北京春雷青猫の奪われし 掌
今日、春雷が鳴り響いていました。
◆この書、短冊のように見えますが、
お軸です。
197×50センチ、
かなりの存在感です。
<花唱風弦(かしょうふうげん) 俳句をうたう>
うた・メゾソプラノ(掌)とギターによる
オリジナル俳句歌曲のコンサートで、
ステージを飾って♪
俳人・池田澄子さん、前橋へ♪
ご自身がどのように俳句と出会ったか、
師である三橋敏雄氏(みつはしとしお 1920年 11月8日 - 2001年 12月1日)のことを
池田澄子さんの<声>でたっぷりとお聴きしました。
三橋俳句は14歳のこの句から。
窓越しに四角な空の五月晴
17歳での<戦争>57句を山口誓子に激賞され
渡辺白泉の「風」に掲載。
かもめ来よ天金の書をひらくたび
いつせいに柱の燃ゆる都かな 『まぼろしの鱶』
三橋敏雄「俳句は感動があるから書くのではない」
「俳句として書いたとき感動がくる」
「俳句は我慢の詩」
俳人・三橋敏雄は生涯、
無季俳句をつらぬく。
この書にサインを頂戴しました。
前橋刑務所、レンガ塀が延々と続く。
おもむきのある建物。
塀とその正面。

かつては「前橋監獄」。
萩原朔太郎の郷土望景詩に「監獄裏の林」としてある。
この監獄ができた明治のころは前橋の郊外。
いまでは街の中、まわりは住宅地。
前橋駅からも歩いて10分ほど。
家からも近い。
なにより私が通った中学はすぐ隣り。
当時は刑務所の畑で作業する人たちが
ふつうに見えていたりした(!?)。
前橋監獄、一部は明治村へ。
前橋の大空襲にも焼けず、
全国でも残っているめずらしい建造物。
いまでも<刑務所>です。
監獄裏の林 萩原朔太郎
監獄裏の林に入れば
囀鳥高きにしば鳴けり。
いかんぞ我れの思ふこと
ひとり叛きて歩める道を
寂しき友にも告げざらんや。
河原に冬の枯草もえ
重たき石を運ぶ囚人等
みな憎さげに我れを見て過ぎ行けり。
暗鬱なる思想かな
われの破れたる服を裂きすて
獸類けもののごとくに悲しまむ。
ああ季節に遲く
上州の空の烈風に寒きは何ぞや。
まばらに殘る林の中に
看守の居て
劍柄づかの低く鳴るを聽けり。
――郷土望景詩――