清原和博。


その野球人生は偉大なものであった。


名門・大阪のPL学園で5季連続の甲子園。

1年生から4番に座り、甲子園通算13本塁打はダントツ1位の記録。

2位は同僚の桑田、そして元木らの6本だから次元の違いが分かる。


優勝2回、準優勝2回、ベスト4が1回の高校時代を経て

巨人ファンであった清原は当然の如く、ドラフトで巨人から指名されるものだと思った。

くじにより巨人に行くとは限らないが…


当時、ドラフトの進行役だったパンチョ伊東の読み上げる紙を持つ手が震えた。

待っていたのは、巨人の1位指名は桑田だった。

大学進学を決めていた桑田は驚いた。桑田は大学進学を断念し、巨人入り。

競合の末、涙の中、西武に入団した清原は決意した。

巨人を倒す、と。


その機会はわずか2年で訪れた。


巨人との日本シリーズ。

3勝2敗で迎えた第6戦、9回2アウト。

あと一人というところまで来ていた。

一塁を守っている清原の目から涙が零れ落ちた。

こんな日が来るとは思わなかった…と。

当時のエース・工藤は内野ゴロを打たせたら、清原が取れないかもしれないと思い

最後の打者をセンターフライに打たせたという話は有名だ。


清原のプロ入り後の怪物という名を欲しいままにしている。


新人の年に18歳のルーキーでありながら31本塁打は、未だ破られない記録。

後半には既に4番に座るという。

オールスター、日本シリーズでは如何なくお祭り男を発揮する。

そうして積み重ねて来た数字、2000本を越える安打、500本を越える本塁打。

これだけの数字を残しながらも、打撃3部門のタイトルを得る事が出来なかった。

無冠の帝王と呼ばれ続けた。


西武からFAで、憧れだった巨人へ移籍。

高校時代を共に戦った桑田と、再び共に戦う事になった。

巨人時代晩年は、故障に泣かされ続ける事になり

併用しての出場なども重なり、FAでオリックスへ移籍する。


そして今年。


戦友だった桑田の引退。

今年限りで引退を匂わせる発言。

ついに90年代最高のプレーヤーがまた一人去ろうとしている。


野球選手離れした強靭な肉体。

野球界での発言力。

本物の男のこれからに期待していこう。