■山田伊射奈岐神社

令和2年のスタートということで、実家の近所にある氏神様へ初詣。

大阪北部地震で倒壊の可能性があったということで江戸時代に建立の鳥居が撤去され新しい鳥居が建てられていました。

 

 

一見どこにでもありそうな地域の神社といった感じもあるのですが、伊勢神宮の外宮に祀られている豊受大御神とのご縁がある神社なんです。

 

 


■大神木神社
さっきの伊射奈岐神社から徒歩10分。千里丘のイズミヤの近く、名神高速の高架脇にある小さなお社です。

地元でも知られていないのですが、この神社が「元伊勢」なんです。

 

 

そもそも「元伊勢」とは、、、
11代垂仁天皇の時代に、それまで宮中でお祀りしていた、天照大御神を別の場所でお祀りすることになり、最適な遷座地を求めて各地を旅していたことがあります。


最終的には現在の伊勢神宮のある五十鈴宮(内宮)に落ち着くのですが、この間に天照大御神が立ち寄ったという伝承が残る場所を「元伊勢」といいます。

 

そこから時代が進んで雄略天皇21年(5世紀ごろ)天皇の夢に天照大御神が現れて神勅を述べます。


「伊勢に一人ぼっちで食事が安らかにできない。丹波国の真名井に豊受大御神という神様がいるので連れてきてほしい。」

 

そこで、倭姫という人に命じ、丹波国に豊受大御神を迎えに行き、伊勢の山田ケ原にお連れしました(これが伊勢神宮の外宮です)

 

その旅の途中、摂津国三島郡大神木というところで1年間滞在したという記録があり、その場所がこの大神木神社になります。

「伊勢の外宮」の「元宮」ということで、「元伊勢」と呼ばれています。

 

 

付近に架かる橋は大神木橋と呼ばれ名前が残っています。

 

こちらは今は山田橋になっていますが、かつては上大神木橋と呼ばれていたそうです。

豊受大御神が伊勢に旅立たれたあと、外宮の所在地である山田ケ原にちなんで、この地域を「山田」と呼ぶことになったと伝わっています。

 

その後、雄略天皇23年に大神木神社付近の小川谷という場所に倭姫の命を受けた大佐々之命によって「姫宮」という神社が建立され、仁寿2年(852年)に高庭山に遷座したという記録が残っており、これが冒頭の伊射奈岐神社になります。

 

今の主祭神は豊受大御神ではなく伊射奈美之命になっており、社名は伊射奈岐神社なので、まだまだ色々と紆余曲折のエピソードがありそうな感じですが、、、

 

 

 

 

 

A.山田伊射奈岐神社
所在地:大阪府吹田市山田東2丁目3-1
阪急千里線山田駅より徒歩20分

 

B. 大神木橋

 

C.大神木神社
所在地:大阪府吹田市山田市場11

 

交通阪急千里線「山田駅」より阪急バス 2番のりば「JR岸辺北口行き」乗車、「山田南 停留所」下車 徒歩3分

 

JR京都線「岸辺駅」より阪急バス (北)2番のりば「千里中央行き」乗車、「山田南 停留所」下車 徒歩3分