時々見ている「とっさんTV」

 

今回は日本周辺について語っています。

大分きな臭い話です。

 

 

この動画、前半はプーチン政権崩壊(対ウクライナ敗戦)とクーデターの可能性について話しています。

そして7分32秒あたりから、中国の動きについて。

ロシアがウクライナを手に入れるようなことになると、それを見て、中国は台湾に有事を仕掛け、取る。その後尖閣諸島を必ず取りに来る。そして石垣諸島(って言うんだっけ)に手を出し、沖縄、奄美大島に手を出すだろう。

これは、日本の石油の輸入ルートを断つことである。そうなれば、将来日本は中国の属国的なものになってしまう。

今やアジアは、東南アジアからオーストラリアに至るルートの方が重視されている。

そうなると日本は中国に近い北のちっちゃな国。アメリカがどこまで本気で日本のために戦うか。

こういう時代になると、日本もうかうかしていられない。

でも、日本人は一般的にそこまで深刻に考えられないみたいですね。

阿部さんは「台湾の有事は日本の有事」と言っていた。私は阿部さんのいう事なんか、ぼんやりとしか見ていなかったけど、先見の明がある人だったんですね(と、今頃)。

 

今、こちらでは、フィンランドとスウェーデンがNATOに入りたくて、大分もめています(これについては、また書くつもりです)。

そのゴタゴタに関して、スウェーデン人の気質って、なかなか面白い(?)ですねって思いました。

 

 

 

 

 

 

 

台所の壁に忘れ去られてかかっていたマタタビの入った包み。

 

こんなのが2本、ひっそりと残っていました。

昔、ご飯にかけて上げたら、グルッセが気が狂ったように喜んでいたのを思い出しました。

 

それで丁度リーサがご飯食べてたから、横から振りかけてみました。

そうしたら…

キャって言うように身を縮ませて、逃げて行った。

えっ、君、猫じゃないの?

変なの‼

 

 

 

 

 

あっちゃんが茶道について話しています。

 

 

私も大学時代から茶道を始めました。

とても良い先生で、大体、このあっちゃんと同じようなことを習いました。

その時の話をしたいと思います。

 

先ずは、その後、私の先生となる方が突然家に訪ねて来たことに始まります。

うちは庭の世話は全ておばあちゃんがやってくれていました。

その庭は、表通りと裏の細い道に入るところの角地で、いろんな植木や花、野菜などが植わっていました。

今はもう、税金対策で賃貸のアパートを、敷地一杯に建てたので、昔の面影はありません。

その庭の通りに面した所に白い芙蓉の木があって、毎年花を咲かせていました。

 

フヨウ,ふよう(芙蓉)の花言葉-花言葉事典

 

そんな季節のある日、突然、上品な感じの女性が門を叩き、訪ねて来ました。

「今、咲き盛りの芙蓉の枝を一枝いただけないでしょうか。挿し木にしたいので」と。

お茶花にするのに、大変貴重な種類なのだとか。

母は勿論、どうぞどうぞ。

そこで彼女が自己紹介。

ご近所でお茶の先生をなさっていられると。

「お嬢さんがもしお茶に興味がおありならどうぞ」

と言われて、母は私にどうか、と尋ねます。

私は当時、音楽に興味があって、クラシック・ギターを習っていました。

そして、いわゆる習い事にはあまり興味がありませんでした。

それでも、ご近所のおばさんが薦めて来るのだから、やってみようかなと、かなりあやふやな気持ちで始めました。

 

当時の私は、どこにでもいるような、ごく普通の女学生。

まあ、素直な方で、なんでも「はい、はい」と受け入れてしまうような、反抗期なんて関係ない子でした。しばらく習っていると、先生が土曜日の朝からお稽古するから、と言われます。

普通はみんな、午後から来るのですが…

 

そうしたら、朝の内は、お茶を小さな石臼で曳くことから、棗にお茶を入れること(きれいな山の形になるよう、苦労しました)、水屋の整理をしたり、今日のおけいこの茶碗を一緒に選んだり、お茶をたてるための準備をいろいろとやらされました。

そうして、生徒さんが来始めると、先生の隣に座って、みんなのお点前を見学。

私のお点前を見ていただくのは、最後で、土曜日は一日ずっとお茶。

なんでそうなのか、全く分からず、素直に「はい、はい」と先生の言うなりに従っていました。

ということは、嫌いじゃなかったのですね。

おこがましいことですが、今思うと、先生は私の中に、ある程度の素質を見抜いていたのではないかと思います。

 

大学卒業の頃になると、就職先を探していた私に、降ってわいたように渡独の話が持ち上がります(この話は、またいつか書くことにします)。

私が教わったお茶の宗派は「大日本茶道学会」という、なんか大変いかめしい名前で、もともとは裏千家の系統です。

茶道をもっと利休が始めた源典まで戻って、無駄なところは省き改善する、という考えに立っていました。

私がヨーロッパに行くということで、こういう理論的なことも、本を読まされ、勉強させられました。もう半世紀も前のことです。

体の動きも、丹田に心を込めて、そこから出てきた「気」に従って動作する、ということを、いやというほど教えられました(それにしては、大したことないんですが――先生、ごめんなさい)。

これは後にドイツで勉強した呼吸法に通じるものがありました。

そして、薄茶から始まり、濃茶、箱立て、盆立てといろいろ学びましたが、私はあっちゃんが濃茶を押しているのと違って、 最初に習ったお薄が一番好きでした。

先生も、一回り習ってから元に戻り、お薄を極めることが一番大切、とおっしゃっていたように思います。

 

ある時、いつものように薄茶を立てて、茶筅を振っていると、「まあ、見事な振り方ですねえ。本部の先生にお見せしたい」って言われました。私は何気なしにやっていたのに。

また、ある時は、朝からずーっと先生の横に座っていて、やっと自分の番になり(その頃にはもう夕焼雲となっていました)、水差しを部屋に運び込んだ時でした。

一瞬、体が透明になったような気持になり、腰と肩の関節が見事にスムーズに動いているのが分かる瞬間がありました。

私が「あっ!」と思った時、先生が、「それです!その動き!」と声を上げられました。

其の間、ほんの2秒ぐらい。

今、考えると、羽生X内村会談(あ、未だ記事アップしていなかった)で話していた、いわゆるゾーンに入った瞬間だったのではないか、と思います(彼らの話はまた、別の機会に語りたいと思います)。

その後、お茶は勿論のこと、呼吸法でも、音大の授業でも、ルネサンスダンスでも、あの瞬間を求めてきたのですが、結局、もう一度到達することはなりませんでした。

ユヅ君や内村さんは、格が違い、天才ですから、それを求めて、突き詰めることができたんだけど、ぼんくらな私は、ダメでした。

それでも、人生80年の間の2秒。あの体が流動的になった瞬間は、未だに体の中に記憶として残っています。私はそれだけでもありがたい、と思っています。

 

そして渡欧するにあたって、最後に懐石料理も入った本格的なお茶会を催してくださいました。

あっちゃんが経験したのと同じ形で、いつもはお稽古をしてくださる部屋で、持参した清潔な足袋に履き替え、路地の腰掛に移り・・・

手水(ちょうず=手や口を水で清める)を使って茶室に入り、いつものように床の間や炉の拝見をして、席に着きました。

この時、一番驚いたのは床の間に掛け軸が掛かっていなかったことです。

ぼんやりと丸い円が水で描かれていました。

まるで禅問答みたい。

 

懐石も順次に進んで行って、あっちゃんにもあるように、ご亭主とは沈黙の元にお茶がたてられ、その後、やっと亭主とお話ができるようになります。

そこで先生から床の間の種明かしがありました。

私がドイツに発ったのは3月でした。そしてお茶会は2月のに行われました。

その日は、急に寒波が襲い、とても寒い日でした。

先生は前の日に全てを用意されて、次の日の朝、目を覚ましたらこの寒波。

「ああ、里子さんが出向くドイツって、ここより寒いんでしょうね」というのが最初に思ったことだったそうです。

彼女に太陽を贈りたい!

それで、掛け軸を外して、床の間の壁に水で太陽を描いたんだそうです。

それを聞いて、物凄く感激したのを思い出します。

この太陽はお茶席が進んでいくうちに次第に薄くなって、消えてしまいました。

 

先生は大変な凝り性の方で、このお茶会も、ありとあらゆる思いが込められていました。

棗やお茶碗もこの催しに合わせて手に入れ、特に掛け軸は、わざわざどこからか謂れのあるものを借りてこられていました。

それなのに、実に潔くそれを外して、太陽を描くとは!

 

先生はいつも、お茶というのは型を覚えるのは大事だけれども、いつもそこから抜け出して、臨機応変、生身でぶつかり合うのが大切、とおっしゃっていました。

ここで本当のお茶というものを見せていただいたように思います。

掛け軸はすべてが終わってから拝見させてくださいましたが。

そこに何が書いてあったか、懐石に何が出されたかなど、今はもう思い出せません。

太陽だけが、強烈な印象と共に、残っています。

 

先生は出発に当たって、お茶道具一式(お風炉(電動)とお釜、茶箱、盆建て用のお盆など)を手向けとしてプレゼントして下さいました。

ドイツでもスウェーデンでも、よく日本紹介の展示会や説明会で一服点てたり、植物園で野点をしたりと、駆り出されたものです(それも、事故以来もう夢の夢となってしまいましたが)。

 

これが私の茶道史です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スナネコって動物がいるらしい。

 
マヌルネコっていうのもいるらしい。
こっちの方が見た目は野性っぽいよ。
こちらもやっぱり、飼っちゃダメ。
 

日本ではなんかA宮家の話題で持ち切りですね。

お世継ぎの話。

国民の希望がなかなか取り入れられないみたいで。

 

スウェーデンでも、つい最近、王様の発言がちょっと炎上していました。

この国の王位継承権(?)ー-つまり王位を継ぐ順位(日本語で何といったっけ?)は昔は長男が第一位だったのです(今の日本と同じ)。

王様にはその頃は娘のヴィクトリア(1977年生まれ)しかいませんでした。

以後、国会は継承権をどうするか、いろいろ議論していました。

そして王女誕生2年後に男の子が生まれます(1980年)。

その後、半年も経たないうちに国会は王位は男女に関係なく、第一子が継ぐ、という決定を下します。

 

Nobelblåsorna vi minns: ”Kronprinsessan gjorde fel” | SvD Perfect Guide

 

ここで面白かったのは、ヴィクトリアが生まれた時は女の子だったので、祝砲は1発しか打たれませんでしたが、第二子カール・フィリップ(KF)の誕生の時は、王位継承者が生まれたということで42発も打ち上げられました。

それから半年後に長男は継承権を失います(坊や、残念だったね)。

 

日本と同じで、王様は政治的発言が許されないことになっています。

王カール・フィリップはこの決定を快く思っていなかったことを、変更された当時、語っていました。

最近になって、王様が、またこのことを持ち出して「私はそれを未だに快く思っていない」と発言しました。

男女に関係なく第一子が継ぐ、ということに反対なのではなく、この決定が男児が生まれた後で行われたことに関してです。

ここの王家は、かなり歯に衣を着せないで、意見を言います。

 

まあ、ちょっと物議を醸しだしていたので、日本のことを思って、書き留めてみました。