ハムの人と茎わかめの思い出
ハムの人と言えば世間一般には別所哲也のことを言うが
わたしにとってのハムの人は神戸に住む私の父親
数カ月おきにお米やら何やらを箱に詰めて送ってくれるのだけど
その中で毎回やたらとハム類の占める割合が高い
ボンレスハム、焼豚、ウィンナー、ベーコン etc…
前から薄々不思議には思ってはいたんだけど
保存がきくからかな?とか
特に深く考えもせず有難く頂戴していた
この間、両親が東京に遊びに来て
一緒に沼津の民宿に泊まったとき朝ごはんにハムが出た
私はそんなに好きでもないし量も多くて食べられなかったので
父親にあげたらペロリと食べた
さらに母の分まで貰って食べていた
「自分ハム食べ過ぎやで」
と親戚のおっちゃんに突っ込まれて
「ぼくハム好きやねん」
あぁ、自分が大好きだから、
大好きなものをいつも箱にたくさん詰めて送ってくれてたのか
とそのとき思った
それ以来 より一層ハムの人=お父さん
というイメージが強くなってしまった
多分 私は今後一生、ハムを食べるたびに、
お父さんのことを思い出すと思う
同じように、
多分今後一生、茎わかめを食べるたびに思い出すであろうこともある
東日本大震災の日、
大学から帰れなくなってみんなで講堂に泊まることになった
阪神大震災のことを思い出して泣き
津波の怖い映像をみてこわばってるわたしに
一緒に働いてる人が美味しいよってくれた茎わかめ
私は茎わかめというものを初めて食べた
美味しかった
すごく特殊な状況での感動だったこともあり
きっと私は茎わかめを食べるたびに
多分一生今日のことを思い出すだろうな、って思いながら食べた
食べものと結びつく記憶はほかの記憶よりも強いのかな
特に私の場合は
覚えていたくても忘れていってしまうものがたくさんあるけど
少なくともハムと茎わかめは私に大事な記憶を思い出させてくれる
あと熱すぎるコーヒーの思い出もあるけど
それは内緒
桜も散り
今年は桜の咲いてる時間が短かったようにおもう
わたしたちが他のことに気を取られている間にも植物たちは花を咲かせ
新しい芽を出しぐんぐん成長している生きることをやめない
きのうは近所を散歩した
暖かくて歩いてるとあせが滲むほど
ずっと前にアド街ック天国に出ていたおそば屋さんをみつけて入る
店内には往年の銀幕スター(多分)たちのサイン
なつかしい雰囲気のいいお店でした
帰ってきてから依頼されてた名刺とDMの入稿をすませる
とにかくうっかり者なので気をつけてるつもりなんだけど
入稿後、ちゃんと現物を確認するまではいつも不安
あとは祈るしかない
朝からツイッター上には原発の存続や存在そのものの是非を問うツイートが並ぶ
そんなことは別の世界での出来事かのように信じられないほどいいお天気
日曜日の午後
最近のこと
インターネットは様々な情報を与えてくれる
ツイッターにはいろんな人のいろんなことばが次々に現れては消えていく
あたたかいことば 不安にさせることば もっともらしいことば
それをみて喜んだり悲しんだり 不安になったり安心したり
私ひとりが喜んだところで 不安になったところで 何も変わりはしないのに
東京の水も乳幼児には飲ませないようにと発表があったけど
そのうち大人も飲めなくなるのかな
てか乳幼児も大人もそんな違いないでしょうと思うんだけど
なんかもうぐちゃぐちゃになってるよね情報が
どうなることやら
それでもいまやってるデザインの仕事は順調に進んでいる
ロゴと名刺がほぼ決まった あとはDMだけ
最近思うのはデザインやるには国語力が必要だなーということ
企業でやってたときは文章書く人がいて、文字校する人がいたので
何も考えずただ与えられたテキストを貼り付けていただけ(乱暴に言えばだけど)だったけど
今はクライアントさん(個人経営が多い)の考えた文章を受け取って使うやりかたが多くて
やっぱりことばひとつの使い方で伝わり方も印象も違ってくるし
少なくとも商売向けであるなら誰にでも伝わるように
できるだけていねいでわかりやすく、誠実にかつシンプルに美しく、と思って
修正したり文章そのものを書きかえたりする
そんなこと言いながら私はまだまだなんですけどね
こーゆーのはどうでしょう?って提案して受け入れられたときに
心の中でやる小さいヨッシャ!が好きなので
クライアントさんの希望を受けつつ、まだ開けられてない引き出しを探すのが楽しい
大学の図書館のシステムがようやく復旧しつつあるので明日からまた仕事
がんばろ

一週間
地震から今日で一週間 地面とともに私の精神も揺れに揺れた
余震におびえ 街の殺伐とした空気とスーパーでの人々のぎらぎらした目を見て
阪神大震災の薄れていた思い出したくない記憶がじわじわとよみがえり
動悸やめまいがおこったりしてかなり不安定な日々だった
だけど昨日あたりからようやくすこし余裕ができてきて
デザインの仕事したり 音楽聴いたり 冗談言ったり
テレビ見て笑ったりできるようになってきた
わたしはほんとうに弱い人間だ ちょっとのことですぐバランスを崩す
だけど1週間で浮き上がってくることができた まだ全然大丈夫
そばにいてくれる人 とおくで心配し励ましてくれる人たちのおかげだ
まだまだ原発は予断ならない状況ではあるみたいだけど
いつかは終わる そのうちまた穏やかな日がやってくる
危険な状況で働いてくれている人、過酷な状況でがんばって生きている人
そういう人たちが一日も早く安全で安心して暮らせる日がきますように
祈ります 希望を持って
すじかいの重要性

またまた中学生時代の話
阪神大震災で、うちの学校の校舎は全壊した
校舎を新築するため、わたしたちはプレハブ校舎で卒業までの2年間を過ごした
ついでに言うと小学5・6年のときも校舎の建て替えでプレハブだった
プレハブ世代
そんなことは置いといて、そんな震災後の若干すさんだ日々を私たちはプレハブで過ごしていた
ある日の授業中だったか休み時間だったか、緊急の学年集会をやるということで
私たちの学年は校庭に集合させられた 先生たちはものすごく深刻な顔をしている
何事かと思っていると、学年主任の数学の先生が1本の鉄の棒をかかげて、
「これ外したんだれや!」と怒鳴った
一瞬何かわからなかったけれどそれはプレハブ校舎の天井と床をバッテンにつないでいる
すじかいというものだった それはねじ式になっていてねじると締まったり緩んだりするしくみで
誰かがねじって外していたらしい
「外したやつ出てこい!!」と先生は何度も怒鳴った 恐る恐る出てきたのは女の子だった
先生はその子につかみかかり思いっきりビンタした しかも往復で 女の子は後ろに倒れた
眠かった訳ではないけど私は一気に目が覚めた 人が「はり倒される」のを初めて見た気がする
そのあとのことは覚えていない そのビンタが衝撃的すぎて
あれから15年以上経つけど未だに思い出したりする
そして「あんなに怒らんでも、女の子にビンタはひどい」と思っていた
話はかわって昨年末 新居に引っ越ししたときに無印良品の机を買った
組み立て式で、足の部分の左右と奥にすじかいがある
説明書をよく見ないで組み立てて、さぁMacをのせようとしたとき、机が左右にぐらんぐらん揺れた
わぁってびっくりして原因を調べてみるとすじかいの取り付け方を間違っていて、
ねじがちゃんと締まってなかった ねじを締め直したら動くことはなくなった
隣に棚がなかったらぺちゃんと潰れていたね、と言った瞬間あのときのことを思い出した
すじかい一つ外しただけでもしかしたら校舎がぺちゃんと潰れていたかもしれないと
そのとき初めて先生があんなにも怒っていた意味がわかった
震災で幸運にも生き残った命
先生たちには何が何でも守らなきゃいけないという義務感があったのだと思う
考えたこともなかったけどわたしたちは守られていた
ありがたいなぁー
って心から思った
机組み立ててなかったらずっと気づかなかったかもしれない
気づけてよかった
きれいごとみたいな内容になってしまったけどさ
すじかいって大事なんだよ!!ものすごく!!
ってことが言いたかったのでした てかみんな知ってることなのかな
ああいう一見意味があるのかないのかよくわからないようなものにも
とても大事な意味があるのですね
またひとつ賢くなった
きさらぎ
mixi日記を読み返していたら、
ちょうど2年前の今日にこんなことを書いていた。
我ながらいいこと書くやんと思ったのでそのまま載せます
自分のために
2009年2月27日
あと1日で2月もおわり
早かったなぁ 本当に逃げるように過ぎてしまった
いつかやりたいと思ってることがあったとして
そのうちやろうと思っているうちに
もしかして次の瞬間大地震が起こって死んでしまったりしたら
死んでも死にきれないだろうな と思うから
やりたいことは出来るだけ早くやったほうがいい
どんな小さなことでも
最近 身内にいろいろあったりして
人生ってほんとに一筋縄ではいかないな と思う
ただ、意志の力や 冷静な思考と行動で回避できることって
ずいぶんたくさんあると思う
弱いのは誰もおんなじで
それを知っているかどうか
知った上で何をすべきなのかを考えることが大事
なんじゃないかと
おもいます
出来る範囲でやれることはしてあげたいけれど
周囲の人の支えはそりゃあ大きいけど
やっぱり乗り越えられるかは本人次第だと思うのです
それを自分の肝にも銘じて
こわいけどやっていくしかないです
明日からトーキョーいってきます
今度はカメラ持っていって、いっぱい写真撮ってきまーす
遊ぶぞー!
イチゴついでに
中学、たしか1年生のとき
冬休みの宿題で、「冬休みのしおり」の表紙に絵を描くというものがあった
わたしは家にあった本の写真をみながら青いかごにはいったイチゴの絵をかいた
そんなに力を注ぐほどの宿題でもないのに、突然スイッチが入り、勉強の方はそこそこに、
ガッシュで、緻密に、できるだけリアルに、時間をかけて一生懸命描いた
3学期、宿題を提出したらその絵を職員室でみた数学の先生が、授業のときすごく褒めてくれた
職員室の横の掲示板に貼ってくれ、おれはこの絵にお金出してもいいと言ってくれた
偏屈なオヤジだと思っていた数学の学年主任の先生
たぶんその絵がきっかけで、3年の卒業文集の表紙の絵を任された
めんどくさいなーとか言いつつ、ほんとはすごく嬉しかった
一生懸命がんばって描いた 推薦してくれた先生のために
当時は理解できなかった言葉や態度がいまになってわかったりする
気づくの遅すぎるけど、ほんとうに有り難いとおもう
わたしもそういう大人になりたいな
雪の宿
雪だ 積もっている
静かでつめたい外の景色を横目に
あたたかい部屋で春の食べ物を食べている
イチゴを食べるとき最も注意を払うのは
最後に甘いイチゴを食べるために選びながら食べるということ
できるだけ酸っぱそうなものは最初の方に片付けちゃう
最後の一粒が甘いか酸っぱいかで、満足感が全然違うから
そしてそれは人生においても言えることだろうか?
現時点での答えはノー
最後が甘いにこしたことはない
けど、生きてるうちに甘いと思えることに出会ったとき
甘いねぇって感動できる回数が多いことの方が幸せなんじゃないかな
などとまぁそういうことを考えた訳ですよ
こんなにさむい雪の夜に
そしていまは外で小さくなって眠る野良猫や動物たちのことを考えている
