美化された思い出。 | 初心者同志

美化された思い出。

あるとき、誰もいない公園に集まって、

さて、今日はなにをして遊ぼうか、となった私たち。


五人の子供。

誰もいない公園。

たった一個のゴムボール。

そして、自転車。


今、手元にあるものすべてを見回して、

私が考えついたのは、この広い公園を使って、

鬼ゴッコをしたらどうだろう、ということだった。

もちろん、たったの五人で、普通に鬼ゴッコなどしても、

面白くなかったと思う。


それで私は、鬼ゴッコを自転車に乗った状態でやるのはどうだろうと、

思いついたのだ。

普通の鬼ゴッコの場合は、

逃げる側になった子供と、鬼になった子供との間に、

決定的な身体能力の差があったりすると、

いつまでも捕まえられない、という状況が生まれることがある。


ときには、それで、一人の子供が延々と、

鬼をやることになったりもする。


でも、遊びを考える者としては、当然、

みんなが平等に楽しめて、誰からも不満のでないような

遊びにしたい。


それで、逃げられる場所を公園内のみ、と限定して

更に、移動には自転車のみを使うという鬼ゴッコを考えたのだ。

自転車は、普通に走って逃げる場合と違って

小回りが効かないし、乗ったまま、どこかに隠れるわけにもいかない。

これってつまり、追う者と逃げる者との間に、

差が生まれにくい、てことだ。

走るのが速い子供というのはいても、

自転車を操るのがうまい子供なんて、いないもんなあ。


もちろん、鬼も自転車に乗る。


それによって生まれた、自分の足で走るのとは違う、

思うがままに逃げることができない歯がゆさというのは、

今になって思うと、この鬼ゴッコをとても面白くした要素の一つだったと思う。


ただ、そうすると、自転車同士が激しくぶつかることが多くなって、

どうしても、それが生傷をつる要因になってしまったんだ。


みんな、遊びのこととなるとホント真剣で、

ぜんっぜん容赦ないんだもんなあ。


たとえ怪我をしようが、逃げる相手を捕まえるためなら、

容赦なく、自転車でドンドンと突っ込んでいこうとするんだ。


それで、私はふと、一つだけあったゴムボールを見て、

思いついた。

これを、鬼のタッチの変わりに、したらどうだろう。

自転車に乗ったまま、

自転車に乗っている相手にタッチしようとするから、

衝突が増えて、怪我をしてしまう。


だったら、タッチを、離れた距離からできるようにしたら

いいんじゃないか、と思ったんだ。


みんなを追いかけるとき、鬼はボールを持って追いかける。


幸い、そのとき集まっていたみんなの自転車には、

全員、前のところにカゴが着いていた。

それで、鬼は、持っているボールをそのカゴに入れるようにする。


カゴにボールを入れられた人は、

タッチされたのと同じ効果があったと認められて、

捕まえられたことになる、というルールを新しく加えてみた。

やってみると、この鬼ゴッコは、俄然、面白くなっていた。

自転車のカゴにボールを入れると成功、というのは、

ちょっとしたバスケットボールのような面白さ生み出していたのだ。


たとえば、鬼が近づいてきたら、

勿論、逃げている側は、追いつかれないように離れようとする。


これが普通の鬼ゴッコだったら、一度距離をとってしまえば、

しばらくは絶対に安全になるのだけど、

タッチではなく、ボールをカゴに入れられたらダメ、という

ルールにしたことで、決してそうはならない、

一発逆転の可能性を生み出していた。


あるとき、なんとか追い詰めた、と思っていた相手に、

うまく逃げられてしまった鬼が、

ヤケクソになってボールを遠くから投げた。


なんと、ゴムボールは、そのまま遠くへ逃げたはずの

相手の自転車のカゴに、ポスンと、偶然、収まったのだ。


見事に逃げたつもりだった子供は悔しさで大絶叫、

ボールを投げた鬼は、喜びで雄たけびを上げ、

私たちは、目の前で起きた奇跡に、声を上げて笑い転げた。


私たちは、この新しい鬼ゴッコに夢中になった。


一発逆転が起きる可能性。

カゴにボールを入れる、という球技のような面白さがありながら、

ルールはとても簡単で、

鬼が追いかけ、後の者は逃げるだけでいい、

というのも、よかったのかも知れない。


どれくらい夢中になったかというと、

時間はあっという間に過ぎ、夕暮れになって、ついには日が沈み、

完全な夜になって、辺りが真っ暗になっても、

自転車についているライトの明かりだけを頼りに、

それでも、やり続けたくらい。


もちろん、ほとんど真っ暗だから、

相手の顔は見えないし、誰が鬼なのか、

誰が今、ボールを持っているのかもわからない。


なんだけど、なぜか、私たちは、

それがまた面白い要素になってしまったみたいで、

やめるきっかけも見つけられず、

その新しい鬼ゴッコを遊びつづけてしまったのだった。


やがて、心配した親たちが、私たちを捜しに来た。


ある者は叱られ、ある者は飽きれられ、

それで、私たちは、しぶしぶ、やめたんだけど、

ああ、あのときは、できることなら、もっとやりたかった。



そんなにも夢中になったくらいだから、

その後、きっと私の住む地域では、すごいブームとなったんだろう、と

思うかも知れない。


実際、このときの顔ぶれで、後日、私たちはもう一度、

この遊びをやってみた。


うーん、なんだけど、なぜだろう


最初にやったときのような感動や興奮は、

なぜか、まったく感じられないんだ。


それどころか、ゲームはとても淡々としていて、

面白いと思える要素はほとんど皆無。


おかしいな、これって、何が面白かったんだろう。


それで、結局、その遊びはそれ以後、二度と行われることが

なかったのだけど、


今改めてやったら、意外と面白いんじゃないだろうか、と

ちょっとだけ、考えてしまう私は、

やっぱり、昔の思い出を美化しすぎているのかも知れない。