萩原朔太郎「死なない蛸」 | 「月球儀」&「芭蕉座」  俳句を書くメゾソプラノ山本 掌のブログ

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第四句集『月球儀』
「月球儀」俳句を支柱とした山本 掌の個人誌。

「芭蕉座」は芭蕉「おくのほそ道」を舞台作品とする
うた・語り・作曲・ピアノのユニット。
    



俳句を金子兜太に師事。「海程」同人・現代俳句協会会員。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

萩原朔太郎「死なない蛸」は

最後の詩集『宿命』(1939年)に載っています。


  <死なない蛸 >      

 或る水族館の水槽で、ひさしい間、飢ゑた蛸が飼はれてゐた。

地下の薄暗い岩の影で、青ざめた玻璃天井の光線が、

いつも悲しげに漂つてゐた。

 だれも人人は、その薄暗い水槽を忘れてゐた。

もう久しい以前に、蛸は死んだと思はれてゐた。

そして腐つた海水だけが、埃つぽい日ざしの中で、

いつも硝子窓の槽にたまつてゐた。

 けれども動物は死ななかつた。

蛸は岩影にかくれて居たのだ。

そして彼が目を覺した時、不幸な、忘れられた槽の中で、

幾日も幾日も、おそろしい飢饑を忍ばねばならなかつた。

どこにも餌食がなく、食物が全く盡きてしまつた時、

彼は自分の足をもいで食つた。

まづその一本を。それから次の一本を。

それから、最後に、それがすつかりおしまひになつた時、

今度は胴を裏がへして、内臟の一部を食ひはじめた。

少しづつ他の一部から一部へと。順順に。

 かくして蛸は、彼の身體全體を食ひつくしてしまつた。

外皮から、腦髓から、胃袋から。

どこもかしこも、すべて殘る隈なく。完全に。

 或る朝、ふと番人がそこに來た時、

水槽の中は空つぽになつてゐた。

曇つた埃つぽい硝子の中で、

藍色の透き通つた潮(しほ)水(みづ)と、

なよなよした海草とが動いてゐた。

そしてどこの岩の隅隅にも、もはや生物の姿は見えなかつた。

蛸は實際に、すつかり消滅してしまつたのである。

 けれども蛸は死ななかつた。

彼が消えてしまつた後ですらも、

 

尚ほ且つ永遠にそこに生きてゐた。

古ぼけた、空つぽの、忘れられた水族館の槽の中で。

永遠に――おそらくは幾世紀の間を通じて――

或る物すごい缺乏と不滿をもつた、

人の目に見えない動物が生きて居た。




朔太郎は散文詩のことを次のように。

「散文詩と呼ばれるものは、

一般に他の純正詩(抒情詩など)に比較して、

内容上に觀念的、思想的の要素が多く、

イマヂスチツクであるよりは、

むしろエツセイ的、哲學的の特色を多量に持つてる如く思はれる」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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