ビフリュオレ通信<BIFLUORESQUEMENT VOTRE> -76ページ目

メンバー紹介(1) Michel Puyau ミシェル・ピュイヨー

1957年2月17日、バイヨンヌ生まれ、カプブルトン育ち[いずれもフランス南西部、大西洋岸の町]。両親は歌よりお笑いが好みだったのに対し、兄は音楽好き。その兄が誕生日のプレゼントに親から買ってもらってちっとも触っていなかったギターをいつのまにか私物化。コードは12弦ギターを持ついとこに、ポルナレフのナンバーで教わった。一方、目の前に広がるビーチからは、サーファーたちの運んできたカリフォルニアの音楽、CSN&Yやフランク・ザッパが聞こえてきて、彼をヴォーカル・ハーモニーに目覚めさせる。兄の影響でクロード・ヌガロなども。
高校1年のときヴェルヴェット・アンダーグラウンド流のロック・グループ結成。次にはアイルランド・フォークのグループに参加し、更にバロック音楽にも手を染める。女の子にモテるにはギターに限る・・・というわけで大学入学資格試験に落第、ガソリンスタンド店員やら葡萄の摘み取りやらグラフィックの仕事に従事。1979年、シルヴァン・リシャルドとル・ゴング・デュ・バレイユール Le Gong du Balayeur結成。
—以上Chorus 53号より。
レパートリーのヴォーカル・アレンジを担当、Ipo y taï taï yé変奏曲(古楽、ワールドetc)では彼のマニアックぶりが存分に発揮されている。  公式サイト やCDリーフレット、ポスターなどのイラストも彼自身が手がける。写真家としての作品も公開中 。ステージではデュエット曲の女声パートから、口ドラム、口ベース、口トランペットまで披露する。
筆者の世界一好きな声!!!

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フィールドワーク・リポート その4アンコールそして打ち上げ [第75号 07.09.15]

 アンコールを求める観客の拍手、足踏み、叫び声は凄まじかった。シンプルな造りの会場が本当に壊れるんじゃないかと思ったぐらい揺れた。1曲目の D'Georges Bouch' (ヂョージ・ブッシュ) に観客は大喜びで拍手、手拍子。オチの「ブッシュ石油会社に集まろう」では大いに沸いた。2曲目はラブソングの替え歌 Moi je fais la vaisselle(僕は皿洗いをする)、そしてフィナーレは恒例、ゲンズブールの La javanaise(ラ・ジャヴァネーズ) を450人が大合唱。「僕らは愛しあった、歌の流れているひとときだけ…」
 終演後。最初に「終わったら一緒にね」と言われてたとおり、出口のサイン会の横手で待機。観客からの感想などに笑顔で応じるシルヴァン。何かと世話を焼いてくれるミシェル。余っているポスターを「もらっていーですか?」「どーぞどーぞ。何か書いてあげようか?」あとの2人もつかまえてサインを書いてもらってくれる。
 片づけが終わって、スタッフ達と飲み物を手に談笑。若い人達ばかりで、色々話しかけてくれる。柔道やってるんだ、と嬉しそうに話してくれた男の人。シャンソン・プリュスのためにわざわざ日本からイッサンジョーまで?!と目を丸くした女の子。頭が混乱して舌がもつれる。ミシェルが2人連れの女性に「この人は日本から来てくれてるんだ」「サイトを通じてメールをやりとりしてるんだ」と盛んに言っている。びっくりした顔でペンを取り出してメモを取るこの2人、確か招待席に座っていたが新聞記者らしい。名前の綴りまで訊かれて、別れ際「2~3日後に記事が出ますよ。La Tribune – Le Progrès紙ね」ああ、確かミシェル・ベルナールのインタビューを論文に引用したことがある。言わなかったけど。記者さんは我々全員の写真を撮った後、帰っていった。
 3人は今晩、サンテチエンヌまでタクシーで飛ばして最終列車で移動とかで、楽屋にハムやらパテやらケーキやら持ち込んでの軽食。ミシェルが自分の皿からサーモンを分けてくれる。ワインもプラスチックのコップになみなみついでくれる。シルヴァンはチーズを勧めてくれる。「これは強い。これはヤギの」とかいいつつ。何だか感じの変わったシルヴァン、神経質そうなところがなくなって、妙に穏やか。結婚してからなのか、ハマっているというbioな中国茶の効果なのか。グザヴィエは前回シャルトルで会った時と違って饒舌じゃなかった。けどにこにこしている。
 いよいよ列車に間に合うためのタイムリミット。用意してきたプレゼントを「広島の酒とおつまみ。3人で分けてね」「ありがとう!!じゃあ明日にでも早速」。そういえばカメラ持ってたのに1枚も写してない!新聞の写真に期待しよう。でも完全に舞い上がってた2年前と比べればちょっとはリラックスして喋れて、いっぱいbiseもらって、しかも何とシルヴァンのケータイ番号までもらっちゃった、パリ観光の相談ごとでもあったら遠慮しないで、と言って!結局かけなかったけど嬉しかった~。タクシーを見送ったスタッフの一人が「あ~あ、終わっちゃったよ、畜生」。そう、今日は「第15回イッサンジョー笑いのフェスティバル」最終日だったのだ。
 さて2日後、件の地方紙を買ってみる。UNE FAN VENUE DU JAPON…げ。「笑いフェス」リポート中25行のspecial mention。期待の集合写真は載ってなかった。残念!

イッサンジョー広場
イッサンジョー 町の中心の広場

フィールドワーク・リポート その3 POUM! [第74号 07.06.15]

 追っかけをフィールドワークと称するポピュラー音楽研究家にとって、ライヴでの観客の反応は大事なチェックポイント。H.サルヴァドールの童謡風楽曲にのせてエンジンの仕組みを歌うLe moteur à explosion(内燃機関)は、イントロで既に拍手、既に "古典" だ。緊張でコチコチの新人歌手と、歌手以上に自分が目立ちたい芸能司会者のやりとりを戯画化したスケッチ Sacha de Sochaux(ソショーのサシャ)も "名作" として、前回ツアーに引き続き登場。s/ch[サ行/シャ行]の音を列挙した早口言葉の部分や、サシャ役シルヴァンがブラッサンスの曲を歌う間、ウッドベースに見立てたグザヴィエを、ミシェルが口で楽器の音を真似ながら "弾く" 場面は抱腹絶倒。或いはミュージカル『ロメオとジュリエット』のナンバーを替え歌にしたLes micro-ondes (電子レンジ)、チン!に頼った我々の食生活をテーマにした馬鹿馬鹿しくも鋭い歌詞に加えて、レンジ内の食品みたいに体を回転させたり、ミュージカルの動作を真似たり、伴奏(カラオケ使用)に合わせてヴァイオリンを弾く身ぶりをやったりという演出にもに大きな笑いが起こる。客席のノリに応えてかなりの熱演、熱唱に最後は息切れに近い状態。
 詩情あふれる1曲 Peinture à carreaux(碁盤模様の塗り絵)は確かこの直後、息つく暇もなかったにもかかわらず歌い切った。3人の美しいハーモニーに、直前まで大爆笑していた観客が聴き入っている。
 スタジオ録音された楽曲との違いも聴きどころだ。Moi la télé(テレビと僕)は、CDでは効果音としてザッピングの音声が入っていたが、これを生でやったのには驚いた。チャンネル切り替えの音に合わせて3人に次々スポットライトが当たり、ドラマ、ニュース、論説などテレビ音声の模写をやる。最後にW杯サッカー中継を真似て "Champion du moooonde(世界チャンピオ~~~ン) !!!"… 爆笑。もしかしたらCDの効果音も、気付かなかったが実は自家製だったのか? L'argent(カネ、カネ、カネ)もまたしかり。職安をクビになり、ガスも止められて自殺もままならない男の嘆きをうたった歌で、CDでは最後に群衆のシュプレヒコールが多重録音で加えられているのだが、ステージでは3人の歌声だけ。なのに迫力ある歌い方で、本当にデモ行進のように聞こえてくる。
 期待の新作替え歌L'informatique(パソコン )   は終盤でやっと聴けた。客からコンピュータ用語を集めてミシェルの頭にインプットし、曲が出てくるという趣向。覚えるのが大変そうな長い歌詞は3人で分担。歌詞の語呂合わせの中でひときわウケていたのが "moniteur et ta sœur" "logi-ciel mon mari" の2か所。moniteur, logicielはそれぞれモニタ、ソフトウエアの意。Et ta sœur?(で、あんたの姉さんは?)は相手の話の腰を折る言い回し、Ciel, mon mari!(ヤバい、夫だわ!)は大衆劇でお決まりの台詞。
 最後はエピキュリアンの彼ららしく美味礼賛メドレー。カルテット時代からのレパートリーRepas boogie wouah(ご馳走ブギ  )にVive le vin(ワイン万歳 )、反グローバリゼーション活動家を歌ったJosé Bové
(ジョゼ・ボヴェ)
、カナダの女性芸人第1号で1930年代に活動したラ・ボルデュックの楽曲Légumes(野菜売り) を挿入。曲中でたっぷり披露するミシェルの "口ドラム" は凄いの一言!(à suivre)

笑いフェス
「イッサンジョー笑いのフェスティバル」看板