ワビとサビ -13ページ目

そば

仕事から帰り、夕飯にそばをゆでて食べた。お湯に対しそばが多かったため湯はどろどろになりそばは短くちぎれたものもあった。そばの失敗例の見本である。


話し変わって、少しブログを書かなかった。久しぶりに書くと何から書いていいのかわからなくなったりします。…プレイステーションのドラクエ5を買いました。結構面白いです。


向田さん

時間にはゆとりを持って行動するほうである。

朝会社に行くのもだいぶゆとりを持ってる。朝会社に行き、始業までの時間はもっぱら談話か読書をしてる。今読んでるのが向田邦子さんの「父の詫び状」(九月の終わりにもかいたな)


家族、自分の姿を本当に上手く書いてるんです。子供の頃の回想だとかいろいろなものが兎に角読ませられる内容で毎朝脱帽してる。感情におぼれすぎない文章が本当によいです。


ブログを書く上でこういう文章が書けたら…

無い知恵絞って少しでもよい内容が書けたら、そう思うのです。

サボり魔

仕事が忙しい、というのはいいわけ。うちは田んぼをやってる、週1日の休みも返上。これも言い訳。

とにかくピアノも恋愛もブログもあれもこれもサボってる。仕事こそサボらない(サボれない)もののあまりいい傾向ではない。ともあれ深呼吸して仕切りなおし、そんな感じ。今年もあと2ヶ月だよ!?

浮き沈み

浮き沈みで言うとこの沈みが多いこの頃。

沈んでるときって些細なことに心がささくれ立つ。でも逆に温かい一言がいつもよりも心にしみるんだなこれが。そんな言葉をかけてくれる人へ、本当ありがとな、と。照れながらにお礼を言いたい。でも、言えない。


父の詫び状   向田邦子

を、今日から読み始めた。このところ小説を読むことが多かった。なのでエッセイを妙に新鮮に感じた。まだ読み途中なんだけどやっぱし家族って切っても切れない間柄で随分と影響を受けるものだというのを感じた。

続きは会社のお昼休みに少しづつ読みます。


読書はいいものだけどジャンルをもっといろいろなものを触れないといけないかな?そんなことも読んでて思った。

沈黙

沈黙は金なり、そんな言葉を耳にしたことがありますが自分はこれを会社で実践してる。

会社での人付き合いは通り一遍といった感じ。今の会社は1年半いるけどなんか馴染めないのだ。

もっとも仕事をしに行っている、という意識が強いためだろう、独身の女の子も結構要るのだけど手が何故か出せない!?自分の中の何かが邪魔をする。そんな気がする。


少し話がそれたけど今の会社でそれなりにまわりと上手くやっていく、このことにはだいぶ悩んだ。

他人のどこかを笑いものにして自分たちが1段上に立ってる、そんな感じの話を影で年がら年中してるのに正直嫌気がさした。どこにでもあるが程度ってモノはある。僕は影でクソミソに言われてたくちでよく辞めなかったなぁ。としみじみ思う。しかもめちゃくちゃ理不尽なことを。何故クソミソに言われてたのかというと僕を目の敵にしてた奴がいて、その人は自分の前に入った人でまだ自分も入社して日が浅く僕にしか威張れなかったかららしい。その目の敵にしてた人は今は会社を去り(クビになった)今でこそ自分もそこそこ周りとうちとけたものの、心のどこかで一線を置いている。他人をいろいろ肴にする人は自分は他人にするくせにどうして自分の名前が出るとそんなにむきになるのだろうか?自分がやられて嫌なことを他人に平気でしてるのはなんなんだ!?他人の痛みには鈍感で自分のは敏感。

納得できねぇ~。人の口なんて蓋ができないものだぜ、言われたくないなら言われないように行動で示すしかないのだ。


とにもかくにもそこまで目の敵にされた、という経験は自分の人生でなかったことだったのでいろいろ学ばせてもらった。転んでもタダでは起きてはいけない。


なんだかんだで心なり体なり痛みを伴った経験が1番成長の糧になると思うから。

送別会

今日は職場の某氏の送別会がある。

某氏が退職にいたる理由はまことしやかにささやかれてるのが1番仲のよかった同僚との仲たがい。その仲たがいの理由というのがもうひっくりかえるくらいくだらないというか、情けなくて、もう好きにすればいいじゃん。と周囲も呆れ顔だった。中にはさっさと辞めろ!と憤慨してる人もいた。


もちろん真偽のほどはどの程度のものかはわからないが、同僚として過ごしたのは今日昨日ではないのでそれは概ねあってるんじゃないか、そう思える。僕は某氏を悪く書きたいわけではない。どんなことにも分析すれば教訓は含まれているもの、それを少し考えてみた。


まず某氏と仲たがいしたという同僚、この二人は公私共にするほど仲のよかった二人で休日もふたりででかけてたし、職場でもお前等しゃべりすぎ、といった感じだった。喧嘩の理由自体は些細なことであった。

二人に足りなかったものは歩み寄りではないか、1年2年ともに過ごして喧嘩の一つ二つ当たり前ではないか?僕は以前男ばかりの職場で怒鳴りあいの喧嘩などというのは時たまあった。でも必要以上に尾を引くようなものはそうなかった。信頼関係は簡単には築けない。仕事が絡むならなおのこと。器の小ささで事を長引かせても仕方ないものだ。



仁義

1週間くらいかけて、仁義なき戦いの5作をビデオで見た。

仁義なき戦い


仁義なき戦い   広島死闘篇


仁義なき戦い   代理戦争


仁義なき戦い   頂上作戦


仁義なき戦い   完結篇


以上5作。ビデオと向かい合うこと1週間。がっぷり4つに組んでの鑑賞だった。

好きなのは?お勧めは?というなら1作、3作でしょうか?どちらもラストシーンがかっこいい。

とくに3作目の最後のシーンで

「争いごとが起きたときにまず最初に失われるのは若者の命である、そしてその命が報われることはない」このセリフにどうしようもないくらい感銘を受けました。

お肉

仕事が終わり帰宅する。

夕食は両親も仕事があるので一人で済ますことが多い。居間のテーブルを見ると書置きがある。


「鍋に肉が煮てあるから丼物にして食べてください。  母」


腹ペコの僕は台所に行き鍋を開けました。そこには糸こんにゃくとたまねぎが煮てあった。よくよく目を凝らしてみると多少肉もないこともない。けどなにかが、寂しかったです。お肉…


まあ、給料前だしな。粗食は長生きの秘訣というし。


味の方は抜群だった。粗食であれ手料理が食べれることに素直に幸せを感じた。次はお肉を食べる幸せを感じたい。そう思った。

月光

夜、夜風に当たりにふと庭に出る。空を何気なく見上げると空には丸くて綺麗なお月様がありました。

お月様を見て僕はいつのころからか空を見上げなくなったことに気がつきました。お月様の光はどこかやさしさがあり僕に「何か」を教えてくれようとしてるように感じました。


どうして世の中は、美しいものは脆く汚いものはこびり付く。そんなことを考えてる僕に月の光はやさしい光で照らしてくれている。明日が明るい日でありますように。



なじみのないものは旨いとは

先日親しくしてる人からキャビアを貰った。

小さな瓶詰めなんだけどその程度でも1万円するそうです。ロシア産なのですが知人いわく

「ロシアの真空技術はあまりよくないから早く食べることを進める」

との言葉も同時に頂いた。


さて、満を持してキャビアを食す。



・・・・・・・・一言、珍味と美味は違うものである。