シンクロニシティ
セメント会社の診療所に勤務。20年近く大テーマと小テーマの組み合わせでエッセイ風に書き綴っています。
現在に趣味は数独、庭木の剪定、俳句など。
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最近の(2-81)


8月15日(木)
すくひてもとらまえられぬ夜光虫 

 通勤―24
まず言問い通りへ出るまでに一方通行を反対方向に300m行く。タクシーに乗るつもりの時もこれは変わらない。
 タクシーはすぐには来ないので、ぶらぶらと消防署辺りまであるくと空車がつかまることがある。
歩きではまず根津の不忍通りの交差点まで坂を下る。ここでタクシーを待つことも多い。
坂の途中には消防署、画材店、画廊、保育所、蕎麦屋、居酒屋風貝料理店、花や2軒、ぺっとトリミング専門店、ぺっとクリニックなど。忘れてならないのは谷中は寺が主体で発展した街だから、言問い通りの表通りだけでも、下る途中に4軒の寺院がある。
寺院は谷中、根津の不忍通り沿いにはなく、上野公園から続く台地に散在している。台地を背に受けたようなところとか、台地の斜面、台地の上に寺院は建っている。本郷通りでもおなじようで本郷通りは高台を通っているので、その両側には神社仏閣が多い。
要するに寺院は昔から川のほとり、現在では不忍通り、仙川通りのようなところには建てられず、必ず高台を目指していたということである。東叡山寛永寺とか寺には○○山が付く理由はこれに対応しているのであろう。


 

最近の(2-80)



8月14日(水)
教え好きプールの友達今もなほ
 
 通勤―23
以前に徘徊の記で言問い通りにも触れているが、言問い通りは小石川の仙川通りのこんにゃく閻魔の前から台東区の中央を貫いて隅田川にかかる言問い橋までの10㎞ほどの道だ。
通勤はこの道の3㎞ほどを歩いたり、タクシーに乗ったりして事業所へ通っている。バスが通っているが、根津の不忍通りで上野のほう行ってしまうので役に立たない。以前に東大病院へ通勤していたときは。バスが池の端に停まるので、そこから東大の池の端門を通り坂を上がると、仕事場の研究棟があった。
徒歩通勤で東大まで20分、小石川の事業所まで35分だ。やはり歩いて通勤するには、少々、抵抗を覚える。
天気の良い日は問題ないが、雨が激しかったり、30度を超える夏日であったりすると、無理をするなと天の声が響く。
弥生坂を登るところがあり、途中で熱中症の症状でも出れば大変だ。


 

最近の(2-79)


8月13日(火)
 草ぬきに草の命を想ふかな
 
 通勤―22
歩いて通勤すると35分かかる。家を9時20分に出て、9時55分には事業所へたどり着く。健康のためには歩いたほうが良い。ところが体調が悪かったり、雨が強く降っているときは、楽ではではないこともある。タクシーに乗るときは自宅前ではなく、300メートルほど歩いて、言問い通りへ出てつかまえる。これは自宅前ではなかなかタクシーが通らないという事情による。タクシーも通らないような不便なところに住んでいるといわれれば、それまでだが、住宅地はどこでもそうだろう。
もっとも言問い通りに出ればすぐにタクシーがつかまるかというと、最近はなかなか空車が来ない。迎車とか回送が多いのは朝の時間帯のためか。
携帯のアプリにいれてこないタクシーを待っていらいらしないようにというひともいるが、長距離をのるわけではなく、いまのところはそれは使わない。
歩いて通勤することも街の様子が分かって、色々と発見があることが楽しい。


 

最近の(2-78)


8月12日(月)
 別人の気分や素足の心地よき
 
 通勤―21
交通至便といってもそれは多くの人にとってであって、自分には不便だ。直線距離にして3㎞弱と思われるが、この距離だとさすがに有効な交通手段がない。
JRの最寄り駅は日暮里だが、そこから秋葉原経由で水道橋へでて徒歩10分では、四角形の3辺を回ってかつ歩く距離が加わる感じだ。地下鉄は千代田線の根津嘉千駄木が最寄り駅だが、これでは大手町まで行き丸の内線に乗り換えて後楽園にくる。これも3角形の2辺を行くようだ。
自分のところからは言問い通りへ出て真っすぐに、本郷通り、白山通りを突っ切って仙川通りに到り、こんにゃく閻魔にぶつかったところを左折、150メートル先だ。
事業所が引っ越した当初はコロナ下ということもありタクシー通勤が認められていた。

 

最近の(2-77)


8月10日(土)
  駅前にクマゼミ集合大合唱

 通勤―20
「最近の」という主タイトルにもかかわらず、通勤の思い出話が続いてしまった。
最近も通勤しているのである。お台場にあった会社が文京区小石川に移転した。眼の前に後楽園ドームが拡がり、文京区シビックセンターの前、白山通りと仙川通りに挟まれ、春日通りが交差しているところである。このあたりは一戸建ての小商店と飲食店がべたっと軒を接していたところだ。白山通りにはパチンコやがあり、それがタクシーなどに乗った時、自宅の方向へ向かう目印となった。今はコンビニとフィットネスクラブに代わっている。
その一角が再開発されて20階建て以上のビルのビジネス街となり、文京ガーデンといっている。交通ではJR水道橋駅に近いが、地下鉄が4本通っており、後楽園駅(大江戸線、丸ノ内線)、春日駅(南北線、都営三田線)が利用できる、交通至便な場所ともいえる。




 

最近の(2-76)


8月9日(金)
  山路きて廃屋のごと蝉の殻

 通勤―19
出勤時の一つの楽しみは停泊する巡視船を確認することだった。
駅からビルの入口へ向かうと大島さくらが数本、植えられていた。春になると薄緑色の若葉とコントラストがよく、実にすがすがしく美しかった。わずか20メートルほどの玄関までゆっくりと桜を味わいながら歩いた。
玄関奥にエレベーターホールがあるが、自分はそれには目もくれず非常階段を6階まで昇る。これはこの事業所の10年間の賃借期間が終わるまで続けた。何故、といえば習慣であり、その先には健康管理の一環になるだろうという思惑がある。朝、4,5分の階段登りが健康維持に役立つかというとそれはわからない。ただ、すこしづつの積み上げが大切だろう。退勤後はぶらぶらと徘徊 、残り少ない人生の時間を消費するのも健康管理を含んだ人生の一環と割り切った。

 

最近の(2-75)


8月8日(木)
  昼寝入りドラマの終わり見過ごして

 通勤―19
巡視艇といっても海洋調査のようなことも仕事のうちらしく、啓風丸、凌風丸はそれらしい器械が甲板にすえられていることもあった。
天洋、海洋が同じくらいの大きさで1000トン、明洋はやや大きく1300トン、啓風丸、凌風丸は1800トンくらいか。トン数に関してはまったく勝手な想像だが、概略の相対的な大きさを述べた。
天洋、海洋ははしばしば、港に戻ってくることが多く、啓風丸、凌風丸は1か月に一回程度、帰港した。基本的に海洋の巡視という業務であろうが、広い海のことでいかにさまざまな困難な仕事があるかと想いをはせた。日本の海の警察の縄張りは第7か8管区に大雑把に区切られているが詳しいこと省く。
自分は台場へは週3回、通勤していた。月、水、金の時と月火水の時があったが、朝、どのどの船が寄港しているかを当てるのがひそかな楽しみであった。人間はいろんなところに楽しみを見つけるものである。
年末になると一斉に5隻の船は戻ってきて、埠頭に係留される。5隻は係留しきれないので、2重駐車のような形で、2隻が海にはみ出した形で停泊する。はみ出したところのにのった乗員は陸へ上がるのに一隻越えてゆかねばならないなと思った。どうってことはないが、混んだ波止場で時折みられることだ。以前、屋久島へ船でいったとき、船に乗るのに一隻またいで、貨物船の鮒底に達したことを思い出した。

 

最近の(2-74)

8月7日(水)
武器持ちて誇らし気なり水鉄砲
 関東地方に局所的豪雨。雨雲レーダーを見ると、西のほうはまばらとなっているが、埼玉、群馬にはまだ厚い雨雲がある。
   
 通勤―18
通勤のとき、ゆりかもめから見るお台場の小さな埠頭に停泊する海上保安庁の巡視船をチェックするのが、朝の仕事になった。せっかくお台場のようなところへ通うので、何か記念になることをと思ったのだ。つまらないことだが、案外と面白いこともわかった。
ゆりかもめがレインボーブリッジを渡って、お台場海浜公園駅へ近づくと左手に小さな埠頭が見えてくる。その長さは200メートルもなく1000トンクラスの船が停泊すると3隻ほどで、一杯になる感じだ。そこはに海上保安庁の巡視船の停泊の定位置のようで、いつも何隻かを見かけた。実際の船は5隻で天洋、海洋、明洋、凌風丸、啓風丸でここまで書いてきて、瞬間、名前が出てきたので自分もまだ捨てたものではないと。
丸が付かない船は小さめで、特に天洋は素人目にも老朽化していて、そこいらの運河の往来はともかく、太平洋を巡視して回るのはきつそうだった。


 

最近の(2-73)

 

6日

 心技体ひとつとなりて勝相撲

 

 通勤―1

レインボーブリッジを渡らずに有明北橋、富士見橋、豊洲大橋、黎明大橋、築地大橋と歩いて、浜離宮公園に達する道もよく歩いた。晴美埠頭にはしばしば大型の観光船、クルーズ船が止まっていた。またオリンピック村が晴海フラッグと称して膨大なビル群を建設していた。橋を渡ると海がよく見えて、カモメが眼下を飛び、パイロットボートが走り回った。また築地大橋のうえからは東京湾の水位見ることができる。一日に数メートルも上下しているのに驚いた。

築地市場はすでに閉鎖されていたが、工事が続き数万匹のネズミを捕獲したという話を聞いた。

オリンピック村、築地市場、豊洲市場、環状2号線、浜離宮庭園など今でも話題性ある地域ある。

最近の(2-72)

 

5日

 友誘ひ回り道する心太

 株価大暴落、バレーボールはイタリアに敗北。毎夜のごとく寝苦しくなりそうだ。3日前新型コロナ陽性となって自宅蟄居。3日経った本日、再検査したところ陰性だ。喉頭気管炎の症状がなかなか取れない。

 

 通勤―1

 レインボーブリッジを渡って海岸通りを品川駅の方向へ歩いたことがある。運河、高層マンション、浄水場などがあり、品川駅近くには楽天の本社があった。こんなところにあると思った。より海沿いを歩けば倉庫がたくさん並び、その外れは大きなクレーンが林立していわゆる港湾の埠頭だ。ここにはなかなか入り込めないのでいつも対岸のレインボーブリッジから見ている。

東京港というのは有明、品川埠頭から芝浦など、東京湾奥にひろがる港湾施設の総称らしい。

品川を超えると南東方向は羽田空港が目立った施設だ。大田区の蒲田あたりは中小の工場が多く、駅前商店街をはずれるとものつくりが主体の町工場など多くなる。多摩川が川崎市と東京都の境界で六郷大橋がかかっている。

 

 

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