ビフリュオレ通信<BIFLUORESQUEMENT VOTRE> -75ページ目

メンバー紹介(3) Xavier Cherrier グザヴィエ・シェリエ

1953年3月17日、パンポル[ブルターニュ地方、英仏海峡に面した港町]生まれのマルセイユ育ちなのは、父親が長距離航路の船長だったから。音楽好きの父親の影響でレ・フレール・ジャック、ブラッサンス、トレネ、フェレなどのシャンソンやストラヴィンスキーを、そして68年世代の波をかぶってストーンズやピンク・フロイドを聴く。幼少の頃から歌うことが好きで、6歳の時から教会で、更にはボーイスカウトの合唱隊でも歌っていた。コーラスのソリストに選ばれたこと以外、学校ではぱっとせず、2度目の大学入学資格試験では双子の兄だか弟だかを身代わりに口頭試験に送り込んだが、試験官と喧嘩して帰ってきてしまった。
79年にル・メカノフォン Le Mécanophone を結成するブブことロベール・フルカドとは、68年の学生運動の頃からの知り合い。
・・・以上Chorus 53号より。
朗々とした歌声はさすが聖歌隊にいただけのことはある。ステージでは進行係(カルテット時代)、最年長で、グループのまとめ役的な存在と思われる。ステージ後のサイン会にも粋な着こなしで現れ、とってもダンディ。また料理の腕前は相当なものらしい。

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クリップ「パソコン」

パソコントラブルを語呂合わせで並べ立てた替え歌。詞はメンバーの3人プラスM.Maignanの共作。元歌の「おいらは体が弱い」Je ne suis pas bien portant(歌:ガストン・ウヴラール Gaston Ouvrard)は映画『恋するシャンソン』に使われていた。

メンバー紹介(2) Sylvain Richardot シルヴァン・リシャルド

1959年2月24日、エクサンプロヴァンス[南仏プロヴァンス、マルセイユやアルルと同じ県]生まれ。母親は画家、父親は舞台俳優で、楽屋に出入りしていたシルヴァン坊やを「まあ可愛い!」と抱きしめてくれた女優たちの胸の感触が忘れられず、この業界を選んだ? 17歳でダンスホールのバンドミュージシャンとなり、シンセとバックコーラスを担当。一時的にフォークバンド、テュルリュレット Turluretteに参加したこともあり、この時のベーシスト、フレデリック・ロワゾン Frédéric Loisonとは後にシャンソン・プリュス・ビフリュオレのマネージャーとして再会することになる。
音楽的影響としては、母親からはアズナヴール、ジャン・フェラ、ブレル、ブラッサンス、ベコーなどシャンソン、父親からはオペラや、ブリュアンなどのキャバレ・ソング。父親は歌うのが好きで、舞台でも古いシャンソンを使った演し物を時々やっていた。本当は歌手になりたかったんじゃないかとシルヴァンは思っている。
・・・以上Chorus 53号より。
ステージでは二枚目アイドルのパロディで笑いを取る、甘いマスク と声の持ち主。まあこのメンバーだと男前が3割ほど上がって見えるかも??レパートリー中、替え歌の作詞、オリジナルソングの作曲の殆どと、作詞の多くを担当。筆者イチオシのメロディメーカー!!!

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