働きすぎて鬱病、頑張りすぎて鬱病。そんなことが珍しくなくなった近頃ですが、これがしっかり社会問題として認識されている割には、政府の対応はいささか手薄いように思えてしまうところがあります。

 とはいえ、別に政府への批判をここで書くつもりはありません。ここで記したいのは、社会構造(メインは資本主義)によって人々に強いられている過度な労働が、このような疾患を引き起こすということです。そしてもう一つ、社会構造が原因の一つとなり、沢山の人が鬱病になっているというこの事態は、人類の歴史を見ればかなり異様な状態だということです。


 鬱病は先進国では有名な病気になり、特にアメリカと日本でのうつ病患者は異常なほど多いと聞きます。理由はさまざまであるでしょうが、海外の人と話してて感じる肌感覚では、この両国はどちらも結果を出すことにシビアだという感じがします。中には、イメージ通りだなと感じる方もいるかもしれません。

 資本主義では、自分の行いがお金を生み出すという結果に結びつき、この結果が自分のブランドそのものに寄与するという構造が実現します。

 ただこれは社会というものの一側面に過ぎず、お金とは関係のないところで、ある程度自分の価値を認めてもらうことももちろんできます。

 しかし、お金というのは様々なものと交換できる性質をもっているが故、どこまで行っても魅力的です。だから、それを稼ぐことが結果として、自分の魅力を外へ打ち出すメインの方法になっしまうのです。結果として、働くということが何よりも重要になってしまい、それ以外の魅力が霞んで見えてしまうのです。


 ですが、資本主義という効率的な生産とお金儲けが主軸なった時代はここ最近の話です。経済史を深く学ばないと、お金がないと生きていけないという事態が、どれほど異常なのかが理解し難いと思います。しかし、今も田舎に行けば、相互扶助的な関係の中で支え合い、自分で生産した作物を与え合いながら生きている地域はあります。もちろん彼らも、全くお金を使わないで過ごしているわけではないでしょうが、生活を営むのにおけるお金の重要性は比較的小さいです。


 日本に話を絞れば、この国は稼ぐという行為のハードルが異様に高いです。だから当然、生きにくいと感じる人もたくさんいます。地域によって程度の差はあれ、生きるために頑張らざるを得ないのです。でも、周りを見渡せば、鬱病などになり、もう頑張れないのに頑張らさせられる人がちらほら。まったく、異常な状態です。


 かつては、働く=傍楽(はたらく)などと言って、他人を楽にさせてあげるからハタラクなんだという話もありました。ですが今の経済状況では、そういう発想も持ちにくいですよね。


 「頑張らなければならない」ではなく、「頑張りたい」と思える社会が来れば、とても幸せだと思うのですが、、、。すぐにはそのような時代は来そうにないですね。