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潜在意識と意識の方向を一致させる。という言葉を読んだ時に意味がよくわからなかったんだけど、最近少しずつなんとなく意味が分かってきたような気がする。
潜在意識と意識というか「言ってることとやっていること」を一致させるって大切だなってところかな(笑)
私たちの生活の中には矛盾した動作が多くて、頭が混乱するのもしょうがないなって感じることが多いです。
あなたは、右に曲がりながら左にも曲がれますか?
できないですよね?
できないけど、これをしようとしているので疲れます。
口では嫌だって言いながら、行動ではやっている。
これって意見が一致していないですよね?イヤイヤやっている。
私はやりたくないんだけどやっている。右に行きたいけど左に行っている。右に行きたいのに、体は左へ行くから頭が行きたい場所へはつかない。
なんかややこしいのですが…。
やりたくないのに我慢してやっている。のは私の中の意見は一致していないですよね?
過半数で決めていると反対していてもやるしかないので、反対している人は不満がでます。
不満があるから、足を引っ張ろうとしたり、手伝おうとしなかったり、失敗した時にちょっと嬉しそうに「ほらね。だからやめた方が良いって言ったよね」ってなる。
私の中でこの矛盾があるとすごく苦しくなる。
「しなくちゃ」という言葉はこれに当てはまるのかな?って思ったんだよね。頭はしなくちゃいけないけど、でもしたくない私もいるんだよね。だって私がしたいと思っていたら「しなくちゃ」じゃなくて「したい」になるよね?
嫌々やるからエネルギーを無駄に使う。
やらせる人が悪いって思っていたんだけど、受け入れているのは誰?
私はやりたくないけど押し付けられている。と感じるなら押し付けている人がいるんだよね。
押し付けている人がいるからやらなくちゃいけない。私はやりたくないのに。
これね、エネルギーの無駄。
潜在意識と意識で考えた時に、潜在意識はやりたくない。という信号を出しているんだけど、頭はごちゃごちゃ考えてやるという決断をした。
やる前からやっている最中そしてやり終わってからも文句が続くんだよね。やりたくなかったのに!っていう文句が続く。
いつまでもやりたくなかった!というエネルギーを出し続けるから、自然と私がフォーカスするのは「やりたくない」ということになってしまう。
一昨日と昨日の記事とも関係してくるけど、私はやりたくなかったということを46時中文句を言うということでやりたくないというアファメーションをしている。私はいつも押し付けられている。押し付けられても良い存在だ。というアファメーションを無意識にしていることになる。
アファメーションをすることでフォーカスしやすくしているので、私は無意識のうちに「押し付けられても仕方ない」という状態をフォーカスすることになる。
押し付けられていないこともあるし、「ノー」ということもできるのに、私はノーと言えない「脳」の状態を作っている。だって「私は押し付けられても仕方ない人」というアファメーションをしているので、押し付けられたことに対してノーというのはコンフォートゾーンを出ることになるから恐怖なんだよね。その恐怖は命を脅かす恐怖なのでノーというよりも押し付けられたことをする方が自分には危機が無いように感じてしまうために、嫌々でもやるしかないという状況を創り出している。
文句を言うことで自分の選択肢を狭めているんだよ。
私は嫌だって思っている。←私の声を無視しているよね。
私は自分の声を無視して、やりたくないけどやらされることをやるから私は無視されたという気持ちも持ってしまう。
無視されたとか必要とされていない、大切に扱われないってこれって自分が自分にやっていることだよね?
それをね、人のせいにすることで私は私と向き合わなくても良いんだな。
周りの人や環境が悪いからってことにしたら私は関係ないでしょ?私が変わる必要があるのではなくて、周りが変わる必要があるので、私は今のままでOKということになる。
私は悪くない!が出来上がっていく。
「脳」が私は悪くないを設定しているから「脳」は無視された感情をどうにか原因を作りたいから周りへと押し付けていく。そして周りがひどいという世界を作り上げていく。
悪循環以外の何者でもないんだけど、これに気が付けないし、気が付いたとしてもコンフォートゾーンがあるからなかなか抜け出せないし、長年のアファメーションもあるので私の視点を変えられない。見たくない物を見る癖がついているから見たいものを見るのはスコトーマになり見たいものが見えない状態が当たり前なんだよね。
右に行きたいなら右に行く方法を考えたら良いんだよ。
それすらもわからなくなっていて、左には行きたくないという気持ちしかないからどうしたら良いのかわからないんだよね。
私たちは左に行きたくないって思ってしまうと、左をフォーカスしているので「脳」と「身体」の反応で無意識に左へと寄っていってしまう。
左に行きたくない。この行きたくない。の否定を脳はわからないので設定されるのは「左」しかも強く「左」はダメだと左にばかり意識が行くと体というのは無意識に左へと傾いていく。これも「脳」の仕組みです。
「観念運動的動作」と言われています。こっくりさんとか、ペンデュラムなどはこの「観念運動的動作」だと言われています。脳が強く思ったことを無意識に動作としてあらわしてしまう。
自分は動いていると思っていないので不思議な現象のように感じますが、実は無意識に動かしてしまっているようです。
無意識に動いちゃうんです!
いやだいやだと言いながらもついつい従ってしまうのも「脳」の癖かもしれないですね。だってそういう習慣になってしまっているんだもん。
周りが押し付けるからではなくて、押し付けられているのを受け入れているからなんですけどね。
だから押し付けられているのに反発している人を見るとイラっとする。私は我慢してやっているのにって感じちゃうんだよね。
やめれば良いじゃんって話しなんだけど、コンフォートゾーンとか色々と脳の仕組みがあるからそう簡単に辞められないから悩んじゃうのよ(笑)
だから本音を探そうよ。本音を知ろうよって話しなんだよね。
本当はどうしたいの?
何年も蓋をしてきたからなかなか見つけられないんだけど、本当はどうしたいの?
それができたら何を感じられるの?
この感じたい感情は、願いが叶わないと感じられないという思い込みになっているから今すぐは感じられないという設定になっている。
だからその設定を外して今すぐ感じられるようにできることから行動してみる。
やりたくないと思うなら、「ノー」と言う前に考えてみよう。何がやりたくないのか?
よく書いているけど、やりたくないことってだいたい一部が嫌だって言うだけなんだよ。
だから、嫌な部分を探し出す。
そうやって自分の気持ちと向き合うと無視されているように感じないから。
自分は何が嫌なのか?どうして欲しいのか?って考えていくと。
どっちの道に進みたいのか?って見えてくる。
右に行きたいのに左へばかり行っていたとしたら、左じゃなくて右に道があることをまず気が付いたほうが良いよね。
右に道があることに気が付けたら盲点が外れて右に道が見えてくる。
コンフォートゾーンが邪魔をして壁を作り出すから、右へ行くための方法を今度は考える。
どうしたら右へ行けるのか?どこまでお互いが歩み寄れるのか?
嫌だって思っていたことを崩していくと、道ができてくるんだよね。
自分の中で分裂していたものが少しずつ合わさってくる。
癖になっている考え方があるからなかなか見えてこないんだよね。
長年何かしながら何かをするって目の前のことに集中していないと、自分の考えに集中できなくなることがある。
こういう時は、呼吸を意識して「今」へと意識を戻してくると意識と動作があってくる。
まず意識と動作を合わせていくと、自分がしたい事も見えやすくなってくる。
頭で考えただけのやりたくないけどやるという自分の意見を無視しているやり方ではなくなるんだよね。
呼吸をしている。という呼吸に意識を向けられるようになると意識と体は一致する。意識と体が一致すると本当の私の声にも意識を向けやすくなる。
何を求めているのか?
矛盾して進んでいかないで、一致させて進めたら満足できそうな気がしたんだよ。
ただね、慣れ親しんだやり方を変えるのは時間がかかるからね。
ちょっとずつやりたいことを意識したいね。
「脳」の仕組みを使いこなせると自由になりそうだなってすごく感じるんだよね。
ハッピーデー
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