現在に趣味は数独、庭木の剪定、俳句など。
最近の(3-47)
6月19日(金)
高齢の予防接種や半夏生
新幹線にのっていて初めて停止、遅れを経験。浜松駅で接触事故があった。接触ということが強調されているが、人身事故だ。飛び込みの人身事故というのが通常の電車事故では使われる。防護柵は浜松駅にあったのか。駅によっては防護柵はあるが、乗降場所は省略されていて、オープンになっている。すなわち開閉式の扉がないので自由に線路上に降り立つことができる。死亡事故で警察が来て調べていると放送があったから、飛び込みだったのだろう。後から知った情報ではのぞみ号の前部に変形があったとも伝えられている。
熱海駅で2時間以上も停滞を余儀なくされた。乗客には騒ぎはなくはただひたすら車内にとどまっていた。
ぺット歩行器5
ペット歩行器とか犬用車椅子は1万-3万円ほどで販売されている。この起源はとか何社くらい、どのくらいの台数が出回っているかなどはAIで検索すればたちどころに答えが得られるであろう。AIの進歩はすさまじいものがあり、AIが触れそうもないことを見つけるのは難しい。俳句なども添削すれば心はこもらないが、整然と俳句らしいものが返ってくるらしい。自分は俳句に関してはAIは使わない。下手でも自分らしい句にこだわることにしている 。
Googleの検索をつかうようになって、これは知識を持つことは力でも何でもないと思った。年配者が大切にされるのはひとつには年月をかけた知識と経験を持っているからだという思い込みがある。しかしちょっとした知識は検索をかければ出てくる。薬に名前など沢山を無理して覚える必要はない。AIになってからは聞き足りないことはないかと問いかけてくる。すごい時代になったものだ。
最近の(3-46)
6月18日(木)
万緑や俳句の八幡山登り
ぺット歩行器4
いつものように会釈してどうしたのかという顔をすると、その老人はこいつは老犬でねといった。歩くのに疲れて休んでいる様子だった。といっても座り込んでいるわけではないが一歩が出ない。気持ちははやるが足が動かないのだろう。
何週間か経ってまたその老人と出会った。犬は歩行器のような器械をまとっていた。
車が4つ付いた枠の中におさまっていた。犬用の車椅子だ。
ペット用車いすは4輪のものと2輪のものがある。2輪のものでは後肢が完全に浮いて固定されてその代わりに車輪がある。胴体部分はシートで枠から吊られた状態だ。したがって前肢で進むようになっている。前足は衰えにくいのか。
前肢には胴体の体重はかからず、大地を後ろへかく動作ですすむらしい。
もちろん素材は軽量のアルミ、あるいはアルミ合金を使っている。胴体はシートで吊り下げられているので、足にかかる重量は少なくなる。人がこれを使うとすれば腹ばいになって、体は浮いた状態で手で大地をかくようにして進むことになろう。
幸い人間は2足歩行が主なので、体を起こした状態で足代わりに車をまわせばことが済むのでそのような車椅子がつくられているわけだ。
最近の(3-45)
6月17日(水)
万緑の峠に富士と御対面
ぺット歩行器3
ペットを飼うのは自分の心の中の何かを支えてくれるからだ。相手が生き物であるという認識から、自分も生き物の一端であることを自覚させるからだ。
犬は人類が原始生活を始めるころから人間に寄り添ってきた。もとは狼であったとか、狼のうち人類に寄り添う習性をもった動物が進化してきたという。
一人暮らしの老人、中年女性、やっと働き盛りとなったような若者など、多層に亘って犬を連れている。犬を散歩させながら自分も散歩し、健康管理の一助としている。
一週に一回、朝早くといっても7時ころに谷中墓地を通って出勤する。時々、其の恰幅のよい老人が中型の柴犬に似た、やはり恰幅のよい犬を連れて散歩しているのにでくわす。
向こうはゆっくりと散歩しているので、かるく挨拶して通り過ぎる。
あるとき、道の真ん中で犬が動かなくなっているのを呆然と眺めている老人がいた。
最近の(3-44)
6月16日(火)
川端に屋台ラーメン夕涼み
日経平均株価が一時的に7万円を超えた。残念ながら、小生のささやかな手もち株に
影響がなく、減額となった。日本の経済力は相対的に弱まっているが、まだまだ大丈夫ということなのだろうか。
ぺット歩行器2
猫のタマミはもとからいたマルチーズのチロより体が大きかったので、動物としてチロを配下にするのかと考えられたがそうはならなかった。2匹がけんかすることはなく、タマミのほうがチロに遠慮しているようであった。子猫のころの思い出があるのかもしれない。或いは先に変われていたのがチロだったので、先輩に礼を尽くす気持ちがあったのかもしれない。とにかく犬と猫は同じ屋根の下でつかず離れず、喧嘩することもなく、同居した。やがてチロがなくなり、そのあとにもらったキャバリアもなくなったが猫のタマミはさらに長く生きて、娘が家を離れるとついていった。
最近の(3-43)
6月15日(月)
饅頭や峠の茶屋の富士霞
日経平均株価が7万円に迫る勢い。経済指標だけが狂乱、踊っている感じだ。株の価値が高くなるということは、普通に持っている預金とか定期預金は相対的に価値が下がることなのだろうか。
ペット歩行器1
今はペットを飼っていない。飼う気持ちもあるが、世話すするパワーがなくなることをおそれる。
最初に飼ったのは小犬でマルチーズ。よく吼える犬だった。見知らぬ人が来ると
毛を逆立ててキャンキャンと吠えた。ひとわたり吠えるとなにごともなかったごとく自分の場所へ戻っておとなしくしている。吠えるのが役目と心得ているようだった。 ときどき
おまえも役者やのうといってやった。
次にこのマルチーズを飼っていた時期と重なるが、娘が子猫をひろってきた。この猫はすぐ大きくなってマルチーズより大きくなった。メス猫で活動的だった。ネズミをつかまえたり、ある時はピンク色のものをくわえていて何かと思った。それは穴から引きずりだされたモグラだった。体毛はうすく全身がのっぺりと肌色だった。猫はそれを加えて放り投げて遊んでいた。モグラは穴から首を出した偶然、猫に見つかり捉えられたのだろう。猫から取り上げてじっくり観察したが、特に猫はそれに執着する様子はなかった。
最近の(3-42)
6月12日(金)
朝座禅警策棒が近づきて
小さな親切ー8
翌日になって、友達を送り届けるのに必死だったので感じていなかった前日の婦人の親切な行為がじわっと胸に迫った。名前をうかがう時間もなかった。さらっと当たり前のように手を貸してくれた。
世の中はどんどんと変化する。女性首相の誕生、スマホの流行、それにともなったSNSの流行、出世志向の低下、高齢化の進展などなど。社会がすこしだけ、やさしくなってきたようにも思う。自分が老齢化して周囲からは、多少は大事にされるようなことあるからか。
翻って、自分があのように他人に親切ができるだろか。さらっとためらいもなく親切行為が可能か。おそらくその前に誰かがするだろうとか、もうすこし状況を見極めようなどど心の中の抵抗因子が働くに違いない。自分は手が先に出る性格ではないといってしまえば、それまでだ。無手勝流に行動第一をこころがけるようにしてゆこうと思ったのでした。
最近の(3-41)
6月11日(木)
蝉の朝再会の夢破られて
小さな親切ー7
会合した場所は黒塀横丁というレストラン街で、そこからエスカレーターで降りて、一階の通路を丸の内北口に向かった。歩くのも心もとない感じなのでの彼の手荷物を持って、彼を支えながら歩いて行った。彼が壁も支えとしているので、左側に小生の右肩をあてた。ゆっくりと壁伝いを歩いて行った。北口の改札まで50メートルもないだろう。ところが途中で彼は急に、膝が折れて倒れ込んだ。この通路は人通りが多いところで、朝夕などはひっきりなしに人の列が途切れることはない。幸い昼間の午後の時間で通路が混んでいるというほどではなかった。彼が倒れたので慌てて手を貸して起こすと中年の女性が寄ってきて、大変ですね、どちらまで、それでは行きましょうと彼の右側に立って肩を支えて歩き始めた。小生が何と俺の言葉を言ったかよく覚えていないが
感謝の気持ちでいっぱいだった。改札口名まではわずか2,3分だったが大変ありがたかった。その中年の女性はショルダーバッグを下げて、一見OL風だった。大変テキパキした人のように思った。改札口でお礼を言うとまたもと来た方向へ戻っていった。要するに自分の進む方向とは反対にもかかわらず、手を貸してくれたということだった。
始発電車に乗って吉祥寺のホテルまで送った。自分の診たてでは疲労と老齢による虚弱に軽い風邪症状がともなって、不調となったと思われた。心臓の症状もなく、麻痺、疼痛などもないのでまず安静が大事だった。
念のためホテルのひとに注意を促しておいた。翌日はすっかり回復して九州に帰っていた。
最近の(3-40)
6月10日(水)
夏蜜柑道端売りに惹かれけり
小さな親切ー6
4月のある日、高校の同級生のクラス会が開かれた。全員が80を過ぎた老齢だが、10人ほど集まり男女半々というところだ。場所は東京駅の八重洲と丸の内の連絡通路の途中にあるレストランだ。半年前には17人も集まったが、人数が減ったのはこの間に鬼籍にはいったものがふたりいたほかは、それぞれの体調をふくめた都合によるのだろう。もともとは46人のクラスだった。
小生と特に親しい友人が九州から上京していた。ついでに東京で働く息子に会う算段でもしているのだろう。幹事の挨拶があって、乾杯して、歓談と続いた。料理が運ばれてくるが、九州からの友人は箸をつけない。アルコールは少しづつ飲んでるようで、ダイエットでもしているかとおもったが、というのはまわりと普通に話しているように見えたので、それでも気になった。自分の斜め前に座っていて、周りとの会話も寡黙になっていった。様子を聞くと体が熱いという。調子が悪いとは言わないが、いかにも体調が悪そうだ。普段はよくしゃべるものが端然と座っている。何も言わないのでしばらく様子を見ていたが、ホテルへ帰って休んだらといったところ納得した。本人がクラス会を中座して失礼するとか挨拶して、小生は付き添いで同道することにした。
最近の(3-39)
6月9日(火)
夾竹桃朝は誰にも訪れて
小さな親切ー5
この時期の富士山は雪をかぶって、眼前にのしかかるような存在感で、ほかの山とは別格、日本一をほしいままにしているようだった。展望テラスから清水港や静岡市内も一望だった。
下部温泉に泊まって翌日は本栖湖へ出かけた。国道52号線から本栖湖道路を通り山道を右に左に登ってゆくと、トンネルを抜けたところが本栖湖の展望台だった。ここからの富士山は湖面を前景にして優雅な姿だ。
富士山を背景に家内を立たせて、スマホをかまえようとした瞬間、中年の女性がお撮りしますからと近寄ってきた。それではとその言葉に甘えて二人並ぶと、さっと撮ってくれた。小生にスマホを返すと傍らのワンボックスカーに乗り込んだ。お礼を言う間もなく、車は出発していった。車が出発する寸前に、小生たちを見かけ、ちょっと降りて
撮ってくれたようだった。ただ、富士山の頂上付近は雲がかかっていて残念だった。
それにしても昨日の件、本日の親切は小さな親切ではあっても妙に心あたたまるものを感じた。日本人が変化してきたのか、近年の海外観光客増加が関係しているのかなどいろいろと考えた。一番思い当たるのは、年寄りの夫婦が写真を撮りあうことが珍しいので気にかかったというところであろうか。
最近の(3-38)
6月8日(月)
朝蝉に再会せし夢破られて
小さな親切ー4
電車で眠り込んでいて車庫まで運ばれそうになったこともある。この時は親切に声をかけてくれる人がいて車庫入りは避けられた。
2月頃、山梨から静岡県の日本平へ旅行した。中部横断道をつかって静岡へでた。日本平は清水から静岡へ海岸沿いの平坦地が拡がる中でやや小高い丘として台地を成している。このはずれには久能山があり、江戸幕府第15代将軍の徳川慶喜が晩年を迎えたところである。
病院の脇をぐんぐんと登ってゆくとほどなく頂上、駐車場に着いた。晴れた日で観光客が多い。日本平という石碑があるので、家内の写真を撮ろうと構えていたら、家族旅行中と思われる一団が通った。その中の一人の若者がお二人でお撮りしましょうと近寄ってきた。この親切に甘えて年寄りのつうショットを撮ってもらった。遠慮気味でもなくごく自然に声をかけてもらい、感じのよさに驚いた。家族はどんどん先に行ってしまったので、若者は小走りにその後 を追っていった。