白式部(しろしきぶ)の実、
今年も会いにゆきました♪
散歩の道をちょっと変えると、
びっしりと白い実がついた枝が、
塀の上から撓っています。
花は6月ころですが、
うっかり見逃してしまいます。
秋に枝にびっしりとついた実が
目を惹きつけます。
白い実が陽にきらめいて、
それは、まろまろと、うつくしい!
現在(いま)を編集するー月刊「新潮」創刊120周年記念展
始まりました!
前橋文学館
| 2024年10月05日(土) ~ 2025年01月26日(日) | |
9時〜17時(入館は30分前まで) |
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2階企画展示室 |
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| 一般500円 ※朔太郎展示室もご覧になれます。 |
現在(いま)を編集するー月刊「新潮」創刊120周年記念展|前橋文学館 (maebashibungakukan.jp)
| 内容 | いまから120年前の1904(明治37)年、 日本屈指の文芸誌として名高い「新潮」は日露戦争のさなかに創刊されました。 以来、関東大震災直後と第2次世界大戦の一時期をのぞき休むことなく創刊され、 巻数は文芸誌として世界最多を数えます。 激動する世界と向き合い、創造力や言葉をもって対峙する文学者の表現の舞台として、 「新潮」は時代とともに走りつづけてきました。 また新潮社は、萩原朔太郎賞開催における長年の協力先として、 前橋市とゆかりの深い出版社でもあります。 本展では「新潮」創刊120周年を記念し、新潮社の特別協力のもと、 展示室を1冊の本にみたてた展示を展開し、 膨大な数のバックナンバーや本展に寄せられた 「新潮」ゆかりの作家たちからのメッセージ、 「新潮」7大事件、作家が自作を語る音声など、 貴重な資料の数々をご紹介します。 編集とは「選んで綴じる」ことだと、ある編集者は言います。 現在(いま)を編集する「新潮」のこれまでとこれからを、ぜひご覧ください。 【10月5日(土)14:00~オープニング トーク 杉山達哉(「新潮」編集長)、 風元正(新潮社・萩原朔太郎賞推薦委員代表)、 萩原朔美(前橋文学館特別館長)】 【11月24日(日)リーディングシアター 三島由紀夫「近代能楽集」より「葵上」「弱法師」 演出 萩原朔美(前橋文学館特別館長)】 【12月14日(土)対談 九段理江(「東京都同情塔」にて第170回芥川賞受賞)×杉山達哉(「新潮」編集長) 司会 風元正(新潮社・萩原朔太郎賞推薦委員代表)】 ※イベント詳細は、「催し物」ページよりご覧ください |
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| 備考 | |
| フライヤーPDF | 現在(いま)を編集するー月刊「新潮」創刊120周年記念展フライヤーPDF |
大野一雄、百歳まで踊りつづけた舞踏家。
2010年6月2日に帰天された。
ステージはなんどか拝見。
たった一度、お目にかかった。
印象深い、奇跡の邂逅のようなその時のことをこちらに。
月球儀ときに鰈の泳ぐかな 掌
永眠、103歳。
生前一度お会いした。
もう90歳になられていたのか、
横浜の大野一雄舞踏研究所へ。
がっちりした木の椅子に腰を下ろし、
ひざ掛けをして、
その人は存在(い)た。
世界各国からの研究生を見る、
否、凝視する。
ひとつの言葉からイメージしたものをすぐに身体で
表すなど稽古場には舞踏のメトードが黙々と行われ。
大野さんを撮りつづけけているカメラマンの
シャッター音が響く。
ふと見ると、ピアノの上には
永田耕衣の「天地」。
まさに<裂帛>の書。
この時はこの書、左手だけで書かれたとは知らなかった。
なぜ、耕衣の書がここに?
大野一雄、かつて高崎で「わたしのお母さん」を観た。
(この公演、別の演目であの田中泯も)
上記の句はTVの大野一雄のドキュメンタリーで、
「お母さん」について氏が語っていた、
「お母さん」が死ぬ時に
「私の身体の中を鰈が泳いでいる」と。
なにか虚をつかれたというか、驚きが走り、
後日、句となったもの。
この句は大野さんからいただいた、と思う。
それを書にした色紙を差し上げ
経緯をお話しした。
「そう、オペラやっているの」
「俳句を書くの」と大野さん。
じっと色紙を見ていたが、
ふと気づくと指がかすかに動きだし、
手が、
上腕が、
舞踏し始めて・・・
稽古場がかすかな驚きと興奮に。
大野さんが踊りだした!
みんなまわりに集まって来る。
「ほら、山本掌さん前に来たら」
ご子息の慶人(よしと 2020年に亡くなられ・・・)さんも
あわてて音楽をかけに走る。
しばらくはもう大野さんの舞踏に魅入った。
なにか時間を超越したような、
雑然とした稽古場が、
不可思議な空間へと、聖性をおびたような・・・
稽古をみていることはあっても
踊ることはほとんどない、と後で聞いた。
大野さん言葉から句ができ、
その句からまた舞踏となる。
握手をした手は肉厚で大きく、
あたたかかった。
そのときに頂いた写真集「大野一雄 魂の糧」
田中一村の画に魅かれて、
というより衝撃をうけて
ぜひ奄美大島の田中一村の画に会いたいと、
田中一村記念美術館行ったのは2010年の10月。
その時のブログをここに。
◆田中一村を奄美の大気の中で観たかった。
奄美パークのなかに田中一村美術館はある。
この建物自体が素晴らしい。
高倉という奄美の建物をイメージし、
三つあるそれぞれに一村の作品が時代ごとに展示されている。
天井が高く、落ち着いた空間に作品からの静寂が漂う。
新しい室内に襖絵がゆったりとある。
二十歳前後の昂ぶった気持ちのほとばしりでるような、
画と賛。
藤、牡丹などエネルギーが満ちる。
南画などの作品。「倣蕪村」なども。
青龍展での受賞作「白い花」、これは戦後間もない頃。
白と緑が交響する。
「秋晴れ」に想いを籠め描くが落選。
ここから奄美までは模索の時代といえるか。
奄美での作品の室内はさらに密度の濃い空間となる。
「パパイヤ」は墨の濃淡で描かれる。
後ろからの光源に実が、葉が、茎が浮かび上がる。
拡がってゆく葉が光の筋ごとのようにも見える。
「アダンの木」
手前に大きく描かれたアダン。
その浜辺は永遠に暮れてゆくよう。
さらに密やかで、
精神の底の底まで、奥の奥まで、
降りて行ったところで、
絵筆をとったかのよう。
「クワズイモとソテツ」
クワズイモの成長の段階がひとつの画に
なんの不思議もなく、おさめられている。
ひとつひとつの作品が、
絵を鑑賞しているというより、
なにか大きなものへの、
祈りというもの、
魂というもの、
そういった敬虔な思いへいざなう。
南国へというとなにか開放的な明るいイメージがあるが、
その明るいまま、
厳粛なといってもいいほどの佇まいが、ある。
あまりにも緻密な写実があり、
リアルをうつそうとして幻想へ、と。
この奄美の室の寂静は深い。
絵を見て手を合わせたのは、初めてのこと・・・
<田中一村(たなか・いっそん)>
1908年~77年、栃木市生まれ。
少年時代から画才を認められ、
東京美術学校(現・東京藝術大学)日本画科に入学するが、
事情により中退。
以後、画壇から離れて制作を続ける。
58年(昭和33)、奄美大島に渡る。
紬工場で染色工として働きながら、
奄美の自然を題材とした作品を描き続けた。
「アダンの木」
なんと生き生きと息づくアダン、クワズイモなど、
奄美大島の亜熱帯の植物、鳥たち。
あふれる生命力、それがなぜか静謐。
さらにその深奥に「死」を垣間見る・・・
その一村の画を観たい!
と、奄美大島に、田中一村記念美術館に、数年前行きました。
「田中一村記念美術館」奄美大島
その一村のドキュメンタリー番組の再放送が
<黒潮の画譜>「幼くして非凡な才能をみせた田中一村は、
後年色鮮やかな色彩に魅せられて奄美大島に移り住み、
それまで誰も描かなかった亜熱帯の自然を
生命感あふれる絵に凝縮した。
中央画壇をはなれ自ら信ずる絵の世界に生きた
一村の作品とその人となりをたどる。」
1984年12月9日放送。
「バラカンと奄美大島」
<一村の絵画に魅せられ、
奄美大島を訪れたいと願っていた>とバラカンさん。
「亜熱帯の森に覆われた奄美大島は、
世界自然遺産にも登録される自然の宝庫。
そして数奇な歴史と独特な文化を宿した島でもある。
ピーター・バラカンが一村の足跡をたどり、
彼が捉えた南の楽園を発見していく。」
そして、現在ただいま、
「奄美の光 魂の絵画 田中一村展」
東京都美術館で開催されています!
2024年12月1日まで
『花の源氏物語 嵯峨御流』同朋舎出版 1995刊
うちにある「源氏物語」関連の本のひとつ。
「源氏物語」各帖からイメージされた
短歌、花、書からなる美しい書籍。
あの塚本邦雄が文を書き下ろし、
もろん各帖ごとに塚本の短歌が置かれる。
たとえば「桐壺」では
桐に藤いづれむらさきふかければ
きみに逢ふ日の狩衣(かりぎぬ)は白」 邦雄
いけばな嵯峨御流の花が凛列に、
あるいは華麗に、
時には几帳のまえ、お庭などに
見事な花が見開きで飾られて。
そして塚本の短歌を嵯峨書道学院による書が流麗にいろどる。
次の巻はなんの花、どんな短歌、写真は、と
ページをめくるごとにひらかれる世界、
その華やぎがたのしい。
「源氏物語五十四帖」に
ひとりの歌人、
54人の華道家(この本では花人)、
54人の書家
による贅をつくしてつくられた本。
装画:岡田嘉夫
装丁:熊谷博人
撮影:福田匤伸
◆「MARC」データベースより
古典文学の最高峰「源氏物語」に想を得て、
碩学の歌人塚本邦雄の本文と各巻をモチーフとした
創作歌54首と嵯峨御流いけばなと嵯峨書道学院による
花と書の源氏物語五十四帖。