海の向こう、アメリカではレギュラーシーズンが終わりを迎えた。

8年連続で200本安打を達成したイチローを始め

今年も多くの日本人選手が活躍した。


日本でもまもなくシーズンが終わりを迎える。

パリーグは西武が前年5位から、誰もが予想だにしない優勝。

セリーグでは巨人と阪神がデッドヒートを繰り広げている。


CS(クライマックスシリーズ)が行われてからというもの

3位までに入れば、その先に進めるということから

各チームが3位争いに力を入れている。

通常であれば、優勝したチーム以外は消化試合と化して

若手の育成や、タイトル争いだけに徳化する

気の入らない試合が行われていたものだ。


それとは逆に、既に上位争いから脱落し

来期の構想を練ったチームもある。


横浜ベイスターズ。

優勝し、日本一になったのは10年前。


あの時の主力選手は数人しか残っていない。

しかし、未だに現役を続けている選手もいる。

チームには若返りが必要とする時期が来る。


まだ力のあるベテランでさえ、若手にポジションを譲らねばならない。

譲るというと語弊があるので、奪われると言った方が無難だろう。


力のある選手が控えに回り、まだ経験の薄い若手がスタメンを張る。

球団に功績を残した選手も例外ではない。

たしかにその心境もわからなくはない。

しかし、それがもし失敗に終わった時、

また来年も順位は見えているのかも知れない。


出場機会を求めてベテラン勢はまた、新天地を求めて行くかもしれない。


投手として入団し、1勝を上げたものの

打者に転向し、その才能を開花させ

2000本安打を達成した石井琢郎。


90年代から弱小のチームを引っ張り、常勝チームの一員となった男が

次に求めるのは何処か…







清原和博。


その野球人生は偉大なものであった。


名門・大阪のPL学園で5季連続の甲子園。

1年生から4番に座り、甲子園通算13本塁打はダントツ1位の記録。

2位は同僚の桑田、そして元木らの6本だから次元の違いが分かる。


優勝2回、準優勝2回、ベスト4が1回の高校時代を経て

巨人ファンであった清原は当然の如く、ドラフトで巨人から指名されるものだと思った。

くじにより巨人に行くとは限らないが…


当時、ドラフトの進行役だったパンチョ伊東の読み上げる紙を持つ手が震えた。

待っていたのは、巨人の1位指名は桑田だった。

大学進学を決めていた桑田は驚いた。桑田は大学進学を断念し、巨人入り。

競合の末、涙の中、西武に入団した清原は決意した。

巨人を倒す、と。


その機会はわずか2年で訪れた。


巨人との日本シリーズ。

3勝2敗で迎えた第6戦、9回2アウト。

あと一人というところまで来ていた。

一塁を守っている清原の目から涙が零れ落ちた。

こんな日が来るとは思わなかった…と。

当時のエース・工藤は内野ゴロを打たせたら、清原が取れないかもしれないと思い

最後の打者をセンターフライに打たせたという話は有名だ。


清原のプロ入り後の怪物という名を欲しいままにしている。


新人の年に18歳のルーキーでありながら31本塁打は、未だ破られない記録。

後半には既に4番に座るという。

オールスター、日本シリーズでは如何なくお祭り男を発揮する。

そうして積み重ねて来た数字、2000本を越える安打、500本を越える本塁打。

これだけの数字を残しながらも、打撃3部門のタイトルを得る事が出来なかった。

無冠の帝王と呼ばれ続けた。


西武からFAで、憧れだった巨人へ移籍。

高校時代を共に戦った桑田と、再び共に戦う事になった。

巨人時代晩年は、故障に泣かされ続ける事になり

併用しての出場なども重なり、FAでオリックスへ移籍する。


そして今年。


戦友だった桑田の引退。

今年限りで引退を匂わせる発言。

ついに90年代最高のプレーヤーがまた一人去ろうとしている。


野球選手離れした強靭な肉体。

野球界での発言力。

本物の男のこれからに期待していこう。







ここのところオリックスが好調だ。


5月に前コリンズ監督が解任されて、後を引き継いだ大石監督代行に代わってから

順位を上げ続けて、ついに2位までになった。


かつて、イチローや田口、長谷川らを率いた時代は常にAクラスで優勝争いの常連だったチームは

彼らがメジャーに旅立ってからは、最下位争いをするまでに順位を下げてしまった。


そのオリックスを再び黄金時代に導く為に補強が大きな課題となった。


近鉄との合併により、両方で指揮を執った、故・仰木彬を招き

海外から日本人メジャーリーガーの逆輸入で、吉井とマック鈴木を獲得。

そして、FAで清原を獲得。

彼らは不調と故障で、活躍の機会は短かったが。


今年は、前年に日本球界に復帰したローズ、そして西武からカブレラ。

さらに若い投手陣が、ここ数年では外国人しか二桁勝利をしていなかった中で

数人が二桁勝利を達成するなど

数年先も楽しみな人材が揃った。


その中で球界を代表する男が引退を示唆した。


FAで移籍して来た清原和博である。

前年は故障により、1年間出場することなく、棒に振った。

今年は背水の陣で、臨むところだったが

またもや膝の爆弾が発動していた。


夏になり、真っ黒に日焼けした彼が戻ってきた。

まるで高校球児のように。

黒い顔に白髪交じりの短髪が年代を感じさせる。



次回は彼について語ろう。




軟式と硬式。


軟式とは、ゴムに近いボール。

硬式とは、石のように硬いボール。


プロ野球は硬式のボールを使用する。

他に、高校野球、社会人野球もそうだ。


一方、軟式は草野球を筆頭に、アマチュア方面で多様されている。

もちろん、高校野球にも軟式はある。



実質的に、プロの道へと進む者は、硬式に切り替える。

軟式でプロに進むのは、実質的に不可能である。


北京オリンピック野球・日本代表の投手コーチ、大野豊は

数少ない、ノンプロ時代は軟式野球出身の投手であった。


地元の企業に就職し、野球部に硬式がなかった。

その後、広島カープにテスト入団で、入団した。


初年度は、打ち取った打者はわずか一人、

失った自責点は5。

防御率はなんと、135.00と言う、とてつもない数字で初年度を終えた。


防御率…投手の生命線と言える、数字。

計算方法としては、9イニングに対し、自分の責任で取られた点数で計算される。

9イニングで2点取られれば、2.00。という感じだ。


彼にとっては、それが最悪のスタート。

言わば、それより最低の数字になる事はないと逆に奮起した。

以後、先発・抑えとフル回転し、100勝100セーブを達成し

広島投手王国の黄金時代を支えた。



誰もが恵まれる環境を必要としている。

しかし、それが全てではない。


スタートは皆同じと言うが、そこには大きな差もあるのが現実だ。


生まれ持っての裕福な家庭もあれば、

それとは縁の無い、家庭もある。


そのスタート地点をどれだけ逆境に変えられるか。

それこそが「努力出来る事が才能」と言う言葉に変わると思う。







熱く短き北京オリンピックが閉幕した。


メダル数で見れば、金9個、銀6個、銅10個。

金メダルの多くは、柔道とレスリングによるものだっただろう。


今回のオリンピックで野球とソフトボールの球技が終わる。

次回のロンドンでは実施されないのである。


その中で、ソフトボール日本代表は見事に有終の美で金メダルを勝ち取った。

あの無敵のアメリカを破って。

オリンピック4連覇中のアメリカは今大会も絶対と言われていた。

予選から見ても、敵はないと思われていた。


実際日本も、金メダルを獲得したが、アメリカには2度負けている。

予選、そして決勝トーナメント。

予選リーグの1位と2位が初戦でぶつかり、

その敗者が、同じく予選3位と4位の勝者とぶつかる。

日本はそこを勝ち上がり、再びアメリカと戦う権利を手にする。


日程などの関係上、初戦アメリカに敗れた日本は、同じ日に

勝ち上がったオーストラリアと戦う。

エース上野は、前の試合も延長まで投げており

このオーストラリア戦も延長戦の末、退けた。

その投球数、なんと300球を越えたという。


翌日にはアメリカとの決勝戦で再び先発、最終回まで投げ抜く。

「壊れても構わない。」

ひたすら投げ続けた。



悲願の金メダルを獲得した女子ソフトボールには対照的に

「金メダル以外はいらない」と豪語していた男子野球は

4位に終わり、メダルを持ち帰る事さえ出来なかった。


プロ主体でメンバーを揃え、至上命題を抱えていたものとは裏腹に

なんとも惨めな結果と言えよう。

前回も触れたが、100%ある力を100%発揮する難しさとはまさにこの事であろう。


終わるなや否や、今回の結果についてファンや評論家やマスコミは

A級戦犯探しを始める。

起用方法を指摘される星野監督、致命的なエラーをしたGG佐藤、炎上した岩瀬。

怪我人が続出した事による、人選ミス…など。


国民の非難を集中して浴びる恐ろしさ。


さらに圧し掛かる重圧に、選手達の心はさらに傷付けられる。

心のケアさえ必要な時期かもしれない。


しかし、まだペナントレースという戦いは続いている。

すぐに戦列に復帰した者、故障により今期を棒に振る者。

選ばれし者に今は休みはない。

この経験はやがて大きな武器となる日が来るだろう。


逆境に打ち勝ってこそ、一流となるのである。