私はフランスのリヨンという町にあるリュミエール・リヨン第二大学の大学院に在籍していましたが、クロード・ベルナール・リヨン第一大学に跨る大学院生活を送っていました。
これまでのフランス大学院留学記↓
日本人の大学院生フランス寿司職人デビューその2「ごめんねの食卓」上
https://ameblo.jp/basejo/entry-12475887764.html
日本人の大学院生が修行ゼロ日でフランスの寿司職人になりました
https://ameblo.jp/basejo/entry-12471726204.html
フランスの栄養指導は大変です
https://ameblo.jp/basejo/entry-12465432745.html
リヨンの大学院で学んだ課目 親友マリーのこと
https://ameblo.jp/basejo/entry-12464390351.html
留学先は「食の都」&「予防医学の都」リヨン
https://ameblo.jp/basejo/entry-12463140695.html
フランス大学院留学記 私の母校
https://ameblo.jp/basejo/entry-12463904306.html
寿司職人の青年はどこかいつも寂しそうな雰囲気を漂わせていました。
彼はフランスの富豪に育てられた韓国系の青年でした。
彼が10歳の時、5歳の妹と共に、経済的な理由からフランスに養子に出されたそうです。彼は妹の手を引いて、ある日突然、親から引き離され、言葉も文化も全くわからないフランスの夫婦に養子として迎えられたのです。
フランス人夫婦は「彼らが社会人として自立して生活できるまで生活を支援し、共にする」という約束のもと、責任をもって育ててくれました。実際にご夫婦は彼らにとても良くしてくれたそうです。そこには何不自由のない生活がありました。お腹がすけば美味しいご飯が食べられる、そんな幸せな世界。
「幸せな美味しいごはん」を知った彼は、料理人になる道を選びました。そして、フランス料理の料理人として研鑽を重ねました。その後、日本人の寿司職人の元で修行をし、寿司屋のマダムと知り合いこの寿司店で働くことになったそうです。
寿司職人の青年が突然戻ってきた日、彼は皆が大好きな「グラタン・ドフィノワ」をまかないに作ってくれました。
グラタン・ドフィノワはジャガイモとクリーム、チーズがたっぷりのグラタンです。ジャガイモの甘さやニンニクの隠し味、チーズの量、クリームのとろけ具合、こんがりした焼き加減が美味しさの決め手です。彼のグラタン・ドフィノワは誰もが認める程、その黄金比を満たしていました。
グラタン・ドフィノワ
彼は自分の生い立ちをただ「事実」として、淡々と話しているにすぎません。多感な時期に親から引き離されたこと、自分の意思が許されないこと、幼い妹を守らなければいけなかった責任感、どこにも向けられない寂しさ・・・彼の心の闇は計り知れません。
言葉に感情をのせて上手く表現できれば良いのだけど、大切なことになればなるほど、外に出してしまいたい心の闇になれば成るほど、それはなかなかそうはいかない。心の深いところにあって、言葉では表現できない複雑なものだから。
この日のグラタン・ドフィノワは熱々でほんのり甘くて、香ばしくて、ほくほくで、最高に美味しかった。
こんなに忙しい土曜日のまかないに、彼なりの精一杯の「ごめんね」が込められているのを、私たち誰もが感じたと思います。
どんなに問いただすよりも、激しい非難の言葉をむけるよりも、どんなに話し合いの言葉を重ねるよりも、この食卓を皆で囲うことに意味がある気がしました。
「今までどこに隠れていたのよ~?」と茶目っ気たっぷりに問いかけるお運びのスタッフも、食後は「今日は私のおごりで、みんな好きなデザートを食べて良いわ」と言ってくれ、美味しくてほっとして、幸せな食は連鎖していくのでした。
つづく