イタリア・オペラの序曲・間奏曲とレスピーギ《ローマの松》他というプログラム。
これまで、ムーティのカリスマ的な指導のもと、数々の演奏会形式のイタリア・オペラで日本のオーケストラとは思えない、厚みと凝縮感のある響きで圧倒的な演奏を披露してきた春祭オケは、昨年の《アッティラ》で一つの頂点を築いたと思ったが、今年のオーケストラのみの公演でもさらに磨き抜かれた響きで、物理的にも精神的にも湧き上がるエネルギーを惜しげもなく放出し、聴衆を圧倒した。
コンサートマスターは昨年の長原幸太から今年は郷古廉に交代した。メンバーにも若干の新陳代謝が見られた。オーボエ首席金子亜未は昨日も蝶々夫人で演奏しており、連夜の出演。
前半は、ヴェルディ《ナブッコ》序曲から始まった。主部ではムーティ特有の畳み掛けていくリズムの躍動感と凝縮された緊張が際立ち、オペラの一幕を丸ごと体験したかのような密度の濃さがあった。
続くマスカーニ《カヴァレリア・ルスティカーナ》間奏曲では、耽美に流れることなく、何も足さず引かない透徹した響きが印象的だった。
レオンカヴァッロ《道化師》間奏曲では、出だしの重厚さと深み、さらに中間部の内面的な苦悩の表現が聴き手の心を打つ。
ジョルダーノ《フェドーラ》間奏曲は、甘美で歌心にあふれており、間奏曲としての性格を最大限に生かした演奏。
プッチーニ《マノン・レスコー》間奏曲は、マノンとデ・グリューの運命が悲劇的に変わっていく様が怒涛のように押し寄せる弦の厚みの中に描かれ、オペラ全幕を圧縮したような情感が伝わってきた。チェロとヴィオラ、ヴァイオリンのソロに説得力があった。
前半の締めくくりのヴェルディ《運命の力》序曲では、冒頭から終盤に至るまで堅固な構造感と推進力が充満。見得を切るように大げさにしないところがムーティらしい。
前半の演奏では《ナブッコ》序曲、《マノン・レスコー》間奏曲、《運命の力》序曲の3曲が出色だった。
後半は、カタラーニの《コンテンプラツィオーネ》から。1878年作のこの前奏曲は、「熟考」という題にふさわしく、ヴァイオリンの甘美な旋律と管楽器の繊細な対話が心に沁みる。ムーティはこの作品を格調高く、神聖な祈りのように描き出した。ワーグナーに傾倒した最初のイタリア人作曲家として、装飾音の使い方には《ローエングリン》の婚礼の場面を思わせるものがあるが、神聖さはワーグナー以上に感じられた。
最後はレスピーギ交響詩《ローマの松》。ムーティはここでも作品の本質に真正面から取り組む姿勢を貫き、決して誇張に走らず、若い奏者たちの潜在力を引き出しながら、確信と威厳に満ちた指揮で、最大のクライマックスへオーケストラを導いた。
バンダの金管はステージ奥と左右に配置、アッピア街道の松のコーダを壮麗に盛り上げた。
ムーティの東京春祭オーケストラへのリハーサルは、昨年の歌劇《アッティラ》で何度も見学する機会があった。そこでは、オペラの内容と音楽の意味を細部に至るまで徹底的に伝える指導が行われていた。今回の序曲や間奏曲でも、同様にオペラそのものの理解を深めるようなアプローチが取られたに違いない。
そして、カタラーニやレスピーギといった純粋な管弦楽曲においては、果たしてどのような言葉を投げかけたのだろう。ひとつ確かなのは、ムーティが決して外面的な効果を狙うことなく、作品の本質を掘り下げる方向へとオーケストラを導いたということである。
指揮:リッカルド・ムーティ
管弦楽:東京春祭オーケストラ
曲目
ヴェルディ:歌劇《ナブッコ》序曲
マスカーニ:歌劇《カヴァレリア・ルスティカーナ》間奏曲
レオンカヴァッロ:歌劇《道化師》間奏曲
ジョルダーノ:歌劇《フェドーラ》間奏曲
プッチーニ:歌劇《マノン・レスコー》間奏曲
ヴェルディ:歌劇《運命の力》序曲
カタラーニ:コンテンプラツィオーネ
レスピーギ:交響詩《ローマの松》