私は、その会社に23歳の6月に入社し、28歳の2月に退職をしました。

24歳、25歳、27歳の時に年間トップを取ることができました。

当時の社長にトップを取って胸を張って退職しろと常に言われていました。


私も数多くの営業マンを知っていますが、トップを取って辞めて行った人を見たことがありませんでした。

数字が上がらず悩んでやめる、上司につめられてやめる、同僚にいじめられてやめる、など、ほとんどの人がこういった類のものでした。

だから私は辞める為に、私は起業するために、トップを取らなければいけない状況でした。


その時の私の頭の中にある発想は、少なくとも前向きな思考回路から成しえているものでしたので、独立・起業は本音そのものでした。

しかしながら、私もそんなに強くはなく、じつはこのやめるタイミング以前に2度ほど、社長に相談したことがありました。


どっちが先か?

上手く行かないから、独立したいのか?現状から逃げる口実なんだろ?

マイナス的状況から上手く行くイメージなどはいわゆるニセモノなんだ。

だからトップを取って辞めろ。そうすればその先も上手くいくから。

また最低でも現金4,000万円は貯めろと言われたのも覚えております。(そりゃ無理だよ・・・)


そんなことも懐かしく、自分でも納得ができる退職のタイミングが到来しました。


社長と朝までお酒を飲み、一緒に泣きました。

私は本当にずっと一緒に仕事がしたいと思っていましたが、私はその好きよりも自分の夢を取りました。


暖かい声援を背中で感じ、円満退社をすることができ、いよいよ、10年の時を経て、その時がやってきました・・・。




新幹線


今日は小田原に行きました。

何しに?

実はず~とお世話になっている銀行のお偉いさんふが、小田原の銀行に移動になってしまい、ご挨拶も兼ねて行ってきました。

往復約4時間。

行きは小田急ロマンスカー。

帰りは新幹線。新幹線なんて何年ぶり?超速い!

この写真がそうです。これを取るのは結構恥ずかしかったぜ~。行きのロマンスカーは断念しました。

実りのある小旅行でした。


私の経歴のネタが・・・。

と言うことで、新たにこんな企画。

「トップ営業マンへの道のり」

これをはじめよ~と思います。

うちの新人営業マン達も毎日、必死に勉強してるから、少しでもためになれば。


第一回目の今日は

何にしよう・・・。


やっぱり精神論からにしよう。


決意ですかね。

「トップ営業マンになりたい!」ではなく


「トップ営業マンになる!出来るまでやる!」

これが正しいのでは。


自分自身をコントロールする。まさにマインドコントロール。

自然とそう思えるように、何度も何度も自分に言い聞かせてみてください。


ネタがなくなるから小出しにしますね。では。


マジで超~ウザイことが今日おきた!

うちの営業マンが一生懸命頑張ってお客様との信頼関係を築き、物件をご紹介し、私も一緒に同行して案内をし、現場でお客様も物件を大変気にって頂き、駅までもわざわざ歩き、十分確認。


昨晩も深夜まで仕事をし、眠い目を擦りながら、朝から貴重な時間を作って頂いたお客様。


最後に残っているのは売主様の会社に行って、色と仕様の確認。それで問題がなければ、じゃぁ購入。

売主様に電話して●●現場の●号棟のプレゼンを予約。


意気揚々とみんなで売主様に。


開口一番、何号棟でしったけ?

「おいおい大丈夫かよ・・・」と私は思う。


隣の席でかなりでかい声で話している不動産屋。典型的な業者って感じの今時はやらない旧型ザクとにでもしておきましょう。

んでもって、目の前の売主様は、おいおいおい何しゃべってるか聞こえねーよってくらいの声。


お客さんは外壁と室内の色が気になっている。これは予め伝えてあります。


が・・・、分からない。工務店と連絡が取れない。これが理由らしい。


その後その彼はこう言います。


たしか標準色はこの色です。でも現場優先になりますから・・・。これを2回くらい繰り返します。


「はぁ?」さすがに耳を疑いました。


ここで整理しますね。

①お客様は6000万円近くの物件を購入しようか真剣に検討している。

②お客様は内装・外装の色を心配している。

③そのことは売主様に伝えてある。

④建物が未完成のため、その確認のため売主様の会社にみんなでお邪魔している。


何、現場優先って・・・・。

色が分からない、でも標準色は確かこれ、でも違うかも、だから現場のが正しい・・・・。色が違っても文句言わないでねってことだろ。 


はぁ????なめとんか。


しかもな、未完成物件だから、色が分からないから、今ここにいるんだよ。いい加減しろよ。挙句、何だよ現場優先って!


私は業界8年ですが、こんなひどいプレゼンは初めてでした。


言うまでもありません。お客様はご立腹。当たり前。


●●様、きっと良い物件をご紹介致しますので、今後とも宜しくお願い申し上げます。


私は、その上司の部下となり、本当の意味での自由の厳しさを学習しました。

まぁ~今になって振り返り考えると、当時の社長が北島のサブちゃんで親父、その奥様が姉さん、その練馬の元ヤン上司が山本のジョージで兄貴って感じですかね。んで自分があの誰でしたっけ、コガネザワとか言う人ですかね?


そんな感じで毎日楽しくやっていました。


たくさんのお客様に購入して頂きました。

契約中に夫婦喧嘩が始まってしまったお客様、小切手をビリビリにやぶってしまった方、号泣し物件購入を断念されたお客様、それぞれがドラマでした。


私は、そんなお客様方やサブちゃんや姉さん、兄貴達に勉強させてもらいました。


私は人の使い方が上手いと昔から言われていたような気がします。これは部下の使い方と言うのではなく、上手く人を利用するということです。

自分一人で出来ることには限界があります。だから私は、手の空いてる人、仕事のできる人にすぐ頼みます。

その上司たちはもちろんのこと、北斗の拳に登場するケンシロウの眉毛にそっくりな業務のケンチャンや、わがままを聞いてくれるモエ~設計のキングなど、たくさん仕事を頼みました。

たまに嫌な顔されますが、そのへんの遠慮は禁物です。ペースがくずれますからね。

私は、流れ、ペース、勢い、テンション、瞬間、インスピレーションを大切に考えていましたから。


中でもサブちゃんと姉さんには世話になりっぱなしでしたね。

仕事はもちろん、プライベートでも

「そろそろ肉が食べたいんですけど・・・」「久しぶりにヒルトンで飲みたいですね。」

とか言って、良く連れて行ってもらいました。

先日も当社が引越ししたときに、「笑っていいとも」クラスの大きなお花を頂きました。(ありがとうございます。)

私がハワイ好きになったのもその人たちの影響です。毎年、ハワイではご一緒させて頂いておりました。


私はとても恵まれていますね。








私の営業成績は順調でした。

その頃でしょうか?当時の私の上司と衝突し退職を決意したのは・・・。


子供だった私は、今までの契約を全て自分でこなしていたかのように感じていました。

毎月の部の数字も私の成績にかなり連動しておりましたので、他の営業マンやその上司にさえ、もっと数字を作ってくれよって正直思っていました。

これ以上この人とは無理だ・・・。荷物をまとめました。

しかし、社長に説得をされ、私の上司を変えてもらえるということになり、私はそれ以外辞める理由はありませんでしたので、納得しまた頑張ることに。


次の私の上司は、兄貴的存在の元ヤンの人でした。

前の上司とはマギャク!

何がって・・・


何も言わない。


この人にも大変お世話になりました。

営業しながら、考えないといけない、自分でやらないといけない、などなど、かなり勉強になりました。

だってやってくれないんだもの・・・。(これを見てたら怒られそう・・・)


もちろん、私では処理しきれないスーパートラブルの時には、出てきてまとめて頂きました。(ありがとうございます。)

その人は常々言ってました。「俺がやったってしょうがないじゃん。」

だから感謝しています。

言わない、しない、見てるだけ。


実はこれは大変なストレスですよね。


 私は最初の上司にたくさん助けられていたんだなぁと思いながらも、自分でやらないといけない状況におり、1から10まで出来るようになろうと考え始めていました。

私には親友がいます。

その一人と昨晩、高井戸倶楽部で飲んでいました。

坊主頭でおしゃれで地元で一番気遣いができ責任感の強い人です。

彼とは、小学校から同じで中学のときに急速に仲良くなり、現在に至ります。

いろいろ遊びました。

川口湖での転覆事故や、坊主頭で上九一色村に潜入を試みたり、などなど。他の事は刺激が強いので書けません。


昨晩は昔話をするわけでもなく、あっというまに時間が流れていました。

娘の誕生日プレゼントまで用意をしてくれいて・・・。


私の親友はみんな長男で、自己主張が強く、不思議な集団です。

そんな中でも、彼は、いわゆる真面目なんです。不器用なのでしょう。


彼は私の事を、物腰が柔らかくなったと言いましたが、今考えると彼もそのように感じます。

お互い年をとったということですね。

40、50、60才になっても、この関係は変わらないでしょうが・・・。




「社長は孤独」とよく耳にします。

社長になってみてはじめて思いましたが、社長の知り合いが増えます。

孤独な人たち同士が集まるのでしょうか?


先日もある社長と吉祥寺で飲みに行きました。


強烈な個性の持ち主。

私から見る先輩社長の一人です。

年齢も近いことから、たくさんのことが勉強になりました。

また刺激になります。


やっぱり、帰りに思ったことは、パワーがあるなぁ~。

俺も負けね~って、自然に思ってましたから。

とても有意義な時間でした。


昨日、8月12日は娘の3歳の誕生日でした。

夜6時ごろに会社を出て、いつものケーキ屋さんへ。

毎年そうですが、今回であれば「3」の形をした誕生日ケーキを作ってくれるケーキ屋さん。上北沢にある地元では有名店です。

花屋さん・本屋さんに立ち寄り急いで我が家へ。

3歳になる娘は今日が自分の誕生日だということを理解している様子。

それでは撮影会。

ケーキとアンパンマンの本とお花をテーブルにおき、娘はドレスに着替えさせる。

そうだな。多分30枚は取ったんじゃないかなぁ?

そのあとローソクに火をつけて、今度はビデオ。私は大忙し。

ハッピーバースディーを歌い、彼女がつばをたくさん飛ばしながら一生懸命ローソクの火を消している。

夕飯とケーキをたいらげ、今度はカミサン方のジジババ宅へ。

徒歩20分くらい。

誕生日プレゼントで自転車を買ってくれました。外車なんですこれが!

名前は忘れましたが、体重70キロ近い私が乗れるんです。ビクともせずに。

1時間くらい散歩をしながら我が家へ到着。

一緒に風呂に入り、一緒に寝ました。


未熟児で生まれ、院内感染により生死をさまよった娘が、元気に3歳になることができました。

今では想像することすら出来ませんが、他人事のようですが、当時は大変だったのでしょう。

不思議と当事者の私達は、周りの人がきっと想像しているほど、その瞬間辛いとか、大変だとか、悲しいとかあまり感じていませんでした。

言うまでもありませんが、そんなことを考えている余裕がないのです。


生後1ヶ月で緊急入院。

担当の医師から言われたこのセリフは今でも耳に焼きついています。

「万が一の場合、覚悟はして下さい。」

おいおい何言ってんだコイツ。こう思ったのも覚えています。


幸い、約40日間で無事退院することができました。

多少、肘に影響はありますが、大きな後遺症もなく、生活ができています。


私は、毎日、寝て起きて、家族と食事をし、仕事をし、友人と話し、休日は遊び、夜は酒を飲み、お金を貰い、お金を使い、楽しく生活をしています。当たり前のようにです。

この当たり前を壊さぬように、精進したいと思いました、突然ですが・・・。

なんでもコツだと思います。


 初めての契約後、自分の中で契約が取れたという自信がついたのでしょう。ぽつぽつと契約が取れるようになりました。

私はトップ営業マンになるのが目標でしたが、入社して確か初契約をしたのが8月頃でしたので、早く翌年が訪れるのが待ち遠しかったのを覚えています。

 いよいよ、その時です。

先輩営業マンたちと同じ土俵で、正々堂々と勝負ができる1月がやってきました。

1月4本、2月2本、3月1本、4月3本、4ヶ月で10本の成約。本数・売上げともに新記録をだすことができました。

当時の私の年間目標は契約数30本、売上げ1億でした。

このとき、営業マンの平均年間契約数は約10本、売上げは3500万~4000万です。


いや~、社長から褒められた褒められた。


私が徹底していたことは一つだけあります。

ネガティブな人たちとは付き合わない。飲みに行かない。


これは、教材販売時代のカリスマ専務から言われたことでした。

しかも、当時の面接中に・・・。


「いいか、岩本君。本当に営業で売り続けたいのなら、この会社の社員とは飲みに行くな。」


はぁ?って感じでした。だから、当時私は、飲みに行きまくってました。

しかし、でてくるのは、会社の愚痴や不安や、マイナス的な発言など。どれもこれも自分にとって、いや営業マンにとって不必要なことばかりでした。


なるほど。

それ以来、友人、意味のあるお酒、前向きな人、歓送迎会など、生意気にも選び参加するようになっていました。


不動産会社に入ってから、最初は頻繁に誘われました。それをことごとく、断りました。

私は、最年少、超生意気、社長に好かれ、飲みも断り、一番成績がいい・・・。


こんなにおもしろい酒のつまみはあるのでしょうか。


私は、こんな性格ですから、そんな状況がまるで苦にならず、むしろ少し嬉しいような気さえしていました。

だって、困ったときはそんな私を頼りにしてくるんだもの。年上の先輩達が。


夜になると、私の周りに営業マンが近づいてくる。

「岩ちゃん、まだ帰らないの?」

私に早く帰って欲しいみたい。その人たちは一番に会社をでるのが嫌みたいでした。

大体夜は8時から9時くらいには帰宅していました。前職はほぼ毎日終電でしたから随分と早くなり

私は仕事が楽しくて楽しくて、仕方ありませんでした。