初心者同志 -35ページ目

引越しの朝。


高校の入学式を、数日後に控えていた夜に電話がかかってきた。

中学の同級生からだった。


「明日あいつが引越すから、みんなで手伝いに行こうと思うんだけど」


それは、前から話していた計画のひとつだった。


すでに仲のよかった友人のほとんどは、地元にある高校に

進学するのを決めていたのだけど、ただ一人、

ずっと離れた県外の高校に行くことになっていた友人がいた。

頼る親戚もいないので、その彼は一人暮らしをすることになっていた。


その引越しの手伝いを、仲のよかった皆でやろう、ということで、

当日、私のところにも電話が回ってきたのだ。


「いいよ、行こう」、ということになったのだけど、問題が一つあった。


友人はその日、荷物を積み込んだあとは

そのまま、引っ越していくことになっていたのだけど、

業者には頼んでいなかったので、積み込んだ荷物と一緒に

親が運転する車に乗って、かなりの時間をかけて

移動しなければいけなかったのだ。


それで、荷物の運び出しは、かなり早い時間に

はじめる必要があった。


当時、高校の入学式までは、ほとんど暇にしていた

私たちだったから、手伝いに行くこと自体はなにも問題ない。


ただ、時間が時間なので、


大丈夫かな?起きられる?


と訊かれてしまった。

どうやら、他のみんなにも同じ質問をしたところ、

わからないけど、起きられたら行くよ、という答えだったようだ。


せっかく手伝いに行ったのに、人が全然集まらなくて、

逆に迷惑になったりしたら、イヤだからさ。


と、今回のことを思いついた友人は、気にしていたのだった。


私は、早起きには問題ないので、大丈夫、絶対行くよ。


答えた。

答えて、電話を切った。

のだけど、切ってすぐ、あれ、と思った。


手伝いに行くのは明日だ。

早朝だ、というのも、確かに聞いた。


でも、みんなが集まる正確な時間を、私は聞いただろうか?


asa sora


たしか、かなり、早い時間だとは言ってたんだよなあ。

うーん、4時?・・・・・・いや、5時だったかな?


いや、やっぱり聞いてないぞ!


聞いておかないと!と思ったんだけど、ただ、

なんとなく、私からまた、電話をかけなおすのは気が引けて、

他にも誘われたはずの、別の友人に私は電話をかけて聞いてみた。


その友人は朝起きられそうにないので、行くかどうかは迷っている、

ということだったけど、


「時間はたしか、朝の5時半だったよ」


と教えてくれた。


おお、そっか。

思ってたより、遅いんだなぁ。

みんな来てくれるかな、なんて心配してたから、もっと早い時間なのかな

と思っちゃった。

うん、でも、これなら間違いなく、起きていけそうだな。


なんて思って安心した、その翌日。


時間通りに約束の場所に行ってみると、集まった友人たちは、

なんと、すでに解散しようとしているところ。


「え?あれっ?・・・・・・5時半から、だよね?」

「4時半だよって、電話で言ったでしょ・・・・・・」


ちゃんと、確認とるべきだったなあ、と後悔した私だった・・・・・・。



「不都合な真実」

映画「不都合な真実」を見た。


アメリカ合衆国の副大統領にまでなったほどの政治家が、

いったい、環境問題のどんなことを語っているのだろう

という多少の皮肉めいた興味からの視聴だったけれど、

この作品、びっくりするくらい楽しくて、思わず一気に見てしまった。



sinjitu


【 不都合な真実 スペシャル・コレクターズ・エディション 】 ◇監督 グッゲン・ハイム


何よりも1番強く感じたのは、これは、彼が政治家だから、

なのかも知れないけれど、ゴア本人の話がとても面白いことだ。


講演の風景を映しているシーンでは、彼の言葉はずっと澱みなく、

とても軽やかに紡ぎだされ、時折ジョークと皮肉をはさみ、

しかも驚くくらい適切で、無駄がない説明と共に、会話がつづけられていく。


ただ地球温暖化について警鐘を鳴らす映画、というだけでは

とても、2時間近くも見ようなんて思わないよ、と思う人でも、

きっと、最初の数分ですぐに彼の会話に惹き込まれるはずだ。


構成に無駄がなくて、なによりも、ゴア本人の語りが、楽しいせいだ。


もちろん、温暖化自体の問題にも現実味がある。


次から次へと出てくる映像やデータは、深刻、というよりも、

もはや、末期のような状態で、ほとんど呆然とさせられる。

と同時に、自分があまりにも無知なのを思い知らされて、

笑いさえこみ上げる。


すべて観終わったあと、気が付いた。


「環境問題」を取り上げる政治家は、よく考えてみれば、支持率を

得ることに熱心ではない政治家なんだ、と。


国民の支持を集めたいなら、経済問題や、医療問題を取り上げた

ほうが、ずっと効果があるからだ。

今の米国の白熱する民主党の予備選だって、

環境問題が、一番の重要なテーマとして扱われることは、

この先も、絶対にない。


もし、本格的に環境問題に取り組む、ということになれば、

それは、多額の税金がその問題のために投入されることを、

意味しているからだ。


米国という国は、ほんとうに不思議だ。


こういった映画が、元副大統領の活動を下に作られる一方で、堂々と、


「2025年までに、米国内の温室効果ガス排出量増加を止める」


なんて、演説をする大統領もいる。


つまり、米国の代表者は、あと17年間は、このまま温室効果ガスを

無尽蔵に、吐き出しつづけるつもりなのだ。


この演説を聞いたドイツの環境省長官は、

「ネアンデルタール人の演説」と、一笑に付した。


当然だ、ヨーロッパの施政の基準からすれば、

そもそも、大統領が会見で言うようなことではないのだから。

もし、私が米国人だったら、「米国人にこれ以上恥をかかせないで!」

と、叫んだかも知れない。


で、日本。


「一定の方向性を示したことは評価する。大きな流れに沿ったものとして歓迎する」


とは、その会見をうけた、町村官房長官。


ああ、もう!日本人にこれ以上恥をかかせないでっ!



5本のあたり。

【昨日からのつづき】。


ずっと、当たりが出ないと噂されていたアイス。


でも、もしかしたら、なんて思いつつ食べていくと、

本当に出てきた『あたり』の文字。


うわあああ、当たった!

しかも、よく見ると、一本じゃない、『あたり・5本』と書いてあるっ!!


今でも、私はその瞬間の気持、食べていた周囲の景色、

そのときの空の天気までハッキリと思い出せる。

それくらいの、衝撃だった。


もちろん、私はすぐさま、そのアイスを買ったお店に急いだ。

自転車を走らせながら、そのときの私が考えていたのは、


「あのお店に、まだ、5本も同じアイスがあるだろうか?」

(なんといっても、5本の当たりだ!)


「もらうのはいいけど、5本も持ってかえって、冷蔵庫に全部入るだろうか?」

(私の家の冷蔵庫はそんなに大きくなかった。ああ、心配だ!)


「そして何よりも、お店のおばちゃんは、これを本物と信じてくれるだろうか?」

(だって、当たりなんてゼッタイ出ないと言われていたアイスだ!しかも5本だ!)


もう少しでアイスを買ったお店!と、いうところで、私は

遊びに行こうとしていた友人たちに出会った。

ここで生来の、人に自慢したくて仕方ない衝動が、私の中にむくむくと。

やっぱり、こんな機会は二度とないだろうし、

当たりが出ない、といわれていたアイスを

当てたわけだし(しかも5本だ!)


そこで友人を呼び止めた私は、持っていたアイスの棒を差し出して、

みんなにおもいっきり、ここぞとばかりに自慢した。

もちろん、友人たちは大騒然で、大騒ぎ。

うーん、気分いいなあ、わっはっは。


ひとしきり私の自慢がおわったあと、友人たちは、


「これからみんなでサッカーにいくんだけど、一緒に行こう」


と私を誘ってくれた。

正直にいうと、アイスのことが気になって、そのときは遊ぶどころ

じゃなかったんだけど、一度アイスを交換してもらうと、

今度はそれを家に持って帰らないと溶けてしまうから、そうなると、

みんなとは遊べなくなってしまう。


ま、アイスは家に帰るときに交換してもらえばいいか。

そもそも、アイスの交換に期限があるわけじゃないんだし、

急ぐわけじゃないもんなあ、と、その時は考えた。


それで私は、みんなとそのままサッカーに。


日か沈むまで遊んで、みんなと別れたあと、

さて、それでは、アイスの交換に行こうかなあ、と

『あたり』と書いたあったアイスの棒を入れていた、ズボンのポケットを

探ってみると・・・・・・。


ん?

あれ?

おかしいな。


手を入れているのに、ポケットからはなんの感触も伝わってこない。

たしか、ここに入れたハズなのになあ。

別の場所だったかな、と他のポケットも探ってみたけれど、

・・・・・・ない!


ええ!うそっ!?

きっと、どこかで落としたんだ!


とは思ったけれど、あたりはすでに暗くなり始めていて、

地面を探すのも一苦労。

それでも必死に、友人たちとサッカーしていた広場や、

他にも行っただろう場所を全て見て回ったんだけど、

うーん、やっぱりない!


わーん、私のアイス5本分っ!!!


けっきょく、その間にも日はどんどん沈んでいき、やがて完全に

真っ暗な夜の時間になってしまい、私は諦めて、家に帰ったのだった。


あのときの私のアイスの当たり棒は、結局どうなったのか。


ゴミとして、誰かに拾われて、当然のように処分されたのか。

それとも、運のいい誰かが、当たっているのに気づいて、交換してもらったのか。


今も、ときどき思い出して空想するのだけど、答えはでない。



当たりクジの悲喜こもごも。

クジのついたお菓子で『あたり』をひくのは、子供の夢だ。


たとえば、「チョコボール」特別に好きというわけでもないのに、

なぜか、ふいに食べたいと思ってしまうのは、ゼッタイに、

金と銀のエンゼルのせいだ。


子供のころは、一生買い続けても出そうにない、と思えた

金のエンゼルも、お金を好きなだけ使える大人になった今なら、

当てられるかも知れない、と思ってしまう。


もちろん、そんなムチャな買い物はしないし、気まぐれのように

一つ買ったとしても、やっぱり、エンゼルなんて当たらないのだけど。

うーむ、おもちゃの缶詰、やるなあ・・・・・・。


子供のころ、当たりクジつきお菓子の代表格といえば、

それはやっぱり、アイスだった気がする。


棒のところに『もう一本あたり』と書いてあれば、もう一つ食べられる。

食べていくと、だんだん見えてくる棒の部分に、子供のころは

一喜一憂していた。


私が子供だったころ、この当たりつきアイスに、おかしなインフレが起きていた。

つまり、当時何種類もあったアイスのほとんどが、みんな当たりつきの

クジをつけるようになっていたのだ。

そんな中でも、私たちの間で、とても話題になっている、

一本のアイスがあった。

そのアイスは、なんと!最大で5本も当たるクジがついていたのだ。


棒の部分に『5本あたり』と書いてあれば、その場で、もう5本同じアイスがもらえる!

それはさすがに食べ切れないだろう、という感想は置いておくとして、

もしそれが事実なら、使えるお小遣いが限られている子供にとっては、

夢のような話。


当時の私たちはこぞって、そのアイスを買って食べていた。

のだけど、5本どころか、1本だって当たりをひく人間がいない!

一度だけ、


「どうやら、あのお店で買った誰かが、『4本あたり』をひいたらしいぞ」


なんてウワサが一度だけあったのだけど、子供というのは

そういった噂の真偽を見極めることに、とても長けている。

具体的な人の名前、何年生なのか、いつの話なのか、ということが

一つもはっきりとしないので、これはタダの噂話で真実じゃないな、と

誰もが気が付いていた。


日数が過ぎて、この5本当たりクジつきのアイスを買う人は、

ほとんどいなくなっていた。

誰もが、このアイスは当たらないアイスだと、気づいたからだ。

子供の噂話はあっというまに広がる。

私も当然その噂を聞いていたのだけど、当たらない、と言われると、

ますます当ててみたくなる、という、ちょっと厄介で、ひねくれたところがあった。


ま、でも、それに、一本くらいは、もしかしたら、当たるかも知れないしさあ。


なんて思いながら食べていくと、本当に出てきた『あたり』の文字。

うわあああ、当たった!

しかも、よく見ると、一本じゃない、『あたり・5本』と書いてあるっ!!



あれ、書ききれない。

明日につづく。



当たりつき駄菓子との対決。

子供のころは、よく駄菓子を食べた。


ほんの僅かなお小遣いで、子供心に物欲を満たしたいと思ったら、

やっぱり、駄菓子以外には考えられない。


そして、もちろん、どうせ買うのなら、オマケつきのお菓子がいい。

のだけど、オマケつけのお菓子は、普通のお菓子よりも、

大抵の場合、少しだけ高価なのだ。


うーん、ここは、子供としては悩むところ。


しかも、オマケは、実際に中を開けてみるまで、

何が入っているか、わからないことが多い。

パッケージの裏側に載っている、入っているオマケの全種類を

紹介している絵柄を、何度もチェックする。


えっと、あれが入っていたら当たり、それ以外だったら外れ、か、うーむ・・・・・・。


で、悩みつつ、ちょっとその横を見てみると、オマケは付いていないものの、

当たりクジのついたお菓子が、いくつか並んでいるのを発見する。


オマケつきのお菓子と違って、当たりクジがついているだけのお菓子は、

値段が比較的、安いのが特徴。

しかも、もし当たれば、なにか景品がもらえたり、

もう一つ、同じ商品がもらえたりする。


うん、こっちを選ぶという手もあるな。


子供のころ、私がよく買っていたお菓子には、20円という

とても手ごろな価格のチョコレートで、しかも、その包装紙のところに

当たりクジのついている、というものがあった。

で、そのクジでなにが当たるのかというと、それはズバリ、お金!


当たった場合、包装紙のところには「10円」から、「200円」まで

金額が実際に書いてあって、それを買ったお店に持っていくと、

その金額分、またお買い物ができたのだ。


もちろん、ほとんどの場合は「はずれ」なんだけど、ときには

運のいい友人が「200えん」と書いてあるのを当てたりして、

当時の私たちは、ドリームジャンボの一等を当てた大人だって

しないような、喜びと驚きの歓声をあげて、大騒ぎをしたりした。


翌日には、町中にそのウワサが広がって、その彼はヒーローになる。

その名も、「200えんの男」。


あ、あそこにいるアイツ、200えんを当てたらしいぞ!

ええっ!すげえ、200えんの男かよ!


・・・・・・ま、今思うと、それはどうなんだろう、と思うけど。


でも、日々、少ないお小遣いと、その使い道について頭を悩ませつづけている

子供にとって、「20円」が、「200えん」に化けるなんてことは、

とんでもなくサプライズな出来事だったのだ。


そんな私自身、お菓子のすごい「当たり」を経験したことがあって、

それは今でも忘れられない、辛い思い出となっているのだけど・・・・・・、


それはまた明日につづく。