じたいと思うのです。私たちの力を。もう一つの言葉。わたしはまだ14歳ですが、自分の欲していること、だれが正しく、だれがまちがっているかということも知っています。自分の意見、思想、主義をもっています。わたしのような子どもの口から言うとおかしいかもしれませんが、わたしは自分を子どもというよりは、一個の人間、だれにも束縛されない独立した一個の人格だと考えています。この言葉は今の私に必要な言葉。結局、自分ですべて選び、勝ち取る。自信過剰とかじゃなくて。私は、死んだ後でも、生き続けたい。I want to go on living even after my death.アンネ、夢はかなってるよ。