「月球儀」&「芭蕉座」  俳句を書くメゾソプラノ山本 掌のブログ -242ページ目

「月球儀」&「芭蕉座」  俳句を書くメゾソプラノ山本 掌のブログ

第四句集『月球儀』
「月球儀」俳句を支柱とした山本 掌の個人誌。

「芭蕉座」は芭蕉「おくのほそ道」を舞台作品とする
うた・語り・作曲・ピアノのユニット。
    



俳句を金子兜太に師事。「海程」同人・現代俳句協会会員。

 

 

 

 

 

 

 

 

高津佳と五人の仲間による

「歌とピアノソロで紡ぐ“にほんのうた”コンサート」 を

前橋文学館で聴いてきました。

秋のメロディーから始まり、

すっかりホールは<秋>。

高津佳のうた、

「お六娘」「いたちと秋」「公演の手品師」「ピアニシモの秋」。

<高津佳>は日本歌曲の第一人者<塚田佳男>の

うたの時のお名前。

今日のコンサートの曲目構成もむろん<高津佳>。

さらにMCを、詩の朗読を、と八面六臂。
 
 
 
 
 
 



ピアノのための「からたちの花」は山田耕筰自身の編曲で、

近藤陽子さんのやわらかなニュアンスに富んだ
 
音色に魅了され、とても印象に残りました。
 
 
 
 
 
 
 


二部は「萩原朔太郎と近代詩人」

朔太郎記念館での朔太郎「旅上」「猫」「広瀬川」

石川啄木、与謝野晶子、北原白秋、三好達治、
 
室生犀星そして佐藤惣之助まで。


うたが後藤桂、ピアノは小林美智、近藤陽子、

田中直子、平田雅子の五人のお仲間。

<高津佳>との“日本のうた”を
 
たっぷり味わった午後のひととき。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 
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 <猫>

まつくろけの猫が二疋、

なやましいよるの家根のうへで、

ぴんとたてた尻尾のさきから、

糸のやうなみかづきがかすんでゐる。

『おわあ、こんばんは』

『おわあ、こんばんは』

『おぎやあ、おぎやあ、おぎやあ』

『おわああ、ここの家の主人は病気です』 

 

 

 

 

 

 

今日、これから、朗読をいたします。

9月28日(金)19:00

高崎シティギャラリー コアホール

お時間が合いましたら、お出かけください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

萩原朔太郎「およぐひと」は

『月に吠える』1917年刊に載っています。

 

 

 

 

 

 

萩原朔太郎『月に吠える』

 

 

 

心臓には「こころ」、

瞳には「め」のルビ。

初版では四行が1ページに置かれ、

ページをめくると

「およぐひとのたましひは水みづのうへの月つきをみる。」

この最終行がページの真中に。



   <およぐひと>

およぐひとのからだはななめにのびる、

二本の手はながくそろへてひきのばされる、

およぐひとの心臓(こころ)はくらげのやうにすきとほる、

およぐひとの瞳(め)はつりがねのひびきをききつつ、

およぐひとのたましひは水みづのうへの月つきをみる。

 

 

 

 

 

 

 

 

明日、9月28日(金)19時~、

高崎シティーギャラリー コアホールで朗読いたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

萩原朔太郎「死なない蛸」は

最後の詩集『宿命』(1939年)に載っています。


  <死なない蛸 >      

 或る水族館の水槽で、ひさしい間、飢ゑた蛸が飼はれてゐた。

地下の薄暗い岩の影で、青ざめた玻璃天井の光線が、

いつも悲しげに漂つてゐた。

 だれも人人は、その薄暗い水槽を忘れてゐた。

もう久しい以前に、蛸は死んだと思はれてゐた。

そして腐つた海水だけが、埃つぽい日ざしの中で、

いつも硝子窓の槽にたまつてゐた。

 けれども動物は死ななかつた。

蛸は岩影にかくれて居たのだ。

そして彼が目を覺した時、不幸な、忘れられた槽の中で、

幾日も幾日も、おそろしい飢饑を忍ばねばならなかつた。

どこにも餌食がなく、食物が全く盡きてしまつた時、

彼は自分の足をもいで食つた。

まづその一本を。それから次の一本を。

それから、最後に、それがすつかりおしまひになつた時、

今度は胴を裏がへして、内臟の一部を食ひはじめた。

少しづつ他の一部から一部へと。順順に。

 かくして蛸は、彼の身體全體を食ひつくしてしまつた。

外皮から、腦髓から、胃袋から。

どこもかしこも、すべて殘る隈なく。完全に。

 或る朝、ふと番人がそこに來た時、

水槽の中は空つぽになつてゐた。

曇つた埃つぽい硝子の中で、

藍色の透き通つた潮(しほ)水(みづ)と、

なよなよした海草とが動いてゐた。

そしてどこの岩の隅隅にも、もはや生物の姿は見えなかつた。

蛸は實際に、すつかり消滅してしまつたのである。

 けれども蛸は死ななかつた。

彼が消えてしまつた後ですらも、

 

尚ほ且つ永遠にそこに生きてゐた。

古ぼけた、空つぽの、忘れられた水族館の槽の中で。

永遠に――おそらくは幾世紀の間を通じて――

或る物すごい缺乏と不滿をもつた、

人の目に見えない動物が生きて居た。




朔太郎は散文詩のことを次のように。

「散文詩と呼ばれるものは、

一般に他の純正詩(抒情詩など)に比較して、

内容上に觀念的、思想的の要素が多く、

イマヂスチツクであるよりは、

むしろエツセイ的、哲學的の特色を多量に持つてる如く思はれる」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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萩原朔太郎を朗読する

 『月に吠える』より 序

 およぐひと
 
 死なない蛸(『宿命』より)

 猫



私はこの作品を<朗読>いたします。

「死なない蛸」は散文詩。


「秋の夕べのコンサート」は高崎演奏家協会の

オータムコンサートで、

高崎シティギャラリー コアホールにおいて

9月28日(金)19時より、


入場は無料ですので、

お時間があうようでしたら、

 

どうぞ、お出かけください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雑誌『兜太 TOTA』創刊記念

「兜太を語り TOTAと生きる」開催されます。

明日9月25日(火)12時半から、

有楽町朝日ホールで。

 

 

【シンポジウム】

芳賀徹・下重暁子・上野千鶴子・いとうせいこう/黒田杏子


【映像上映】

「天地悠々 兜太俳句の一本道」(仮)河邑厚徳監督作品

  http://fujiwara-shoten.co.jp/main/news/archives/2018/08/925_tota_tota.php

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

真萩散る髪を結いほぐす真昼                掌

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

月の萩かすかに生死しむよ酒               掌

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

萩こぼれ絹雨の夜の愛餐                掌