空気が読めなかった八田亜矢子
昨日は急ぎの原稿があったんであまりテレビを観られなかったんですが、なんとかテレビ東京の日曜ビッグバラエティ『世界の秘境に嫁いだ日本人妻』だけは観ました。
少し前にTBSで同じような番組をやってまして、私もそれをブログに書いたんですけれど、こっちのほうがなんか面白かったです。最初、見栄晴が出てきた時はTBS同様、最近観ないタレントの救済番組かと思いましたが、そんなことはなかったようです。たぶん。
で、内容はTBSのとほとんど同じなのに、なんでこっちのほうが面白く感じたのかと言えば、それはやっぱり見せ方ですよね。うん。TBSはなんかただ秘境で頑張る日本人を映してただけな上、さらに半分素人化してるようなタレントを引っ張り出してきてたんで、番組自体が暗いというか貧乏臭い感じになってたんですよね。ところがこっちはもっとバラエティ色を出す感じとでもいいましょうか、出てるタレントも番組を盛り上げようと頑張ってたもんで、あっちより明るく楽しい印象を受ける番組になってました。
それと、現地の食事風景を多めに紹介してたのも、個人的には素晴らしいと思いましたよ。やっぱ文化を紹介するのに食は欠かせませんし…なんて難しいことは抜きに、単純に「これは絶対にうまいぞ!」なんて、何度も叫びそうになっちゃいましたからね。えぇ。ネパール料理とかね。特に。わたし、ネパール萌えなもんですから。ご飯ものもチャパティもどっちも喰いてぇ~なんて思っちゃいました。
ただ1個だけ、ニューカレドニアの日本人妻が作ったパンを受け取る八田亜矢子の、その手の先できらびやかに光りまくる派手なネイルだけは、南国の太陽に反射して私には眩しすぎたかな…。あれ、現地でやったのかしら? 別に女性タレントが自分を綺麗に見せようとするのが悪いというわけではないんですよ。でもTPOってものがあるだろうと。お前が主役じゃないだろうと。なに現地奥様の日焼けした化粧っ気のないお顔とのコントラスト強調してんだよと。そういう所に頭が回らないから、お前はタレントとして頭打ちなんだろうと。…とまぁ、そんなことをちょっぴりだけ思ってしまいました。世間的には八田さんより派手で頭が悪いイメージのある小森純のほうが、たぶんもっと状況を考えた格好で出演してただろうな~なんてね。それが売れる人とそこそこで止まる人の分水嶺だな、みたいな。ちょっとお勉強になったりもしました。おしまい。
少し前にTBSで同じような番組をやってまして、私もそれをブログに書いたんですけれど、こっちのほうがなんか面白かったです。最初、見栄晴が出てきた時はTBS同様、最近観ないタレントの救済番組かと思いましたが、そんなことはなかったようです。たぶん。
で、内容はTBSのとほとんど同じなのに、なんでこっちのほうが面白く感じたのかと言えば、それはやっぱり見せ方ですよね。うん。TBSはなんかただ秘境で頑張る日本人を映してただけな上、さらに半分素人化してるようなタレントを引っ張り出してきてたんで、番組自体が暗いというか貧乏臭い感じになってたんですよね。ところがこっちはもっとバラエティ色を出す感じとでもいいましょうか、出てるタレントも番組を盛り上げようと頑張ってたもんで、あっちより明るく楽しい印象を受ける番組になってました。
それと、現地の食事風景を多めに紹介してたのも、個人的には素晴らしいと思いましたよ。やっぱ文化を紹介するのに食は欠かせませんし…なんて難しいことは抜きに、単純に「これは絶対にうまいぞ!」なんて、何度も叫びそうになっちゃいましたからね。えぇ。ネパール料理とかね。特に。わたし、ネパール萌えなもんですから。ご飯ものもチャパティもどっちも喰いてぇ~なんて思っちゃいました。
ただ1個だけ、ニューカレドニアの日本人妻が作ったパンを受け取る八田亜矢子の、その手の先できらびやかに光りまくる派手なネイルだけは、南国の太陽に反射して私には眩しすぎたかな…。あれ、現地でやったのかしら? 別に女性タレントが自分を綺麗に見せようとするのが悪いというわけではないんですよ。でもTPOってものがあるだろうと。お前が主役じゃないだろうと。なに現地奥様の日焼けした化粧っ気のないお顔とのコントラスト強調してんだよと。そういう所に頭が回らないから、お前はタレントとして頭打ちなんだろうと。…とまぁ、そんなことをちょっぴりだけ思ってしまいました。世間的には八田さんより派手で頭が悪いイメージのある小森純のほうが、たぶんもっと状況を考えた格好で出演してただろうな~なんてね。それが売れる人とそこそこで止まる人の分水嶺だな、みたいな。ちょっとお勉強になったりもしました。おしまい。
カメラ選びのお話
昨日は仕事が立て込んでてテレビをほとんど観ておりません。なのでまた違うお話を…。
私は写真も仕事で撮ってるもんで、よく担当の編集者さんなどから「カメラ買おうと思うんですけど、やっぱりBeCheesさんが使ってるような高いカメラのほうがいいですかね?」なんて聞かれます。私がもう5年近く前のフラッグシップ機をメインに使っているとは知らずにね。そんなことを聞いてくるのですよ。
で、それに対して私はいつも「高いカメラのほうがいいわけではないです」と答えています。なぜなら、カメラというのはその人の用途に合わせて選ぶものだからです。
例えば「難しいことをしないでも綺麗な写真が撮りたい」という人がいるとします。で、そういう人のためにあるのが、デジタルコンパクトカメラやエントリーモデルのデジタル一眼レフ。最初から比較的シャープで、一見するときれいに見える画像が撮れるよう設定されていたり、難しい露出の判断をしなくとも、シーンモードを使えば況に合わせてカメラが自動的に露出を決めてくれたり、さらには暗い所では「このままだと絶対に手振れする!」と、カメラが勝手に判断して、フラッシュを焚いたり、感度を自動で上げてくれたりなどなど、まさに「簡単に綺麗な写真が撮れる」ことを前提に作られているのです。
しかもエントリーモデルは大抵、軽く、小さいく、しかも初心者が使うであろう機能がすぐに使えるように配置されているので、写真を初めてみようという人は、これを買わない手はないでしょう。
逆にプロが使うようなカメラは、高くなればなるほどそういう便利な機能は減っていきます。なぜかというと、そういうカメラを使う人にとって、それらはほとんどが邪魔なだけだからです。画像は後でパソコンで処理したり、カメラのカスタマイズ機能の自分好みに味付けするため、最初からシャープな設定である必要はありませんし、難しい露出も経験やら段階露出、画像処理などの技術でカバーするので、結果が自分で予想できないシーンモードなどは必要ありません。また、フラッシュを焚いたほうがいいか、感度を上げたほうがいいかの判断も、どれくらいでブレるか経験上からわかりますし、また意図する画によって使い分けるので、カメラに任せることはありません。だからプロ機はそういう人たちが使いやすいように、マニュアルでの操作がしやすく作られています。つまりエントリー機とはまったく正反対の性質を持っているのです。
他にもプロ機は、ファインダーの視野率100%とか、雨風もしのげる頑丈のボディだとか、そういう「仕事で使う人とって重要な要素」が山ほどあります。つまり簡単に言っちゃえば、エントリー機でも良い写真は撮れるけど、高いカメラのほうが仕事がサクサク進むし安心して使えるから使ってる…ということなのであります。
もちろん、プロ機とエントリー機の画質の違いとかもありますけど、そんなのは雑誌の場合、印刷された時点でほとんどが「なきがごとし」になってしまいますからね。そこを凄くうるさく言う人は、少なくとも私のまわりにはいません。それにWeb系の仕事も、大抵は画像をリサイズして使いますからね。せいぜい皆が気にするのは、高感度の画質くらいなものです。
そんなわけで、またもやテレビとは関係ない話を長々書いてしまいましたが、カメラに限らず道具っていうのは、その人がその時点で一番使い安いものを選ぶのが一番かと。…などと言いつつ、私が今のカメラを使っているのは、現行のフラッグシップ機を買えるほど経済的な余裕がないからなんですけれどもね…。なんせ激安店で買っても60万ですから。この出版不況の最中に銀塩時代の2倍以上とか、本当に困ったものであります。おしまい。
私は写真も仕事で撮ってるもんで、よく担当の編集者さんなどから「カメラ買おうと思うんですけど、やっぱりBeCheesさんが使ってるような高いカメラのほうがいいですかね?」なんて聞かれます。私がもう5年近く前のフラッグシップ機をメインに使っているとは知らずにね。そんなことを聞いてくるのですよ。
で、それに対して私はいつも「高いカメラのほうがいいわけではないです」と答えています。なぜなら、カメラというのはその人の用途に合わせて選ぶものだからです。
例えば「難しいことをしないでも綺麗な写真が撮りたい」という人がいるとします。で、そういう人のためにあるのが、デジタルコンパクトカメラやエントリーモデルのデジタル一眼レフ。最初から比較的シャープで、一見するときれいに見える画像が撮れるよう設定されていたり、難しい露出の判断をしなくとも、シーンモードを使えば況に合わせてカメラが自動的に露出を決めてくれたり、さらには暗い所では「このままだと絶対に手振れする!」と、カメラが勝手に判断して、フラッシュを焚いたり、感度を自動で上げてくれたりなどなど、まさに「簡単に綺麗な写真が撮れる」ことを前提に作られているのです。
しかもエントリーモデルは大抵、軽く、小さいく、しかも初心者が使うであろう機能がすぐに使えるように配置されているので、写真を初めてみようという人は、これを買わない手はないでしょう。
逆にプロが使うようなカメラは、高くなればなるほどそういう便利な機能は減っていきます。なぜかというと、そういうカメラを使う人にとって、それらはほとんどが邪魔なだけだからです。画像は後でパソコンで処理したり、カメラのカスタマイズ機能の自分好みに味付けするため、最初からシャープな設定である必要はありませんし、難しい露出も経験やら段階露出、画像処理などの技術でカバーするので、結果が自分で予想できないシーンモードなどは必要ありません。また、フラッシュを焚いたほうがいいか、感度を上げたほうがいいかの判断も、どれくらいでブレるか経験上からわかりますし、また意図する画によって使い分けるので、カメラに任せることはありません。だからプロ機はそういう人たちが使いやすいように、マニュアルでの操作がしやすく作られています。つまりエントリー機とはまったく正反対の性質を持っているのです。
他にもプロ機は、ファインダーの視野率100%とか、雨風もしのげる頑丈のボディだとか、そういう「仕事で使う人とって重要な要素」が山ほどあります。つまり簡単に言っちゃえば、エントリー機でも良い写真は撮れるけど、高いカメラのほうが仕事がサクサク進むし安心して使えるから使ってる…ということなのであります。
もちろん、プロ機とエントリー機の画質の違いとかもありますけど、そんなのは雑誌の場合、印刷された時点でほとんどが「なきがごとし」になってしまいますからね。そこを凄くうるさく言う人は、少なくとも私のまわりにはいません。それにWeb系の仕事も、大抵は画像をリサイズして使いますからね。せいぜい皆が気にするのは、高感度の画質くらいなものです。
そんなわけで、またもやテレビとは関係ない話を長々書いてしまいましたが、カメラに限らず道具っていうのは、その人がその時点で一番使い安いものを選ぶのが一番かと。…などと言いつつ、私が今のカメラを使っているのは、現行のフラッグシップ機を買えるほど経済的な余裕がないからなんですけれどもね…。なんせ激安店で買っても60万ですから。この出版不況の最中に銀塩時代の2倍以上とか、本当に困ったものであります。おしまい。
アシタカは理想主義の八方美人男
昨日は日本テレビの『金曜ロードショー ジブリがいっぱい もののけ姫』を観ました。
もののけ姫は上映当時だったかに一度観て、その後もテレビか何かで観てるんですけど、なんだろう、面白いんだけどなんか違和感のある映画だったんですね。その後にやった宮崎監督の『千と千尋の神隠し』はすんなりと楽しめたし、さらにその後の『ハウルの動く城』とか『崖の上のポニョ』は単純にエンタテイメント的な面白さに欠けてたんですけども、もののけ姫は面白いとは思うものの、なんか「う~ん…」となるのです。
で、昨日、久々に観ててなんかその違和感の理由がわかりました。私は主人公(なのか?)・アシタカを通してこの映画で描かれる「男性像」がダメなのだと。
アシタカはある意味、この映画では超人です。辛い運命を受け入れ、それに立ち向かい、真実を求め、さらに弱きを助け争いを好まず、偏見も持たず、自然を愛する平和主義者。もうね、そりゃモテモテのスーパーマンですよ。こんな男がいたらいいなの典型です。理想像です。
でも、それゆえアシタカは人としては八方美人でもあります。そりゃそうなりますよね。だって、彼の理想は「もののけも人間も仲良く暮らせる世の中」ですから。サンを自然、たたら場を人間社会として描いているから、どうしてもどっちつかずの結末になるのは当然なのです。
…が、実際の所はアシタカはたたら場で生きることを選び、時たまサンに会うという、なんとも都合の良い結論を出すわけで、これはね、そのまま人間社会に当てはめると都合が良すぎるのです。あまりに八方美人過ぎるのであります。理想という名の下に、ひとりの女をほったらかしにするという、実に前時代的な男性像なのです。
この映画のファンの人は「宮崎監督の言ってるのはそんなチンケな男女の話じゃね~よ!」と怒るかもしれませんが、でも最後のサンの立場って、明らかに「結局は人間に翻弄される自然の象徴」であり「絶滅するものの最後の姿」ですからね。これをして「自然と人間の共存」を説くのは無理があるかと。あまりにも人間様の都合でしかなくて、その象徴的な部分がアシタカのパーソナリティーの乗っかってる気がするんですよね、私は。
だから結局の所、なんでそう思ってしまうかと言えば、この映画は自然と人間の共存とか、男女の関係なんかをあまりにも理想的に、ストイックに描こうとし過ぎてるのですよ。で、そこで答えを出そうとするから、私みたいな俗物はアシタカを通して描かれる男性像に、無意識の嫌悪感を憶えちゃうんではないかと。な~んてね(笑)。
ま、アニメをこんな風に考えた所でなんも面白くはないんで、これはあくまで私の中の確認作業ってことでどうかひとつ。そう思わない人も多いでしょうし、感じ方は人それぞれですからね。ただ最後に、今回のもののけ姫から4週連続となる「ジブリがいっぱい」シリーズの最後が『ゲド戦記』なのは、はたしてジブリ的にはいかがなものかと…。おしまい。
もののけ姫は上映当時だったかに一度観て、その後もテレビか何かで観てるんですけど、なんだろう、面白いんだけどなんか違和感のある映画だったんですね。その後にやった宮崎監督の『千と千尋の神隠し』はすんなりと楽しめたし、さらにその後の『ハウルの動く城』とか『崖の上のポニョ』は単純にエンタテイメント的な面白さに欠けてたんですけども、もののけ姫は面白いとは思うものの、なんか「う~ん…」となるのです。
で、昨日、久々に観ててなんかその違和感の理由がわかりました。私は主人公(なのか?)・アシタカを通してこの映画で描かれる「男性像」がダメなのだと。
アシタカはある意味、この映画では超人です。辛い運命を受け入れ、それに立ち向かい、真実を求め、さらに弱きを助け争いを好まず、偏見も持たず、自然を愛する平和主義者。もうね、そりゃモテモテのスーパーマンですよ。こんな男がいたらいいなの典型です。理想像です。
でも、それゆえアシタカは人としては八方美人でもあります。そりゃそうなりますよね。だって、彼の理想は「もののけも人間も仲良く暮らせる世の中」ですから。サンを自然、たたら場を人間社会として描いているから、どうしてもどっちつかずの結末になるのは当然なのです。
…が、実際の所はアシタカはたたら場で生きることを選び、時たまサンに会うという、なんとも都合の良い結論を出すわけで、これはね、そのまま人間社会に当てはめると都合が良すぎるのです。あまりに八方美人過ぎるのであります。理想という名の下に、ひとりの女をほったらかしにするという、実に前時代的な男性像なのです。
この映画のファンの人は「宮崎監督の言ってるのはそんなチンケな男女の話じゃね~よ!」と怒るかもしれませんが、でも最後のサンの立場って、明らかに「結局は人間に翻弄される自然の象徴」であり「絶滅するものの最後の姿」ですからね。これをして「自然と人間の共存」を説くのは無理があるかと。あまりにも人間様の都合でしかなくて、その象徴的な部分がアシタカのパーソナリティーの乗っかってる気がするんですよね、私は。
だから結局の所、なんでそう思ってしまうかと言えば、この映画は自然と人間の共存とか、男女の関係なんかをあまりにも理想的に、ストイックに描こうとし過ぎてるのですよ。で、そこで答えを出そうとするから、私みたいな俗物はアシタカを通して描かれる男性像に、無意識の嫌悪感を憶えちゃうんではないかと。な~んてね(笑)。
ま、アニメをこんな風に考えた所でなんも面白くはないんで、これはあくまで私の中の確認作業ってことでどうかひとつ。そう思わない人も多いでしょうし、感じ方は人それぞれですからね。ただ最後に、今回のもののけ姫から4週連続となる「ジブリがいっぱい」シリーズの最後が『ゲド戦記』なのは、はたしてジブリ的にはいかがなものかと…。おしまい。