いのちの重さ
きのう東京から友人が帰省してわが家でプチ忘年会をした
そこで友人のいとこに生まれた赤ちゃんが重い障害を抱えて生まれてきて、長く生きられないかもしれなく明日お見舞いにいくという話を聞いた
これから出産を控える身としては人ごととは思えずその話を聞いてからずっとそのことについて考えているので久しぶりにブログに書き留めておこうと思う
現在は出生前診断というのがあり、出産前にお腹の赤ちゃんに障害があるかどうか、かなりの確率でわかるらしい その診断を受けて、障害があるとわかった夫婦のうち高い割合が中絶を選択しているというニュースも最近みた 私はそれをみて考え込んだ もし自分だったらどうするか?実際その立場になってみなければその苦悩はわかるはずもないけど、きのうの友人の話をきいて考えて、なんとなく答えが出た
私は生みたい
たとえ障害があっても、私のところにきてくれたいのちだから 単に生まれてきてからの苦労がどんなものか想像が及んでないっていうのは確実にある でもそれも経験してみればいいと思う(あくまで自分に言ってるのであって他の人は他の考えがあると思います)
その生まれてきた子だって、たとえ長く生きられなくても、生んでもらってお母さんに抱いてもらえて、自分の生を全うできたら、しあわせなんじゃないかと
私の好きな漫画家の先生が、娘さんが二歳ぐらいのとき病気かなにかで危険な状態になったことがあったけど、その後なんとか無事に成長されて、その娘さんがあるとき「たとえ二歳のときに死んでたとしても、生まれてきて良かったと思う」というようなことを言っていた、とおっしゃっていた それを読んだ時はそうなんや、程度だったけど、いまその話を思い出してやっぱりそうだ、と思う
だから私はどんな子でも、自分のところにきてくれた子を思いきり抱きしめてあげたいと思う きれいごとでもいまお腹でポコポコ動いているこの子のことを考えたらそれ以外の答えは見つからない
あと、これもお見舞いにいってきた友人から聞いただけだけど、年の瀬だろうがお正月だろうが、病院で闘ってるちいさないのちが、身近にもたくさんあるんだということを忘れずにいたい
それからさっきTwitterで流れてきたこの寒空の下渋谷の公園から追い出されたホームレスのおじさん達にもお母さんがいて、きっとみんな大きなお腹をさすりながら、生まれてくるわが子がしあわせであって欲しいと願っていたであろうということも。
関係ないようでどれもおなじいのちの重さのお話
年の瀬に重い話になってしまいましたが、皆様よいお年を。
そして来年もよろしくお願いします。
実験的に作品集の販売してみます
みなさまいかがお過ごしでしょうか
そんな大々的に宣伝するようなことではないのですが一応ここでも告知しとこうかと
tolotというフォトブックアプリで簡単な過去の作品集を作っていたのですが、東京を去るときにお世話になった人にあげてしまったので再発注しようと思うのですが、もしかしたら千人に一人くらい欲しいという方がいらっしゃるかも?という考えが頭をよぎったので実験的に販売してみます。
文庫本サイズのオールカラー62ページ
国内送料込みで1冊900円
※写真はイメージです
5月20日までにコメント・リプライ・メールなどからご連絡下さい。
今日現在4冊の注文頂いております
作ったものに反応があること、作品を欲しいと言ってもらえることが一番の着火剤だと改めて感じました
いつまでもダラダラしている場合ではない!と思いたち新しい作品制作も始めようと思っている次第であります
とりあえずキャンバスを買いに行かないと
新しい生活
神戸に引越して二週間が経った
日々薄れてきてはいるものの、毎日感動と幸せを噛みしめて暮らしている
何がそんなに幸せかというと家族がすぐ近くにいること、多くの友人がすぐ近所に暮らしていること、電車が空いていること、時間の流れがゆっくりなこと、街が大きすぎないこと、山があって海があること…
とにかくそれまで普通だと思ってたことすべてがこんなにも自分に安心感を与えてくれていたのだと知ることができたこと
東京でもそうしようと努力すれば出来たのかもしれないがそういう場所はもうここにあるので今となってはどうでもいい
あとは新しい家の周辺の環境がとても気に入っている
山の手ではないが窓から六甲山系がみえて、少し遠くで電車の走る音が聞こえ、近所に商店街や昔ながらのお店があり川辺でイノシシが昼寝している
これからしばらくはここで暮らすのだ
まだ実感がもてないけどここが自分の街になることが嬉しい
たくさんの物件見すぎてわけが分からなくなりながらも身の丈(よりほんの少し上)にあった正しい選択が出来たあの時の自分偉い!と思う
あとはしっかり生活するだけだ
部屋が片付いたらまた絵も描き始めよう
舌切り雀の涙
さっき来た一通のメールが悲しすぎて
忘れかけてた悲しみの無限ループから逃れようと
大きな声で歌おうとしたけど
舌にできた口内炎のせいで歌も歌えない
泣きながら 口内炎ぐらいでこんなに不憫なら
舌切り雀の悲しみはいかばかりかと
おもうと少し楽になった
世界はひとつになんてなれないよ
こう見えてしつこい性格なもんでして
またもや昨日の続きなんだけどさ
だって70億人分の世界があるんだよ
昨日も書いたように私は70億の世界が共存する方法を探す方がいいと思ってる
宗教とか国とか人種とか
無理やりひとつにしようとするから問題が起こり続けるんでしょ
かく言う私も70億分の1との議論を未だに引きずってる訳ですが
結局TPP参加によるメリットはネット上には見つけられなかった
だってまず交渉の席につかなければ具体的な内容が教えて貰えないらしいじゃないの
んで交渉の席についてしまえば最後、
拒否する権利建前上はあるけど実質ないに等しいらしいし
まあ安倍さんとオバマ大統領の関係見てればわかるよね
だからってグジグジ言ってもわが国の総理は参加すると宣言してしまった訳で 見守るしかないのよね
経済とかGDPとかTPPとかなんとか
どんどん私たちの日常と離れて行ってる気がする
なにひとつ現実とは思えない
坂口恭平氏のいう態度経済のほうがよっぽど体の真ん中にストンとくるよ
わたしもそっちの世界に行きたいな
無題
きのう というか さっき
ある人と日本のTPP参加について議論になった
私は目についたいくつかの意見を読む限り 悪いことしか見えてこず参加してもいいことはなさそうだし そんな怪しいもの入らなくていいんじゃないのと思っているんだけど
相手は参加した方がいいと思っているようで 何度かやりとりしてみたけど世界はひとつになったほうがいいとか抽象的なことばが並ぶだけで 結局参加するとどんないいことがあるのかはわからなかった
多分これ以上話しても無駄と判断し
気まずい雰囲気を残したまま議論するのをやめた
とりあえず自分でTPP参加によるメリットを調べてみようかと思っている
人はそれぞれものごとに優先順位をつけて生きている
お金・経済が第一の人もいれば
家族が一番の人、仕事や趣味やその他
細かく分ければもっと色々
311以降それがはっきりくっきりになった
高橋源一郎さんが書いていたけど
人は説得されて意見を変えることはない
多分大事なものの順番が違うから
話したって分かり合えるはずもない
そういう経験を私も何度かしたけど
議論して良かったと思ったのは一度だけだった
それもやはり優先順位の似た相手とだったので、完全に違う人とは議論するだけ無駄というもの かもしれない
説得しようと思うことが傲慢なんだよね
出来るのは お互いの意見の違いを認めて共存することだけ
私はこの年になって、子どもが欲しいと思うようになった
自分の子をこの手で抱きたい 家族を増やしたい
そしてその家族で穏やかに暮らしたい
ありきたりなようだけど今望んでいるのはそれだけなので
それに関係ないことは特にこだわらない
叶うかどうかはわからないけど、
子どもを産んで育てるならあと数十年は元気でいなくちゃならない
そのためには食べるものや生活を見直した方がいい
だから生活を脅かす原発や遺伝子組み換え作物は拒否したい
流れとしては当たり前だと思っているのだけど
わからない人にはわからないんだろうね
原発も、大気汚染も、遺伝子組み換え作物も、わけのわからない添加物まみれの食品も、
嫌だけどまあどうにもならないこともある
私は自分の出来る範囲で私の大切な人を守り、助け、生きるだけだ
それでも生きられなくなったら死ぬだけだ
だから変な対立や無駄な争いはしないほうがいい
そーゆーことなのです
天才でごめんなさい
先週の土曜日 六本木の21_21でやってるデザインあ展と
森美術館の会田誠展「天才でごめんなさい」にいってきた
あ展は体験型の展示が多くて、子どもに混じって無邪気に遊ぶ
人がもう少し少なければもっとじっくりいろいろやってみたかったのだけど
とにかく子どもを差し置いて前に出て行くことも出来ず
ワタリウムのようにパスポート制にしてくれたらなぁ
最後のワークショップで10歳ぐらいの少年と相席して色鉛筆とクレヨンで
風呂敷のデザインをしたんだけど、これも机が空くのをまっている人の行列が視界に入り
若干塗りが雑になってしまった でも届くのたのしみ
会田誠氏は、そんなに好きでもないんだけど
今回の展覧会や作品がツイッターで色々と物議を醸してるし
とりあえず自分の目で観ておいたほうがいいかなということで行って来た
個人的には一人デモのやつが一番好きだった
職人のような精緻で美麗な日本画からクソガキが描いたとしか思えないような
絵やインスタレーションまで 振り幅がとてもひろくて確かに天才なのかなと
ただこれを天才というなら 私も十分天才じゃなかろうか と思わないこともなかった
技術やら人脈やら資金やらそーゆうものはかなわないにしても
だからきっとこの程度の天才は表に出ないだけで五万といるんだろうなぁ
なんて偉そうなことを書いてみたり
自分より巧い人を探せばキリがないけど
シーンの一番上にいるような人でも実は全然遠くない
と最近よく思う
じゃあ何が違うんだろう?
それがわかればきっと「売れっ子」になれるんだよ
わたしの目標はそこではないので考える気もないけど
もっと遠慮せず卑下することもなくどんどん作っていったらいいんじゃないの、
と思ったのでした
悶々
日々の生活の中で
あ、これブログに書こう
ってことがたまにあるんだけど
PCのある部屋が寒い、という理由だけで
重い腰を上げるほどの気力もなく
あれ 何が言いたかったんだっけ?
ってのを何回繰り返しただろう
そしていまとくに書きたいこともないのに
入稿の合間に久々にブログをひらいてキーボードを打っている
4月に神戸に帰ることになったので
いまその準備中



