※一之宮の御朱印は2018年5月にいただいたのですが、改めてフラフラしてみます。

 


 

 

那覇空港からモノレール(ゆいレール)で20分、県庁前駅に到着です。気温は19度。沖縄にしては寒い日ですがコートはいりません。

 

 

 

■国道58号線
沖縄の大動脈です。
元々は米軍占領下の沖縄で基地同士をつなぐ軍用道路として整備されたもので、国道沿いには在日米軍基地が点在しています。
ちなみに、この国道58号線の終点は鹿児島市になっていて、海の上を通る変わった国道でもあります。キョロキョロ



■天尊廟
波上宮のそばにあるのが天尊廟です。
先ほどの国道58号線は琉球王国時代は遠浅の海で波上宮がある久米一帯は島でした。
琉球王国は久米を明との貿易港として整備し、そこに明国人の居留地を作りました。
(長崎の出島のように地元の人間と隔離し、軋轢を生まないようにしていました。)




波上宮は中国人観光客のツアーにも組み込まれているようで、興味をもって中に入る中国人がちらほら。

 


久米に住んだ36人の明国人を祖先とする一族を久米三十六姓といい、初代から続く家系図をそれぞれの一族(門中といいます)は大切に保管しています。

お墓も門中墓という一族の共同墓があり、最大規模の幸地腹門中墓は被葬者数3,436人を擁してます。びっくり



■護国寺
波上宮の別当寺です。頼重法印が建立し琉球王の祈願所となりました。琉球王国では護国寺など王府から寺禄を与えられた真言宗の寺院が八寺ありました。

 

寺院には神社が併設されており、その神社を総称して琉球八社と呼んでいます。



■本堂
本堂の中に入ると、思ったよりも多くの人がお参りをされてました。

特徴的なのは、お供え物(果物とかなりの数のお餅をお盆の上に乗せたもの)を持参し、それを机の上に置いて長時間お祈りする人が多いことです。

 

この方法は御嶽のお祈りの作法で、お寺でも同じ方法で参拝をするようです。
 
 
 

■波上宮(琉球国一之宮)
御祭神は熊野三神の伊弉冊尊、速玉男尊、事解男尊。相神殿に、産土大神、少彦名神、そして火神(ヒヌカン)という竈神が祀られています。

最後のヒヌカンですが、日本(神道)の神様ではなく沖縄で古くから信仰されている神様です。

 

 

 

本殿の裏にまわると御嶽の鳥居が見えます。

神社の創建は1368年ごろといわれていますが、元々この場所には御嶽があり、沖縄独自のニライカナイ信仰の祈りの聖地となっていました。

 

社伝によると、荒廃していた波上宮を熊野から琉球に渡ってきた日秀上人という僧が再興したと伝わっています。

 

琉球にとって外来宗教だった神道は、なかなか定着しなかったのかもしれません。キョロキョロ

 

 

 

■拝殿
波上宮を復興した日秀上人は、室町時代に補陀落渡海を行った熊野の僧で、今の沖縄県金武町に漂着し琉球で仏教を布教しています。

 

 

■狛犬

狛犬もシーサーになっています、沖縄らしいですね。ニコニコ

 

 


神社の隣には波の上ビーチがあります。
そこで寒稽古をしていた少林寺空手の道場の子供たちが参拝にきました。

 

 

 

■台湾遭害者之墓
護国寺の境内にある碑です。
明治の初め台湾に漂着した宮古島の島民が現地の台湾人に殺害されるという事件がありました。
明治政府はこれを口実に台湾へ出兵を行い、清国は日本に対して撫恤金(見舞金)を支払うことになります(台湾出兵)。


このことは、沖縄の領有権が日本にあることを清国に認めさせたことになり、清との冊封関係が廃止されるきっかけになります。

 


■小桜之塔

護国寺の裏は公園となっており、慰霊碑や顕彰碑が立ち並んでます。


小桜之塔は沖縄戦の前年、アメリカ軍に撃沈された学童疎開船対馬丸に乗船していた人たちの慰霊碑です。


■海鳴りの像

こちらはアメリカ軍に撃沈された対馬丸以外の疎開船に乗船していた人の慰霊碑です。
民間船への攻撃は戦時国際法に違反してました。疎開船が攻撃の対象になったため、沖縄県民の県外疎開が進まず、沖縄戦では住民を巻き込む戦闘が行われました。

 

 


■波の上ビーチ
境内を抜けるとビーチがあります。
さすがに2月なので泳ぐことはできませんが夏場は海水浴客でにぎわいます。ちなみに沖縄の人は日差しが強く火傷の恐れがあるので、あまり海で泳ぎません。

その代わりに沖縄の人は海でビーチパーティーをします。響きにセレブ感がありますが、要はBBQのことです。
 


■龍柱
那覇クルーズターミナルの前に立つ巨大な龍柱です、税金のムダ使いといった批判もでたそうですが、外国人観光客を迎え入れるモニュメントとして存在感があります。
 

 

■那覇クルーズターミナル

撮影日に船は停泊していませんでしたが、
シーズンになるとビル一棟くらいはある巨大なフェリーが中国からやってきます。



■久米至聖廟(孔子廟)
波上宮のそばにあった天尊廟から孔子廟を移したものになります。
 

 

 

 

日本地図を沖縄を中心にしてみると、沖縄県が日本本土と中国大陸のちょうど真ん中に位置する場所にあることがわかります。

波上宮の周りをフラフラしただけなのに、日本とは違う文化の存在を感じます。

独立国であった琉球にとっては、中国の孔子廟も日本の神社も、同じ外国の宗教施設に映ったのかもしれません。


日本と同じ神社やお寺なのに、どこかに沖縄らしさが出てきてしまうキャラの強いこの島は本当に興味がつきません。

 

 

 

 

日本全国の一之宮をフラフラ巡っています。ほかの神社の旅はこちらでニコニコ

 

【琉球八社】まとめページ 日本最南端の巡礼地

 

 

 

A.県庁前駅

那覇空港駅からゆいレールで20分

運賃270円

 

B.天尊廟

所在地:沖縄県那覇市若狭1-25-1

参拝時間 9:00~17:00 年中無休(参観無料)

 

C.護国寺

所在地:沖縄県那覇市若狭1-25-5

参拝時間 6:00~18:30

 

D.波上宮

所在地:沖縄県那覇市若狭1-25-11

 

E.波の上ビーチ

F.龍柱

 

G.久米至聖廟

沖縄県那覇市久米2-30-1

参拝時間 9:00~17:00 年中無休(参観無料)

 

 

 

 

 

 

熊本駅前バス停から九州産交バス「やまなみ」号で2時間半。
途中、アーデンホテル前駅で休憩はあるもののかなり時間がかかります。

 

※JR豊肥本線は熊本地震の影響で阿蘇~肥後大津までが不通になっているためバスでの移動が無難です(2020年中に復旧予定)

 

 

朝が早かったのでウトウトしたりぼんやりしていたら思ったほど早く着きました。
途中で見える、阿蘇の山道の景色はきれいでした。
最寄りの宮地駅で下車。徒歩10分ほどで阿蘇神社に到着です。

 

 

 

■阿蘇神社(肥後国一之宮)

国造速瓶玉命が孝霊天皇9年(紀元前281年)に創建。

速瓶玉命は初代の肥後国の国造(今で言う熊本県の事務方のトップ、助役?)になった人で、阿蘇神社の大宮司を務める阿蘇氏の祖先となった人でもあります。
今の大宮司さんは92代目だそうです。

 

■楼門

全国的にも珍しい横参道を歩いていると、楼門が見えてきました。
楼門は熊本地震で倒壊、耐震強度が不足しているとのことで、
2020年の復旧に向け、コンクリートの基礎に免震ダンパーを設置する工事を行っていました。

 


■仮拝殿

拝殿は楼門と同じく熊本地震で倒壊したため、現在は2022年の再建を目指して工事中。
工事はこれから本格化するため、本殿が直接見える形で参拝できるのは今年が最後です。

 

 

■本殿

向かって左が第一本殿。速瓶玉命の父親の健磐龍命と速瓶玉命の男性の親族5柱が祀られてます。

向かって右が第二本殿。母親の阿蘇都媛命と女性の親族5柱が祀られています。

真ん中は第三本殿。速瓶玉命と綏靖天皇と全国の式内社祭神3132座が祀られています。

 


本殿を背にして(御祭神が向いている方向を基準に)右側に第一本殿、左に第二本殿があるのは右尊左卑の考え方で、即位礼の際での、天皇陛下と皇后陛下の位置にもそれが反映されています。

 

ちなみに、縦書きで文章を書く地域は右が優先されます。

これは順位付けをして人名を書くときに最高位の人が一番右に記されることによるもので、
横書きで書くヨーロッパは最高位の人が一番左に記されるので左が優先されるそうです。

 


■とんど焼き

燃えた竹が破裂する音が聞こえたので、気になり行ってみると、とんど焼きをしていました。
歳神様を天に帰っていただくために、しめ縄などの正月飾りを焚きあげる行事。
私の実家の近所でもやってたのですが、煙や騒音の苦情が来たと聞いてます。
昔から続く風習を守り続けるのも大変です。

 


■矢村神社(矢内社)


阿蘇神社の周辺を矢内町と言います。
健磐龍命が阿蘇開拓の拠点となる館を立てる際に、最適な地を選ぶため、坂梨の矢の島というところから矢を放ったことに由来するとのことです。
放った矢は矢村神社ある、この場所に落ち、ここに「浜の館」という屋敷を構えたという伝承が残ってます。

 

 


阿蘇神社から国造神社へ、、、

阿蘇神社の正面は住宅や商店が立ち並んでいるのですが、本殿の裏側は田園地帯です。
区画整備で整えられた直線の道ではなく、昔からありそうな曲がりくねった道を進みます。
歩るいていると気づくのが大量の湧水が流れる音と、あちらこちらにある神社。

 

 

 

普通の家の前に鳥居があり、母屋の隣に祠がある神社もあります。

 

阿蘇神社の社伝によると、阿蘇神社の辺りはかつては湖水だったようで、
健磐龍命が灌漑事業を成功させて農地を拡大させたとのことです。
そのあとを継いだ速瓶玉命は、父の業績のお蔭で初代の肥後国の国造になったともいえるので、偉大な両親を祀る神社を創建したのかもしれません。

 

 


歩いてみると阿蘇神社は阿蘇の外輪山の真ん中付近にあることに気付きます。
阿蘇神社から南には奥宮である阿蘇山の火口があります。
阿蘇神社から奥宮までと同じ距離を北にいくと国造神社があります。
本殿は東を向いて建てられているので、太陽が昇る方向を向いています。

 

 

■国造神社


速瓶玉命とその妻と子供が祀られてます。
阿蘇神社にお参りして立ち寄る人が多いのか、参拝客もちらほら。

 

 


この地域の近くには県内最大規模の長目塚古墳がある中通古墳群があり
阿蘇神社の社伝では健磐龍命と阿蘇都媛命のご陵墓があるそうです。

 

 

■手野の大杉


速瓶玉命のお手植えという伝承が残っている杉で、かつては国の天然記念物にも指定されていたそうです。
平成3年の台風19号の影響で主幹が地上11メートルあたりから折れてしまい、それが原因で枯れたそうです。地元の有志が保存活動をして現在の姿で保存されています。

とにかく大きいです。

 

■下御倉古墳

国造神社の鳥居の向かいにあります。

阿蘇国造に連なる有力者の古墳と考えられています。

 

 

■上御倉古墳


速瓶玉命の神陵と伝えられており、下御倉古墳から少し坂を登ったところにあります。
規模は先程の下御倉古墳よりも大きく、倒木の危険があるため立入禁止でしたが、

普段であれば石室の中まで入れるようです。
(なんとも恐れ多いことです、、、)

 

 

 

■阿蘇市一の宮温泉センター

せっかく阿蘇まで来たのだから、締めくくりは温泉にしようと楽しみにしていました。
隣はデイケアセンターになっており、お年寄りの憩いの場的な感じでした。
入泉料は200円、石鹸はありましたがシャンプーは無し。

タオルの貸出や販売はしていなとのことで、注意が必要です。

 

 

 

一之宮を巡っていると神話と歴史の垣根の曖昧さを感じます。

実話ではないにせよ、モデルになった話があるんじゃないかと妄想することがあります。

父親の健磐龍命の業績をたたえるために阿蘇神社を創建した速瓶玉命が実在したなら、本当に親孝行な息子だったんだなと思います。

(とんど焼をしていた人たちはその時、阿蘇を開拓した人の子孫かもしれません)

 

阿蘇山を越えて南には、大宮司の阿蘇氏の領地だった山都町があります。

速瓶玉命の人間臭さを感じながら、次はそこにも足をのばしてみたいとふと思いました。

 

 

 

日本全国の一之宮をフラフラ巡っています。ほかの神社の旅はこちらでニコニコ

 

 

 

A.宮地駅前バス停

熊本駅前バス停1番乗り場から九州産交バス「やまびこ号」大分行乗車 2時間30分

運賃1,140円

※JR豊肥線は、熊本地震の影響で阿蘇~肥後大津駅間で不通(2020年中に復旧予定)

 

B.阿蘇神社

所在地:熊本県阿蘇市一の宮町宮地3083-1

宮地駅前バス停から徒歩10分

 

C.矢村神社

所在地:阿蘇市一の宮町宮地3117

阿蘇神社から徒歩10分

 

D.国造神社

所在地:熊本県阿蘇市一の宮町手野2100

阿蘇神社から徒歩60分

 

E.下御倉古墳

F.上御倉古墳

 

G.阿蘇市一の宮温泉センター

所在地:阿蘇市一の宮町手野963-1

国造神社から徒歩20分

 

営業時間 10:00~21:30
定休日 第1・3火曜日

入湯料 大人200円

※タオルとシャンプーの貸出・販売はなし。石鹸のみあり。

 

H.宮地駅前バス停

 

 

 

 

 

 

 

 

広島駅から電車で45分、宮島口からフェリーで15分世界遺産の宮島に到着です。

(大鳥居は現在は修理中です)

 

 

フェリー乗り場から厳島神社に向かいます。
門前は旅館やお土産物屋が並んで、にぎやかな雰囲気です。

 フォトジェニックな鹿の島でもあります。ニコニコ

 

 

 

 

■厳島神社(安芸国)

祭神は宗像三女神。

 

 

 

 朱塗りの社殿の各所に客神社という摂社があります。

 

 

 

回廊から見える景色は場所によって変化が多く、写真映えするポイントが数々照れ

 

 

 

 厳島神社の平舞台は日本三大舞台の一つ、狛犬が見守っています。

 

 

 

■大願寺

厳島神社の祭神である市杵島姫命は本地垂迹説で、弁才天とされたので、神社の横には弁才天を祀る大願寺があります。

この寺の本尊の弁才天はもともとは、厳島神社の本殿に祀られていたものです。

 

 

 

弁才天はもともとはインドの河の神だったので、宗像神社の市杵島姫命の本地仏に比定されたそうです。各地の弁天堂が池の中の島にあるのは、このことにちなみます。

 

 

 

■厳島神社宝物館

大願寺のそばにある建物です。
あまり入る人がいない感じでしたが「平家納経」のレプリカ、梵字の入った神鏡、「厳島大明神」の扁額といった神仏習合の名残の品が展示されていました。

 

 

 

■千畳閣(豊国神社)

豊臣秀吉が大経堂として建立したものですが
秀吉の死とともに工事は中断、建築中の建物がそのまま残っています。


明治時代の神仏分離令によって、寺ではなく豊国神社となっています。五重塔があれば寺なんですが、、、キョロキョロ

 

 

 

天井にはたくさんの絵馬が掲げられています。

須弥壇が取り払われ祠が建てられるという、やや強引なリフォーム。アセアセ

 


厳島神社は神仏習合が行き過ぎていたため、明治時代には社殿の焼却命令が知藩事から出たこともあるとのことです。ガーン

 

 


厳島神社から弥山へ、、、
大願寺に戻りそこから大聖院ルートを使って弥山に向かいます。

大聖寺の門前は棚守屋敷(宮司の屋敷)の跡や上卿屋敷(神官の屋敷)が立ち並んでいて、厳島神社周辺とは違った静謐な雰囲気。照れ

 

 

 

■大聖院

厳島神社の別当寺です。
見どころも多そうで立ち寄りたかったんですが、時間がなくて断念、、、ガーン
中には2006年にダライラマ13世が開眼した弥勒菩薩があります。

 

 

 

■弥山登山道(大聖院ルート)

大聖院の横、滝宮神社の鳥居から始まる登山ルートです。

見どころが多そうなのでこのルートを選びました。厳島神社の横を流れる川(白糸川)の源流をさかのぼるルートになります。

 

 

 

西国巡礼で施福寺や上醍醐寺といった山寺を徒歩で登った経験があるので、気楽な気分で選びましたが。

山頂まで階段続きの山道を2時間近く、、、ガーン
 

正直、無理せずロープウェーに乗っていく方が無難でした。アセアセ

 

 

 

途中、白糸の滝や幕岩といった大岩があり、見晴らしがいい場所では瀬戸内海が一望できます。すれ違う人も多く、地元では人気のハイキングコースのようです。

 

 

 

■仁王門


ここから弥山本堂(大聖院の堂宇の一部)
スタートが鳥居でゴールが仁王門というのも、いかにも神仏習合らしい登山道です。キョロキョロ

 

 


■御山神社

仁王門を抜けてすぐあるのが厳島神社の奥宮である御山神社。厳島神社と同様に宗像三女神を祀っています。


厳島神社が瀬戸内海を中国地方側を向いて建てられていますが奥宮は四国側を向いて建てられています。

 

 

 

江戸時代までは、三鬼堂として仏教の鬼を祀っていたのですが明治時代以降は弥山本堂の三鬼堂に移されています。

 

 

 


本殿の裏手には磐座らしき大岩があります。
弥山では古墳時代以降の山岳信仰の祭祀遺跡も見つかっており、ここが古くから続く信仰の場所であることを感じることができます。照れ

 

 


■弥山本堂

 

 


■霊火堂

弘法大師が焚いた護摩の火(消えずの霊火)を受け継いでいます、この火で沸かしたお湯は万病に効くとされ参拝者はお堂の中で自由に飲むことができます。

この火は広島平和記念公園の平和の灯の種火となっているそうです

 

 

 

2005年に火災で焼失し2006年に再建されたとのことですが扁額にはすでに煤がこびりついてます。

 


■三鬼堂

江戸時代まで御山神社に祀られていた三鬼神を移したもの。このお堂の横の階段を登って頂上を目指します。

 

 

 

■くぐり岩

厳島は斎(いつき)島が語源と言われています。頂上付近には古代の磐座と伝えられる場所が数多く残り、山岳信仰の霊場としての雰囲気が漂っています。

 

 


ようやく山頂へ、、、
山頂には展望台があり、ここから広島市街を含め瀬戸内海をぐるりと眺めることができます。
展望台は4時までで、閉門ぎりぎりに到着。アセアセ

 眼下には、伊藤博文が「日本三景一の真価は山頂の眺めにあり」と言った絶景が広がります。びっくり

 

 

 

ケーブルカーで下山

「最終は5時までです。乗り遅れると徒歩での下山となりますことをご承知おき願います。」
という恐ろしいアナウンスが流れる中、乗り場の獅子岩駅に向かいます。

弥山本堂から駅までは約30分、足は限界です、、、

 

 

 


■岩惣本店
ケーブルカーは途中でロープウェーに乗り換えて麓の紅葉谷駅に到着。

 

そこから川沿いに歩いていくと、鳥居をかたどった正月飾りが印象的な旅館がありました。

後で調べると、相当な老舗旅館でした。

宿泊した人は、大正天皇、昭和天皇、伊藤博文、大隈重信、夏目漱石、東郷平八郎、、、びっくり

 

 

ちなみに、伊藤博文一行が立ち寄った岩惣の茶店で、給仕の娘の手が紅葉のように小さかったのを見て、「焼いて食べてみたい」とからかったことが「もみじ饅頭」の起源だそうです。

 

 

 

 

■大鳥居


フェリー乗り場に向かう途中、潮が引いていたので、修復中の大鳥居の近くまで行ってみました。こんな姿の大鳥居を見るのもめったにない機会です。
(神社のHPによると工事の完了は未定とのことです。)

 

 

 

帰りのフェリーに乗るともうすっかり夜でした。ほぼ半日近く宮島に滞在していたことになります。


神仏の混然一体となった島だから、昔から人を魅了し続けたのでしょう。


寺社仏閣巡りは目的の場所だけでなく周辺まで足をのばしてフラフラした方がいいと実感した一日でした。

 

 

 

 

 

日本全国の一之宮をフラフラ巡っています。ほかの神社の旅はこちらでニコニコ

 

 

 

A.厳島神社・大願寺

厳島神社は拝観料300円が必要

(宝物館入館料のセットなら500円)

 

B.厳島神社宝物館

入館料は大人300円が必要

 

C.豊国神社

千畳閣への昇殿は100円が必要

 

D.大聖院

E.仁王門

F.御山神社

 

H.弥山展望台

展望台は入場無料、16時に閉館

 

I.獅子岩展望台駅

麓の紅葉谷駅まで、片道1,050円、最終の発車時間は17時

※山頂の自動販売機はここと弥山山頂にしかないので注意

 

 

 

 

 

 

 

 

■山田伊射奈岐神社

令和2年のスタートということで、実家の近所にある氏神様へ初詣。

大阪北部地震で倒壊の可能性があったということで江戸時代に建立の鳥居が撤去され新しい鳥居が建てられていました。

 

 

一見どこにでもありそうな地域の神社といった感じもあるのですが、伊勢神宮の外宮に祀られている豊受大御神とのご縁がある神社なんです。

 

 


■大神木神社
さっきの伊射奈岐神社から徒歩10分。千里丘のイズミヤの近く、名神高速の高架脇にある小さなお社です。

地元でも知られていないのですが、この神社が「元伊勢」なんです。

 

 

そもそも「元伊勢」とは、、、
11代垂仁天皇の時代に、それまで宮中でお祀りしていた、天照大御神を別の場所でお祀りすることになり、最適な遷座地を求めて各地を旅していたことがあります。


最終的には現在の伊勢神宮のある五十鈴宮(内宮)に落ち着くのですが、この間に天照大御神が立ち寄ったという伝承が残る場所を「元伊勢」といいます。

 

そこから時代が進んで雄略天皇21年(5世紀ごろ)天皇の夢に天照大御神が現れて神勅を述べます。


「伊勢に一人ぼっちで食事が安らかにできない。丹波国の真名井に豊受大御神という神様がいるので連れてきてほしい。」

 

そこで、倭姫という人に命じ、丹波国に豊受大御神を迎えに行き、伊勢の山田ケ原にお連れしました(これが伊勢神宮の外宮です)

 

その旅の途中、摂津国三島郡大神木というところで1年間滞在したという記録があり、その場所がこの大神木神社になります。

「伊勢の外宮」の「元宮」ということで、「元伊勢」と呼ばれています。

 

 

付近に架かる橋は大神木橋と呼ばれ名前が残っています。

 

こちらは今は山田橋になっていますが、かつては上大神木橋と呼ばれていたそうです。

豊受大御神が伊勢に旅立たれたあと、外宮の所在地である山田ケ原にちなんで、この地域を「山田」と呼ぶことになったと伝わっています。

 

その後、雄略天皇23年に大神木神社付近の小川谷という場所に倭姫の命を受けた大佐々之命によって「姫宮」という神社が建立され、仁寿2年(852年)に高庭山に遷座したという記録が残っており、これが冒頭の伊射奈岐神社になります。

 

今の主祭神は豊受大御神ではなく伊射奈美之命になっており、社名は伊射奈岐神社なので、まだまだ色々と紆余曲折のエピソードがありそうな感じですが、、、

 

 

 

 

 

A.山田伊射奈岐神社
所在地:大阪府吹田市山田東2丁目3-1
阪急千里線山田駅より徒歩20分

 

B. 大神木橋

 

C.大神木神社
所在地:大阪府吹田市山田市場11

 

交通阪急千里線「山田駅」より阪急バス 2番のりば「JR岸辺北口行き」乗車、「山田南 停留所」下車 徒歩3分

 

JR京都線「岸辺駅」より阪急バス (北)2番のりば「千里中央行き」乗車、「山田南 停留所」下車 徒歩3分

 

 

 

毎年お盆と正月は実家に帰って、地元の友達に車をだしてもらって近畿地方の神社やお寺を巡るというのが習慣になってます。

今回は北近畿の神社とお寺を巡ってきました

 

■元伊勢籠神社(丹後国一之宮)


近畿地方各地に伝承の残る「元伊勢」の一つです。

雄略天皇の時代に、天照大御神から「丹後国にいる豊受大御神を伊勢に連れてきてほしい」という神勅が下ります。
天皇は倭姫という人に命じて、丹後国まで豊受大御神を迎えに行くのですが、その豊受大御神がいた場所が元伊勢籠神社(正確には奥宮の眞名井原)で「外宮の元宮」だったという意味で元伊勢と呼ばれています。

 

ちなみに、丹後国を出発した豊受大御神は私の実家の近くに1年ほど滞在したという記録があり、小さいですが大神木神社という元伊勢があります

【神社】山田伊射奈岐神社・大神木神社 高架脇の元伊勢

 

 


 

伊勢神宮とも縁が深いので鳥居は神明鳥居です、本殿も神明造りで伊勢神宮を意識した造りになっているのが特徴です。

 

 

天橋立の近くでもあり、時間があれば周囲をブラブラして奥宮を巡ってもよかったのですが、今回はサクサク巡ります。

写真はなぜかお土産物屋さんの前にあったマツコ・デラックスの人形。

センスがいかにも関西って感じです。

 

 

 

 

■出雲大神宮(丹波国一之宮)

「元伊勢」の次は「元出雲」です
出雲大社は明治時代まで「杵築大社」と呼ばれていたので、それまでは、出雲といえば出雲大神宮を指していたそうです。

 

 

本殿は足利尊氏の建立。
鎌倉時代から有名な神社であったようで、兼好法師の徒然草にも「出雲大神宮で立派な社殿が建った」という記述があるとのことです。

 

 

元出雲=元祖出雲大社といったニュアンスなんでしょうかね、ちなみに、社伝によると創建は1万年以上前で出雲大社よりも古く、出雲大社に祀られている大国主命は、出雲大神宮から勧請したものと伝わっているそうです。
(さすがにそれはないと思いますが、、、)

 

丹波国は山陰道の最初の国として交通の要衝であり、古代は日本海や出雲とのつながりも深かった場所なんでしょう、出雲と大和の国境地帯ということで、出雲の神様が祀られたのかもしれません。

 

 

日本全国の一之宮をフラフラ巡っています。ほかの神社の旅はこちらでニコニコ