奥武山公園駅からモノレールで10分程度。壷川駅に到着です。

降り立ってみると周囲は国道沿いのビルが立ち並んだ場所でここに神社があるのか少々不安な気分になりました。アセアセ

大通りから一本中に入ると今度は住宅街の雰囲気、逆にこんなところに神社があるのか不安になりました。アセアセ

 

 

 

■神徳寺
安里八幡宮の別当寺で真言宗のお寺です。中には人がいてお祈りをささげている様子。


お祈りをしている人を見ると、沖縄の参拝の方法は本土とは違っていますが、信仰心はほかのどの地域よりも強いのではないかと感じさせられます。キョロキョロ

 

 


■本堂

他の寺社仏閣と同じく本堂は赤瓦で敷かれています。ニコニコ
 

 


■安里八幡宮(琉球八社)

第6代琉球王 尚徳王の時代(15世紀中ごろ)の創建。御祭神は応神天皇、神功皇后、玉依姫命です。


創建は尚徳王が鬼界島討伐の際に吉凶を占うため天に矢を放った伝承に基づきます。王の軍は見事に勝利し、放った矢(神通矢)を垂迹として八幡大菩薩を号したと伝わります。

 

 


本殿は幼稚園に隣接しており、園庭の中に神社があります。

琉球八社の神社はすべて波上宮を除いてすべて近代社格制度の無格社となっています。
これは、沖縄の神社に氏子の制度がなく、王府からの経済的支援によっていたことが原因となります。キョロキョロ

 

琉球処分後は王府からの経済的支援がなくなったため、明治末年には美麗な建築として知られていた拝殿は倒壊してしまい、本殿は沖縄戦で被災全焼したと伝わります。ガーン
 

 


■シュガーローフ

「ありったけの地獄を詰め込んだ」とまで言われた沖縄戦で最大の激戦地です。この丘を巡ってアメリカ兵2,662名の戦死傷者を出しました。
日本兵に関しては人数すら記録に残っていません。

 

 

 

現在、丘の上には那覇市水道局の貯水塔が立っており、周りは安里配水池公園として整備されています。

 

 

 


公園内には鎮魂碑もなく、案内板と卒塔婆があるだけで、ひっそりとしています。


この周辺は戦後は米軍基地となり、返還後は再開発され新興住宅地になっています。
 

 



安里八幡宮から波上宮へ、、、
琉球八社のうち安里八幡宮、末吉神社、天久宮の4社の御朱印は波上宮で拝受することになります。行ってない神社の御朱印は頂戴できないので、今回は安里八幡宮の御朱印をいただきます。
 

県庁前駅で下車して波上宮に向かいます、社務所で安里八幡宮の御朱印をお願いすると、書置きの御朱印をいたけました。

時間的に余裕があるので、瀬長島温泉に向かいます。ニコニコ

 


■琉球温泉「竜神の湯」


モノレール赤嶺駅からバスで10分瀬長島という島にある温泉です。ここの名物は、オーシャンビューの露天風呂とロウリュウサウナです。

 

 

 

 

琉球八社も3社を巡りました。残りのうち3社那覇市にあります。

フラフラ歩いて巡る旅なので時間がかかっていますが、自動車であれば頑張れば1~2日で回ることができるのではないでしょうか。

 

全く意図していないのですが、琉球八社の旅は沖縄戦の戦跡とセットで紹介する感じになってきてます。南国のリゾート地というイメージが強い沖縄ですが、今回の旅を通して沖縄の別の側面を見ているように感じています。

 

 

 

 

琉球王国の巡礼地、琉球八社をフラフラ巡ってます。他の神社はこちらでニコニコ

【琉球八社】まとめページ 日本最南端の巡礼地

 


 

 

A.安里駅

ゆいレール県庁前駅から10分

 

B.安里八幡宮(琉球八社)

沖縄県那覇市安里124

 

C.シュガーローフ

 

D.おもろまち駅

 

 

※一之宮の御朱印は2018年4月にいただいたのですが、改めてフラフラします。

 

 

 

 

鹿児島中央駅から電車で1時間、隼人駅で下車。電車に乗ったタイミングで曇ってたのですが、駅に着いたときにはポツポツと雨が降っていました。
帰ろうかなと思いながら、トボトボ歩いていきます。

 



■鹿児島神宮(大隅国一之宮)
隼人駅から徒歩20分。鹿児島神宮に到着。

社伝によると創始は神代と伝わり、瓊瓊杵尊と穂穂出見尊の二代の宮殿であった高千穂宮を神社(今の石體神社)としたもので、和銅元年(708年)に現在地に遷座しました。

御祭神は天津日高彦穂穂出見尊とその后の豊玉比売命の2柱の神様になります。

 

 

 

■弥勒寺跡

鹿児島神宮の別当寺の跡で、今は宮内小学校になっています。

 



■二の鳥居
境内に続く道は国道のバイパスになっているようで、車の通行が多めです。

 



■奉納木馬(鈴かけ馬踊り)

毎年、旧暦の初午の日の直後の日曜日に初午祭が行われます。
「鈴かけ馬踊り」と呼ばれる珍しい風習で、花や錦などで飾った鞍を付けた馬を音楽に合わせて足踏みさせ、馬が踊っているように見せるお祭りで毎年20万人が訪れます。

 

 

 

こちらは新田神社(薩摩国一之宮)で行われている「鈴かけ馬踊り」です。ニコニコ
 

 


■本殿

本殿は島津重豪による再建で、鹿児島県内でも最大の木造建築として鹿児島県の有形文化財に指定されています。

 


■拝殿

拝殿には薩摩藩の絵師、木村探元の筆による天井画があり、花や野菜が描かれてます。びっくり

木村探元(1679-1767)は狩野探信の門人で近衛家に招かれて京都に赴き、禁裏にも作品を描いた近世薩摩画壇を代表する絵師です。

 



■勅使殿
鹿児島神宮は南九州で唯一の式内大社です。

天皇から幣帛を託された勅使を迎える場所として使われてきました。




鹿児島神宮から日秀神社へ、、、
一之宮でよくある光景ですが、正面は店や家が立ち並びにぎやかな雰囲気があり、裏には田園風景が広がります。照れ

鹿児島神宮の裏手から外に出ると目の前にいきなり牛小屋がありました。

のんびりとした雰囲気の中、山の上にある日秀神社に向かいます。

 

 

 

日秀上人は高野山で密法の奥旨を受けた真言宗の高僧で、補陀落渡海を試みた僧です。


これは那智勝浦から30日分の食料を積んだ小舟で、観音菩薩の住む補陀落浄土を目指す捨身行で、歴史上二十数人がおこない、一人として生きて戻ってきませんでした。
 

 



和歌山の補陀落山寺には復元された補陀落渡海船が展示されてます。


船の上に小屋が設けられた造りになっており、僧侶はそこに入って港を出ます。

(小屋の扉は外から釘で打ち付けられ、自力で外に出ることはできませんアセアセ

 

熊野を出港した日秀の船は、偶然にも海流に乗り琉球に漂着し、真言宗を伝えます。びっくり



■日秀神社(三光院)

琉球に漂着した日秀ですが、琉球での布教後、坊津経由で薩摩に渡っています。


坊津で一乗院寺を建立したあと、鹿児島神宮の再建に尽力し、近くに三光院を建立しそこで晩年をすごします。

 

 

 

鹿児島は廃仏毀釈が全国的にも激しく、県内の全ての寺が打ち壊されたと伝わります。ガーン

(藩主の菩提寺も神社に変えられてます。)


三光院も破却され、その後日秀神社として再建されています。

 

 


本殿の横にあるのは、日秀が彫ったと伝わる観音菩薩の石像。

 


さらに横には阿弥陀堂があり、日秀上人の遺骨が納められています。


島津義久は大友宗麟との合戦(耳川の戦い)に際し日秀に「降伏法」という調伏を日秀上人に請います。
 



日秀は、身命を捨てて大願をはたそうと、三光院付近の巖に石室を作り、死ぬまで読経を続け戦勝を祈願したと伝わります。日秀上人は75歳で入寂しました。

 


日秀神社の本殿から見た錦江湾の景色です。

本殿の軒先に座ってみると山の上から錦江湾が見渡せます。照れ

 

生きて戻れない航海の末、琉球と薩摩に足跡を残した日秀はここで最期を迎えます。

 




日秀神社から下山、、、
日秀神社から来た方向に逆に延びる道があったので、そっちを通って下山。

急な坂道をゆっくり歩いていくと、かなりの近道になりました、、、ガーン

 

いったん鹿児島神宮に戻って、もうしばらく近辺をフラフラします。




■隼人歴史民俗資料館鹿児島神宮の近くにある施設です。

気になって入ってみると、日秀上人に関する展示がありました。びっくり

 



日秀は調伏を行うにあたり、島津義久から笄を与えられており、実物が展示されてます。

他にも、上人が使用した硯や眼鏡も展示されていました。

(写真撮影OKとのことでした)

 



こちらは三光院の須彌壇です。本尊の阿弥陀如来は廃仏毀釈の中で失われています。



■卑弥呼・卑弥弓呼神社

鹿児島神宮から山沿いに進む道には神社が点在しています。

 

魏志倭人伝によると、卑弥弓呼は卑弥呼と敵対していた勢力の王です。

社伝によると卑弥弓呼と鹿児島神宮の御祭神の穂穂出見尊とは密かにつながりがあり、のちのヤマト朝廷に繋がったとされています。

(社伝によるとこの地に邪馬台国があったそうです。びっくり




■石體神社
鹿児島神宮の元宮で、高千穂宮の跡地に建てられたと伝わります。

御祭神は、鹿児島神宮と同じく穂穂出見尊と豊玉比売命です。

 

 

 

小さな狛犬が本殿を守ります。ニコニコ

 

 

 

御祭神の息子である鸕鶿草葺不合尊(ウガヤ フキアワセズ ノ ミコト)は産屋の床に敷く鵜の羽が敷き終わらないうちに産まれたと伝わるほど安産だったそうです。


この故事にちなみ、本殿の小石を持ち帰ると安産になるといわれています。これが岩田帯の起源と伝わっています。

 



■蛭子神社(大隅国二之宮)


蛭子(ヒルコ)はイザナギとイザナミの長男です。
体の形が定まらず、3歳まで立つこともできなかったため、楠で作った舟(天磐楠船)に乗せて流したと記紀に伝わる神様です。


 



ヒルコはエビスとも呼ばれ、戎神社の御祭神として商売の神様として崇拝されています。

本殿横には書置きの御朱印がありました。

 



■なげきの杜


蛭子神社の近くにあり、ヒルコが流れ着いたとされる場所です。


天磐楠船は根や枝が生えて大きな楠になり、周囲は楠の杜になったと伝わります。
楠は枯れてしまいましたが、切り株が神代の楠として残っています。

 

 

 

■神代の楠

神話か実話かはともかく、縄文時代はこの辺りまで海岸線が来ていたそうなので、モデルの話があれば相当古い話かもしれません。キョロキョロ


なげきの杜は日本最南端の歌枕として、いくつもの歌に詠まれています。

「時鳥 嘆きの杜に 逢わずして

    君が待夜や 過にけるかな」 後鳥羽上皇


「山風を なげきの杜の 落葉かな」 細川幽斎

 

 

 

日当山温泉に到着、、、

山沿いの道をフラフラ歩くと、JR日当山駅に着きます。電車の本数が少ないので、電車待ちがてら、近くの日当山温泉まで足を延ばします。

 

この辺りは温泉地としても有名で、坂本龍馬もお龍と一緒に立ち寄ったと伝わります。

 

 

 

■日当山温泉センター

旅の締めくくりは温泉というのがパターンになってきました。

 

タオルは貸出有りですが、シャンプーは持ち込みになるので、近所のコンビニで購入しておきましょう。

 

 

 

 

二回目の鹿児島神宮でしたが、今回は日秀神社を目的地として歩いてきました。

 

日秀が建立した寺院や再興した神社は今も沖縄で信仰されてます。薩摩でも廃仏毀釈で多くが失われたものの、足跡は今でも残っています。

 

ひょっとしたら自分は二度と死なないと自信を持っていた人なのかもしれません。本当に変わったお坊さんがいたもんです。。。

 

 

 

 

日本全国の一之宮をフラフラ巡っています。ほかの神社の旅はこちらでニコニコ

 

 

A.隼人駅

鹿児島中央駅からJR日豊本線で40分

片道660円

 

B.鹿児島神宮(大隅国一之宮)

所在地:鹿児島県霧島市隼人町内2496

隼人駅から徒歩30分

 

C.日秀神社(三光院)

所在地:鹿児島県霧島市隼人町朝日21

鹿児島神宮から徒歩40分

 

D.隼人歴史民俗資料館

所在地:鹿児島県霧島市隼人町内249

開館時間 午前9時~午後5時

入館料 大人130円

 

E.卑弥呼・卑弥弓呼神社

所在地:鹿児島県霧島市隼人町内

鹿児島神宮から徒歩10分

 

F.石體神社

所在地:鹿児島県霧島市隼人町内

鹿児島神宮から徒歩10分

 

G.蛭子神社(大隅国二之宮)

所在地:鹿児島県霧島市隼人町内2563

石體神社から徒歩30分

境内に書置きの御朱印あり(初穂料300円)

 

H.日当山温泉センター

所在地: 鹿児島県霧島市隼人町内1458

入湯料 250円

 

I.日当山駅

 

 

 

 

 

 

 



そもそも琉球八社とは、、、
琉球王朝時代に王府から寺禄を与えられたお寺が八寺ありました。
神仏習合の時代なので、お寺には神社が併置されており、それらを琉球八社といいます。

ちなみに、琉球八社の御祭神は安里八幡宮を除いて熊野三神、別当寺は真言宗です。


これは補陀落渡海の末に琉球に漂着し、真言宗を伝えた日秀上人の影響によるものです。
琉球に仏教は臨済宗の真言宗の二宗派しか伝来してません。



■波上宮(琉球八社)
波上宮の周辺は一之宮のときにフラフラしたので、こちらでご確認ください。
▶【一之宮】波上宮(琉球国) 神道が外国の宗教だった島


琉球八社の御朱印帳は専用のものがないので、波上宮で購入しました、紅型っぽい黄色の表紙で沖縄感が漂う御朱印帳です。ニコニコ




■奥野山公園

県庁前からモノレール(ゆいレール)で10分。奥武山公園駅で下車。
奥武山公園にはプロ野球のオープン戦が行われる沖縄セルラースタジアムがあります。


スポーツ施設が集中する公園なので、これまでとは違うにぎやかな雰囲気があります。キョロキョロ

公園内には沖宮への案内板が設置されており、迷うことなく進めます。

 


■沖宮(琉球八社)

御祭神は天受久女龍宮王御神、天龍大御神、天久臣乙女王御神と熊野三神です。


天受久女龍宮王御神と言われても内地では聞きなじみない神様ですが、沖縄での天照大御神のお名前です。

 

天照大御神が本土に向かう前に琉球に立ち寄ったという伝承が沖縄にはあります。びっくり

 


末社の辨財天宮には神世三代と木龍宇具志久乙姫王という神様が祀られているのですが。
木龍宇具志久乙姫王は「ノロ」の神様とされています。

「ノロ」は琉球王から任命され、現代まで世襲で続く女性の神職です。地域の祭祀を取りしきったり、御嶽を管理していました。(琉球王国では女性しか神職になれませんでした。)

 



■天燈山御嶽

本殿の横に続く階段を上がると御嶽(天燈山御嶽)があります。御嶽と神社が一緒にあるところはやはり沖縄です。キョロキョロ



御嶽に向かう階段にはどことなく中国の雰囲気がする提灯がつるされていました。沖縄をフラフラしていると色んな文化がまじりあっていることを実感します。キョロキョロ



■世持神社
子どもが大勢遊ぶ公園の丘に世持神社があります。

1937年の創建。琉球に繁栄をもたらした恩人として3柱の神様を祀っています。

蔡温(琉球王国の内政改革を実施)

野国総管(サツマイモの栽培を開始)

儀間真常(木綿栽培や製糖技術の導入)



社殿はこちらにありますが、ご神体は波上宮に祀られています。

 


こちらは波上宮にあるお社の写真です。向かって左側が世持神社の社です。

 

 

■狛犬

1月下旬ですがカンヒザクラが咲き始めていました。
沖縄は夏が暑くソメイヨシノが植生できないため、桜といえばカンヒザクラになります。


お花見のシーズンは2月で、日本で一番早い桜祭りとして「名護の桜まつり」が有名です。ニコニコ


■本殿


写真では見えにくいですが、本殿横には「線香やうちかびはご遠慮ください」という内容の張り紙が貼ってありました。

 

神社で線香と思ってしまいますが、御嶽に参拝するときは線香を焚くので、沖縄では神社でもその作法で参拝する人がいるようです。


うちかびは沖縄の「ウークイ」という旧盆の行事(沖縄ではお盆の行事は旧盆に行われます)に焼かれる紙のお金のことです。


本殿横は仏殿になっています。神社の創建は1937年で神仏分離令後になるのですが、沖縄では神仏習合が続いていたのかもしれません。キョロキョロ

 

沖縄に仏教を伝えたのは熊野僧なので、神道と仏教を別の宗教ととらえず、神仏が習合した状態を一つの宗教として受け入れたのかもしれません。

 



■島田 叡 氏顕彰碑


島田 叡は沖縄戦当時の沖縄県知事です。
沖縄戦の中、軍との折衝や沖縄県民の保護に最後まで当たった最後の官選知事です。


当時の県知事は政府から任命されたのですが、島田が県知事を任命されたのは米軍の沖縄上陸は不可避とされた1945年1月でした。


すでに那覇は空襲により焼け野原となっており、島田は自決用の日本刀と青酸カリを懐中に忍ばせ、死を覚悟して沖縄に赴任します。



島田知事の出身である兵庫県と沖縄県の有志がこの顕彰碑を建立し、向かいの野球場を「友愛グラウンド」と名付けました。


■沖縄県護国神社
祭神は護国神社の中で最多の17万8689柱。
沖縄県関係の戦死者のほか、沖縄戦で殉じた本土出身者や犠牲になった一般市民を祀っています。

 

 

沖縄戦で大きな被害を受け、戦後は本殿を残すのみだったそうですが、昭和34年に県内を中心に募金活動が行われ社殿が復興されました。

境内にはそのときの復興資金の芳名録が残されているのですが、占領下の沖縄ではドルが流通していたため「金○○○弗」(弗はドルと読みます)と記載されています。びっくり

(沖縄返還は昭和47年で神社再建の後のことのでした。)


沖宮から安里八幡宮へ、、、
奥武山公園の中を1時間くらいフラフラしただけなのですが、3つの神社(後で調べるともっとありました、、、)がありました。

 

公園の入り口の案内には、ここが昔は海で奥武山をはじめ、いくつかの小島があったと書いてありました。小島には拝所やお寺があり、昔から信仰を集めていた場所だったそうです。

 

時間に余裕があるので、安里八幡宮に足を延ばそうと、ゆいレール壷川駅に向かいます。



 

 



琉球王国の巡礼地、琉球八社をフラフラ巡ってます。ほかの神社の旅はこちらでニコニコ
【琉球八社】まとめページ 日本最南端の巡礼地
 

 

日本全国の一之宮もフラフラ巡っています。こちらも見てくださいニコニコ

▶【一之宮】まとめページ 日本全国の神社を巡る旅

 




A.奥武山公園駅

ゆいレール県庁前駅から10分

片道230円

 

B.沖宮

所在地:沖縄県那覇市奥武山町44

 

C.世持神社

 

D.島田 叡 氏顕彰碑

 

E.沖縄県護国神社

 

E.壷川駅

 

関東地方

 

■鹿島神宮・香取神宮(茨城県)

▶【一之宮】鹿島神宮(常陸国)・香取神宮(下総国)
 

 

 

■寒川神社(神奈川県)

▶【一之宮】寒川神社(相模国)

 

 

 

 

 

近畿地方

 

■元伊勢籠神社・出雲大神宮(京都府)

▶【一之宮】元伊勢籠神社(丹後国)・出雲大神宮(丹波国) 元伊勢v.s.元出雲
 

 

 

 

■枚岡神社(大阪府)

▶【一之宮】(河内国) でんぼの神様にも感謝

 

 

 


【中国地方】

■吉備津神社・吉備津彦神社(岡山県)

▶【一之宮】吉備津神社(備中国)・吉備津彦神社(備前国) 桃太郎のふるさと



■厳島神社(広島県)


▶【一之宮】厳島神社(安芸国) 神と仏のテーマパーク




【九州・沖縄地方】

 

■阿蘇神社(熊本県)

▶【一之宮】阿蘇神社(肥後国) 親孝行な神様が建てた神社
 

 

 

 

■都農神社(宮崎県)

▶【一之宮】都農神社(日向国)

 

 

 

■鹿児島神宮(鹿児島県)

▶【一之宮】鹿児島神宮(大隅国) 不死身の僧侶の最期の地

 

 

 

■新田神社(鹿児島県)

▶【一之宮】新田神社(薩摩国) 日本初の陵墓

 

 

 

 

■波上宮(沖縄県)

▶【一之宮】波上宮(琉球国) 神道が外国の宗教だった島

 

 

【琉球八社】

沖縄には琉球王朝時代に王府から寺禄を与えられたお寺が八寺ありました。
神仏習合の時代なので、お寺には神社が併置されており、それらを琉球八社といいます。
琉球八社の御祭神は安里八幡宮を除いて熊野三神、別当寺は真言宗です。


 

■波上宮

▶【一之宮】波上宮(琉球国) 神道が外国の宗教だった島

※一之宮の記事で紹介しています。

 

 

 

■沖宮

▶【琉球八社】沖宮 3つの神社がある運動公園

 

 

 

 

■安里八幡宮

▶【琉球八社】安里八幡宮 沖縄戦の激戦地にある神社