1.自責と他責
不成功の法則 世の中には「成功の法則」というのがたくさんあります。いわゆる成功者という人たちは十人十色で彼らの成功例も多様なので、その経験からくる法則もたくさんあるのです。しかし、その反対に「不成功の法則」というのはどうでしょう?成功者たちが絶対にやらないことという意味で考えると、間違いなく挙げられることが一つあります。それは「失敗を他人や環境のせいにすること」です。自責と他責 誰の人生にも成功と失敗がランダムに現れるのですが、失敗を自分の責任だと考えるか、他人や環境のせいだと考えるかによって、その後の行動に大きな差が生まれます。失敗を自分の責任だと考えることを自責と言い、自責の人は状況を改善するために自分の考え方ややり方に注目して行動を起こします。一方、失敗を他人や環境のせいにすることを他責と言いますが、他責の人は反省もなく愚痴や言い訳ばかり口にして行動しようとしません。すると、失敗するたびに自責の人はそれを糧に成長していきますから、他責の人はすっかり取り残されてしまいます。そして、自分を哀れみ、成長していった人を羨ましがったり妬んだりすることで一層行動する気が失せてしまうのです。 例えば、三遊間のゴロにショートが飛びついてファーストに送球します。しかし送球はファーストの手前でハーフバウンドとなり、ファーストはうまく捕球できませんでした。このとき「もっと手前でバウンドする送球をすればよかった」と思うショートと、「難しい送球を捕るのが俺の仕事なのに捕れなかった」と思うファーストは成長します。なぜなら、彼らには自責の意識があるので次のプレーで修正しようとするし、そのための練習もするからです。一方、「ギリギリのプレーなんだから捕ってくれよ」と思うショートと、「あのバウンドじゃ捕れないよ」と思うファーストに成長は期待できません。他責の意識しかないからです。相手のミス さらに、自責という視点に立ったとき試合でやってはいけないことがあります。それは「相手のミスに期待すること」です。 例えば、二死満塁の場面でバッターが平凡なフライやゴロを打つと、ベンチから「落とせ!」とか「やるぞ!」といった声が出ることがあります。「打ち損じたけど棚ボタで何とかならないか」という虫のいい願望や、打球を処理している野手にプレッシャーをかけたいという意図があるのでしょうが、そういう心の在り方には自責が欠けています。自分たちのプレーの結果を受け入れることができない選手にそのあと何ができるでしょうか? もっと酷いのは、実際に相手にミスが出たときに大喜びしてはしゃぐ姿です。相手のミスに期待した延長線上にある最も醜い行為といえるでしょう。そして、これは自責を軽んずることを習慣化してしまいます。小学生の試合で、相手のミスに子供と一緒になって歓喜する大人を見たときの嫌悪感といったら相当なものです。そういうメンタリティーを戒めて子供の成長を助けるのが大人の役目なのですから。 では、このような場面での自責の態度とはどういうものでしょうか?それは、相手ではなく自分たちに焦点を当てる態度です。まず、打ち損じたバッターには「走っとけ!」とか「駆け抜けろ!」と声かけをします。そして、相手にミスが出てそのバッターが生きたときには「ナイスラン!」とか「よく諦めなかった!」と褒めてあげましょう。仕上げに「次は打って返すぞ!」と自分たちを鼓舞します。つまり、「相手のミスに期待する」のではなく「相手のミスに備える」という態度です。 また、逆に相手に好プレーが出たときには自然に「ナイスプレー!」という声かけや拍手ができるといいでしょう。どんなときでも、野球選手として良いものは良い、素晴らしいものは素晴らしいと認められる心を持っていれば、「次は自分がやってみせる」という意欲も湧いてくるはずです。他責の罠 野球はゼロサムゲームです。片方が勝てば片方が負けるゼロサムゲームでは相手のミスが自分たちの利益になるため、知らず知らずのうちに他責の罠に嵌ってしまいます。しかし、前述のように他責の意識では成長は望めません。成長を望むなら、ゼロサムゲームの中であっても断固として自責の意識を持ち続けることです。そして、それは非ゼロサムゲームで WIN-WIN が成り立つ一般社会に出たとき、さらに重要になってくるのです。PDFリンク 1.自責と他責.pdf