初心者同志 -98ページ目

いつか、起きること。

たとえば、とても信じられないようなことが、

突然、自分の目の前で起きたりする。


自分で想像していたよりもずっと、


悔しいことや、

腹立たしいことや、

悲しいことが、


まったく予期せず、自分に襲い掛かってきたりする。


すると私たちはみんな、


どうしてなの?


と思う。


あまりのことに、混乱して、悲しくなって

それを起こした原因の相手を恨んだり、

それに遭遇した自分の運の悪さを、呪ったりする。



でも、はたして、本当にそれくらいしか、私たちにできることは

ないのだろうか。


この世界では、前もって予想できることなんて、

きっと、ほんの一部なんだ。


私たちの目の前では、実は、

常に信じられないような出来事が起きている。


それは、テレビをつけてニュースを見たり、

新聞を少し読むだけでも、すぐにわかることだ。


ただ、ほとんどの人たちは、それらを

同じ世界で起きている、自分とはまったく無関係の出来事、

と思っているだけなんだ。


とても信じられないような、酷い事件が起きて、

その、まったく想像もしなかった出来事に直面し、


どうしてこんなことが、私たちの身に・・・・・・。


と、嘆き苦しむ被害者を見て、私たちは

可哀想だ、と思う


でも、同時に、自分にそれが起きるはずはない、とも思っている。


なぜなら、自分は、用心しているからだ。

自分の周りにある世界は、テレビなどで映される世界とは違い、

よくある普通の一般の世界だからだ。


あれは、テレビや新聞の中だけのことだ、と。

自分だけは違う、と誰もが思っている。


それが事実なのかどうかは、私にはわからない。

大勢いる人の中には、確かに、長い人生を、

たった一度のトラブルも経験することなく、生きる人だっているかも知れない。


それが、いいことなのかどうかは、別として。


ただ、私は違った。

まだ、普通の人が生きるだろう人生の3分の1も生きていないけど、

すでに、私の人生はトラブルと、事件だらけだ。


やっぱり、それが、いいことなのかどうかは分からないけれど。


だから私は、少しだけ考えるようになった。


確かに、私も、他の人たちと同じだ。

大切なのは、自分と、自分の周りにある、僅かな世界で、

行動したり考えたりするときは、それが、何よりも優先される。


でも、同時に、少しだけ、私は想う。


自分とはまったく関係のない人。

遠い世界で人を殺している犯罪者。

残酷な現実に直面し、ただ立ち尽くす被害者。

楽しいから、と、このほうが楽だから、という理由で、

他人の意見など関係なく、

自分のした選択を無条件で賞賛する人たち。


それが、もし、私だったら、と。


その気持ちを、理解したい、と想う。


なぜなら、それが起きているのが、

テレビの中であろうと、

新聞の中であろうと、

ネットの中であろうと、


そこは、今自分が居るこの場所と、必ず繋がっている、

どこかの世界だからだ。



一生出会うことのない出来事、

二度と会うことのない人、

一度だって関わることのないだろう問題に、


遠く離れた無関係な場所から、

一つ一つに想い、理解しようとすることに、

いったいどんな意味があるんだろう、

と、私も、ふと想う。


答えは、私にもまだ、ない。

わからないままでいることが、ただ、怖いだけなのかもしれない。


だとしたら、うん、それでもいいんだ、と私は思う。

理由は、なんでもいいのだ。


想うことをやめずにいられるなら、それでいいと、

今の私は想っている。




ホタルの道。

私の実家の近辺は、今も尚、夏になると、

たくさんのホタルが飛ぶ、群生地になっている。


道路の脇には、『ここはホタルの棲家です』なんて看板が、

いくつか、わざわざ立てられているくらいで、

市内、そして県内の中でも、それなりに知名度があるくらい、

有名な場所でもあるみたいだ。


ただ、そのホタル。

ずっと昔から、たくさんいたわけではなくて、

一度は、まったく姿を見かけなくなってしまうくらい、

その数が減少したこともあるんだ。


それで、慌てて地元の人間が、

ホタルの幼虫を育成、放流という活動を地道に続けた結果、

なんとか、また姿を見られるようになった、

なんて経緯があったりする。


私が小学生のときは、まさに、

そんなホタルの数が減少をはじめていた時期で、

学校にはホタルの幼虫を飼育する小屋があって、

毎年、放流をしたりしていた。


たしか、そのときにたくさん聞かされた話では、

ホタルは、綺麗な水がある場所でしか、増えなかったはずだ。

なぜなら、ホタルの幼虫がエサとする、タニシが

綺麗な水のあるところにしか生息できないからだ。


ホタルが減少したのは、

そのタニシが減ってしまったからだと、

そのころに教わった気がする。


タニシというのは、小さな貝みたいな生き物。

田んぼの脇にある側溝などは、よく住んでいたっけ。

今思うと、あれこそはまさに、

地元の人間が必死に頑張った、

成果の一つだったのかも知れない。


そんなわけで、子供のころには

ほとんど見ることができなかったホタルだけど、

私が実家で生活を送っていた間にも、

地元の人間の努力は間違いなく現れはじめて、

しばらくすると、私も普通に外を歩くと、

ホタルが飛んでいるのを見られるまでになっていた。


改めて、こんなことを言うのもおかしいけど、

ホタルてさ、やっぱり綺麗なんだよ。


ホタルは、水がないと生きていけない。

だから、水辺の近くを必ずフワリ、フワリと飛んでいる。


田んぼと田んぼの間にある、細い道を歩いてみたりすると、

ホタルはまさに、そんな両側の田んぼを行き来していて、

夜の空を、柔らかな明かりを点滅させて飛ぶ様子は、

さながら光のアーチのよう。


私はそんな下を歩きながら、

その、ちょっとした幻想的な景色に、思わず見とれてしまう。


私は今年、実家に帰った。

それで、そんなホタルの光景を久しぶりに見ようと

昔の場所に行ってみた。


最後に見てから、時間はそれほど経っていない。

たしか、三年くらい前にも、見に来たばかりだ。

行ってみると、あの時見た景色は、

まだ、そのまま残っていた。


のだけど!


ホタルは、いなかったんだ。


あれ、場所を間違えたかなあ、


と思ったんだけど、ここに間違いないはずだ。


だって、近くにはあの、『ここはホタルの棲家です』

ちょっと錆びてしまっているけど、

間違いなく、しっかりと立っている。


時間とか気温とか、天気のせいかもしれない。

雨の降った翌日にはよく出る、なんて聞いたこともあるしさ。

その日は、たまたま飛んでいなかっただけかも。


それで、夏の間、私は行ける限り、何度もその場所に行ってみた。

だけど、やっぱり一度も、ホタルに会えなかった。


聞いたところでは、ホタルはやっぱり、

また減り始めているみたいだという。


ただ、以前と少し違うのは、

ホタルの幼虫の育成と放流という活動は、

今も活発的に行われている、ということ。


つまり、そうした活動があってもなお、ホタルは増えるどころか、

減りつづけているみたいなんだ。


これって、人間が手を貸してもダメなくらい、

ホタルの住む環境が悪化している、てことなんじゃないだろうか。


だとしたら、見た目には、ただ、のどかに見えるこの田園風景も、

その内側ではすでに、なにか、決定的な変化が

おきているのかも知れないぞ、と思い、

私は少し、恐ろしくなってしまったのだった。


ああ、これってやっぱり、自然も人間も、

外見だけで判断しちゃいけないって、ことなのかも知れない!


力尽きるハンター。

倒れても、倒れても、なお、立ち上がる。

モスマンのように!



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倒れても・・・・・・っ!



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倒れても・・・・・・っ!



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た、倒れても・・・・・・っ!


ううっ、結局、一体、どれだけ倒れたんだろう・・・・・・。


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お疲れ様、モスマン。

少し、休んでください。



オンラインゲーム「MHF」

これは、一人のヒーローの物語。

一人のプレイヤーの記録。


美化された思い出。

あるとき、誰もいない公園に集まって、

さて、今日はなにをして遊ぼうか、となった私たち。


五人の子供。

誰もいない公園。

たった一個のゴムボール。

そして、自転車。


今、手元にあるものすべてを見回して、

私が考えついたのは、この広い公園を使って、

鬼ゴッコをしたらどうだろう、ということだった。

もちろん、たったの五人で、普通に鬼ゴッコなどしても、

面白くなかったと思う。


それで私は、鬼ゴッコを自転車に乗った状態でやるのはどうだろうと、

思いついたのだ。

普通の鬼ゴッコの場合は、

逃げる側になった子供と、鬼になった子供との間に、

決定的な身体能力の差があったりすると、

いつまでも捕まえられない、という状況が生まれることがある。


ときには、それで、一人の子供が延々と、

鬼をやることになったりもする。


でも、遊びを考える者としては、当然、

みんなが平等に楽しめて、誰からも不満のでないような

遊びにしたい。


それで、逃げられる場所を公園内のみ、と限定して

更に、移動には自転車のみを使うという鬼ゴッコを考えたのだ。

自転車は、普通に走って逃げる場合と違って

小回りが効かないし、乗ったまま、どこかに隠れるわけにもいかない。

これってつまり、追う者と逃げる者との間に、

差が生まれにくい、てことだ。

走るのが速い子供というのはいても、

自転車を操るのがうまい子供なんて、いないもんなあ。


もちろん、鬼も自転車に乗る。


それによって生まれた、自分の足で走るのとは違う、

思うがままに逃げることができない歯がゆさというのは、

今になって思うと、この鬼ゴッコをとても面白くした要素の一つだったと思う。


ただ、そうすると、自転車同士が激しくぶつかることが多くなって、

どうしても、それが生傷をつる要因になってしまったんだ。


みんな、遊びのこととなるとホント真剣で、

ぜんっぜん容赦ないんだもんなあ。


たとえ怪我をしようが、逃げる相手を捕まえるためなら、

容赦なく、自転車でドンドンと突っ込んでいこうとするんだ。


それで、私はふと、一つだけあったゴムボールを見て、

思いついた。

これを、鬼のタッチの変わりに、したらどうだろう。

自転車に乗ったまま、

自転車に乗っている相手にタッチしようとするから、

衝突が増えて、怪我をしてしまう。


だったら、タッチを、離れた距離からできるようにしたら

いいんじゃないか、と思ったんだ。


みんなを追いかけるとき、鬼はボールを持って追いかける。


幸い、そのとき集まっていたみんなの自転車には、

全員、前のところにカゴが着いていた。

それで、鬼は、持っているボールをそのカゴに入れるようにする。


カゴにボールを入れられた人は、

タッチされたのと同じ効果があったと認められて、

捕まえられたことになる、というルールを新しく加えてみた。

やってみると、この鬼ゴッコは、俄然、面白くなっていた。

自転車のカゴにボールを入れると成功、というのは、

ちょっとしたバスケットボールのような面白さ生み出していたのだ。


たとえば、鬼が近づいてきたら、

勿論、逃げている側は、追いつかれないように離れようとする。


これが普通の鬼ゴッコだったら、一度距離をとってしまえば、

しばらくは絶対に安全になるのだけど、

タッチではなく、ボールをカゴに入れられたらダメ、という

ルールにしたことで、決してそうはならない、

一発逆転の可能性を生み出していた。


あるとき、なんとか追い詰めた、と思っていた相手に、

うまく逃げられてしまった鬼が、

ヤケクソになってボールを遠くから投げた。


なんと、ゴムボールは、そのまま遠くへ逃げたはずの

相手の自転車のカゴに、ポスンと、偶然、収まったのだ。


見事に逃げたつもりだった子供は悔しさで大絶叫、

ボールを投げた鬼は、喜びで雄たけびを上げ、

私たちは、目の前で起きた奇跡に、声を上げて笑い転げた。


私たちは、この新しい鬼ゴッコに夢中になった。


一発逆転が起きる可能性。

カゴにボールを入れる、という球技のような面白さがありながら、

ルールはとても簡単で、

鬼が追いかけ、後の者は逃げるだけでいい、

というのも、よかったのかも知れない。


どれくらい夢中になったかというと、

時間はあっという間に過ぎ、夕暮れになって、ついには日が沈み、

完全な夜になって、辺りが真っ暗になっても、

自転車についているライトの明かりだけを頼りに、

それでも、やり続けたくらい。


もちろん、ほとんど真っ暗だから、

相手の顔は見えないし、誰が鬼なのか、

誰が今、ボールを持っているのかもわからない。


なんだけど、なぜか、私たちは、

それがまた面白い要素になってしまったみたいで、

やめるきっかけも見つけられず、

その新しい鬼ゴッコを遊びつづけてしまったのだった。


やがて、心配した親たちが、私たちを捜しに来た。


ある者は叱られ、ある者は飽きれられ、

それで、私たちは、しぶしぶ、やめたんだけど、

ああ、あのときは、できることなら、もっとやりたかった。



そんなにも夢中になったくらいだから、

その後、きっと私の住む地域では、すごいブームとなったんだろう、と

思うかも知れない。


実際、このときの顔ぶれで、後日、私たちはもう一度、

この遊びをやってみた。


うーん、なんだけど、なぜだろう


最初にやったときのような感動や興奮は、

なぜか、まったく感じられないんだ。


それどころか、ゲームはとても淡々としていて、

面白いと思える要素はほとんど皆無。


おかしいな、これって、何が面白かったんだろう。


それで、結局、その遊びはそれ以後、二度と行われることが

なかったのだけど、


今改めてやったら、意外と面白いんじゃないだろうか、と

ちょっとだけ、考えてしまう私は、

やっぱり、昔の思い出を美化しすぎているのかも知れない。


モスマンハンター(NG集)

今回は、頭の中で

ジャッキー・チェン主演映画の、エンディング音楽を流しながら

ご覧下さい。



シーンその①。


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「監督、いつでも撮影いけますよおーっ」

「えーと、すいません。いつでも、じゃなくてカメラ、もう回ってます」

「・・・・・・え!?」



シーンその②。


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「これでも、食らえーっ」

「ギャオーンっ!」


「すいませーん、主役、写ってませんー」

「ええっ!?

「ギャオッ・・・・・・、あ、ごめんなさーい」



シーンその③。


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「くそっ、まだだ、私は、まだ戦えるぞっ」

「すいません、仮面取れてます。それじゃ戦えませんーっ」

「カットォーッ!」



シーンその④。


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「目の前が暗く・・・・・・て、アツっ、熱イッ!」


「・・・・・・オヤジさん、あれ、火薬の量、多すぎたんじゃないっスかねぇ」

「知るかっ」

「でも、スーツの下から、なにか聞こえるような・・・・・・」

「監督が派手にやってくれ、て言うんだから仕方ねぇだろうがっ」

「大丈夫かな・・・・・・」



シーンその⑤。


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「だから弟よ、そこで見っ・・・・・・ぎゃー!」

「モスさん、前を見て、前ぇーっ!主役を叩いてどうするのっ!」



オンラインゲーム「MHF」

これも、たぶん、一人のヒーローの物語。