シンクロニシティ -2ページ目

最近の(2-71)

 

日(

 友誘ひ寄り道策す心太

  スポ-ツを観るこころは気持ちよく眠るため。ひいきのチームや選手の

活躍があると幸せな気分になって、安らかに眠りに入ることができる。そうかといって贔屓が試合に負けたからといって、悔しくて眠れぬほどに入れ込むことはない。

ただ日本チームの柔道混合団体、サッカー男子スペイン戦、女子アメリカ戦などをみた後は、やはり日本人は「体格が・・」と思ってしまう。眠れないのは毎夜、熱帯夜だからではあるが・・。

  

 通勤―1

  台場の通勤は出勤よりは退勤後の楽しみが大きかった。帰りにゆりかもめに乗ることは少なかった。レインボーブリッジを渡るか、富士見橋をわたって隅田川河口を散策するか、豊洲市場から豊洲方面へ行くかなど、いろいろと湾岸エリアの海が常にそばにある複雑な地域を探索する。

レインボーブリッジを渡って芝浦の海岸を歩き、新橋までしばしば足を伸ばした。この時の楽しみは居酒屋の「どびん」で一杯、飲ること。俳句の師匠と奥さんが暖かく迎えてくれたが、残念ながら店を閉めてしまった。最もこの店は50年以上は続いていたもので自分などは新参者に過ぎなかったが、、。

新橋は膨大なおそらく日本で1,2といった飲食店街、要するに飲み屋だらけの街だ。日比谷通りを西側に渡ると愛宕神社などあり、慈恵医大病院がある。そこの教授をしていた後輩が自分が飲み歩いたところのうち、印象深い店の一覧をリストで残してくれた。全部で50軒ほどもあった。一時はそのリストを頼りに、あの店、この店と飲み歩いた。B級グルメ的な店も多かったが、その後輩は西伊豆の漁村の出身で、新鮮な魚介類には目が肥えていたので、外れの店は少なかった。それよりも2、3年のうちに、かなりの数の店がなくなったり、名前が変わったりしていたのには驚いた。店主の高齢化と後継者不足なのだろう。

 

 

最近の(2-70)

 

日(

  帰りにはちょっと寄ろうぜ心太

  パリオリンピックは1週間経った。暑い中、日本選手の活躍もなかなかのもの。やはり世界には勝てないとバレーボールとかバスケットボールを見ていると思ってしまう。スケートボードのような妙な競技が日本の得意とは新たな驚き。

 

 通勤―1

出勤ではゆりかもめにのって台場へ到達し、昼休みは近隣のデッキタウン、アクアシティ、パレットタウン、ダイバーシティなどのレストラン街を安くてうまい店を求めて探検した。この地区では普通の一戸建ては見かけない。というより集合住宅しかない。高層の40階建て以上のマンションがどんどん増えている。

上に住めば太平洋を見渡せて、富士山も高速道路、ゆりかもめなど一望で、それを毎日眺めて暮らしたら、飽きることはなさそうだ。一方、地震、台風などの自然災害でインフラが断たれたら、どうなるか。想像すると恐ろしくなる。

数年前に。川崎市の武蔵小杉駅前が出水して駅前に膝の高さに水がたまった。

高層マンションの人はエレベーターも水も使えなくなった。どこかへ疎開したのだろうが大変だっただろう。

一戸建てではないが台場には昔ながらの店の形態の定食屋、蕎麦屋などもあった。定食屋「ゆき」の野菜炒め定食の味が懐かしい。

最近の(2-69)

 

月1日(

黒猫の金の瞳の白夜かな

 

 通勤―1

レインボーブリッジは何回も徒歩で渡った。いつも退勤後のことである。4時に診療所を出て海浜公園の道を浜沿いに橋のゲートまで10分ほど歩く。橋のプロムナードは公園として管理されていて、強風時とか整備の都合で入口が閉鎖になることもある。ゲートを100メートルほど行くとノースとサウスの分かれ道に達する。新橋に向かってゆりかもめは往復方向で2車線となあっており。それぞれに沿った遊歩道があるのだ。

北側は隅田川の河口方向に面し、中央区、江東区、墨田区の領分となる。南側は品川区、大田区から多摩川河口を経て川崎市となる。なおゆりかもめは新橋から海へ出てループを描いて海抜100メートルの高みに達する。このループの部分には遊歩道は設定されておらず、ゆりかもめの軌道と高速道路の部分である。

最近の(2-68)

7月31日(水)

  夜目遠目白きパラソルいつまでも

 
通勤―12

ゆりかもめは新橋駅を出発すると汐留、竹芝桟橋、日の出桟橋、芝浦を通過してレインボーブリッジを渡る。竹芝桟橋は伊豆7島へ向かう船の発着所だ。日の出桟橋も島への航路の起点、観光船の起点となる。湾内の有明、隅田川をゆききする水上バスの停留所にもなっている。

すなわちゆりかもめは海沿いを通ってレインボーブリッジで台場へ渡る。またこの海沿いは隅田川が東京湾に流れ込み月島の西側を通って川が終わる場所でもある。

陸側では海岸道路がゆりかもめに平行に走っている。この辺りはレインボーブリッジを歩いて台場側からわたり、散歩したところだ。

 倉庫が多いが、体育施設、レストラン、劇場(四季)なども点在する。

芝浦の当たりはやまももの並木が続き、秋になると実が沢山落ちて、踏まれて

道路が赤く染まる。また誰が植えたか同じ時期に、アロエがオレンジ色の花を咲かせ、それが躑躅、さつきなどの並木の下草に混じる。

 

最近の(2-67)

 

7月30日(火)

黒塗りの輪島の重に夏料理

 

 通勤―11

  通勤のことを述べる予定なので、地区情勢はほどほどにしよう。

 ゆりかもめは6両編成で軌道の上を走る新交通システムだ。都内では西日暮里と見沼台親水公園を結ぶ舎人線が知られている。座席のレイアウトは両線で異なっているが大変狭いことが共通している。運転手はいない。運転席があるあたりの先頭車両に座ると、自分が運転しているような気になることができる。

  ゆりかもめではお台場の埋め立て地をほぼ一周して後、有明地区のテニスの森、国際会議場,がん研有明病院を経て、豊洲の豊洲市場、終点は豊洲の交差点、地下鉄有楽楽町線駅につながっている。

  ゆりかもめでは台場、有明地区の見どころのある場所を通り、景色もよいので観光で何回も乗り続けて、すなわち往復を重ねて乗る人を見かけた。

 

最近の(2-66)

 

7月29日(月)

歴史かな砲台跡の草いきれ

 

 通勤―10

  お台場地区はいくつかの人口島で構成されている。お台場のさらに湾口側には中央防波堤という埋め立て地が二つ続く。ここへは歩いてはゆけないが東京テレポートセンターから都バスが運航している。ここを探索する機会がなかったのは残念である。東京湾にはいってくる船舶を最初に迎える位置にあるのでその先端にいってみたかったのだ。

  お台場地区は以前は13号地と言われて高速道路のインターがあった。レインボーブリッジが開通して以来、ゆりかもめもあって他の湾岸地区とともに発展の一途をたどっている。

  台場の東側は有明地区でさらに東は豊洲、さらに荒川河口、江戸川河口、多くの人口島、埋め立て地が複雑に入り組む。

  川は隅田川、荒川、江戸川が流れ込んでいるが、その水脈が地図では見えにくくなるほど、埋め立て地、人口島が地域を形成している。江戸川区、江東区などは埋め立て地を増やして行政域を広げている。

 

最近の(2-65)


7月27日(土)
剪定の届かぬ枝をじっとみる

 通勤―9
お台場というのはアメリカのぺルリが軍艦4隻を率いて品川沖にあらわれたとき、準備された徳川幕府の施設だ。埋め立ての島を造りそこに大砲を据えて迎え撃とうとした。砲台があるのでお台場といった。その跡が残っていて公園となっている。対岸の品川の埠頭まで800メートルくらいか。
この海峡を経て、江戸上近くまで侵入してきたとして、おそらくお台場と品川から砲撃したとしても阻止できなかったのではないか。長英戦争、薩英戦争の結果を見れば明らかで、火器の性能に格段の違いがあった。
日本国ではぺルリが来た時より250年前に、ヨーロッパ伝来の銃、大砲など戦争に使われていた。日本ではそれ以来、大きな内乱などなく、外国の侵入もなく、鎖国による平和が続いたので火器が進歩することはなかった。ヨーロッパのように国が地続きでつながっているところでは、切磋琢磨して武器も進歩せざるをえない状態だったのであろう。この時期の鎖国は日本としては素晴らしい選択だったか。十分考えるべき問題であろう。


 

最近の(2-64)



7月26日(金)
夜店番彫像のやふ動かずに

 通勤―8
70歳ころから現在の会社の診療所に勤めるようになった。会社は築地からお台場へ引っ越したので、毎日、海を眺める生活となった。JRで新橋駅まで出て、ゆりかもめに乗り換えお台場海浜公園で降りる.屋根付きの歩道橋を渡って勤務先のビルに達する。6階が診療所で、ここを毎日歩いて登った。エレベーターは数えるほどしか使わなかった。慣れてしまうと6階程度は負担にならない。勿論健康管理上、体力の維持のためだ。どのくらい役に立ったかはわからないが、自信にはなった。
お台場へ勤めるようになって、東京湾の最奥のウオーターフロントをじっくりと味わうことになった。

 

最近の(2-63)


7月25日(木)
  暑いねと声かけられて交差点

 通勤―7
自動車通勤では公共交通機関が整備されていない昔のタイの状況を述べた。日本でも地方の工場はほとんど自家用車の通勤となっている。会社が連絡バスを出しているところもあるが会社はバス利用を積極的にはすすめない。日本の給与生活者は7千万人弱で、6大都市圏に勤め先を得ている人が多いとしても、膨大な人数が車通勤を選択している。
おそらくこのことが、地方の公共交通、地方鉄道などの衰退をもたらしているのではないか。また従業員も減らして効率よく工場を運営しようとする。
少子高齢化、人口減少の波をもろにかぶっている。
また車通勤は運動不足になりがちだ。ドアツドアで生活して自宅へ帰ってからウオーキング、ジョギングなどに飛び出す人は稀だ。
最近は通勤しないで自宅での仕事を選択することも可能になった。
こういう人で着実に健康診断上のデータの悪化がみられる。体重増加、血圧上昇、コレステロール上昇、糖尿病悪化など。

 

最近の(2-62)


7月24日(水)
顔寄せて色付くほどにかき氷

 通勤―6
 これは「ガントレック」だ。「ガントレック」という古い映画の筋を忘れたが、保安官のような人が装甲したバスを運転して市庁舎に向かうシーンがあった。町中を走ってゆくと道路の両側の建物から猛烈な射撃を受ける。行く手を遮る反対勢力なのだ。射撃を受け、反撃しながら、また車をぼろぼろにしながら町中を進んでゆく。
自分は両側からコロナ感染という危機を感じながら進んでゆくのだ。通勤といっても朝から緊張だ。わずか10メートルほどをすり抜けて左折、エレベーターホールに達する。エレベーターは6台あってボタンを押せばすぐにやってくる。
21階が仕事場で、エレベーターを降りて左折したしたところにある。おはようと声をかけて、一日の仕事が始まる。