最近の(2-65) | シンクロニシティ

最近の(2-65)


7月27日(土)
剪定の届かぬ枝をじっとみる

 通勤―9
お台場というのはアメリカのぺルリが軍艦4隻を率いて品川沖にあらわれたとき、準備された徳川幕府の施設だ。埋め立ての島を造りそこに大砲を据えて迎え撃とうとした。砲台があるのでお台場といった。その跡が残っていて公園となっている。対岸の品川の埠頭まで800メートルくらいか。
この海峡を経て、江戸上近くまで侵入してきたとして、おそらくお台場と品川から砲撃したとしても阻止できなかったのではないか。長英戦争、薩英戦争の結果を見れば明らかで、火器の性能に格段の違いがあった。
日本国ではぺルリが来た時より250年前に、ヨーロッパ伝来の銃、大砲など戦争に使われていた。日本ではそれ以来、大きな内乱などなく、外国の侵入もなく、鎖国による平和が続いたので火器が進歩することはなかった。ヨーロッパのように国が地続きでつながっているところでは、切磋琢磨して武器も進歩せざるをえない状態だったのであろう。この時期の鎖国は日本としては素晴らしい選択だったか。十分考えるべき問題であろう。