喪が明けるまで神棚封じ
~疎外感や孤独を感じている人たちへ~
パソコン教室を営んでいる
和田基博と申します
母が亡くなり、喪主であることから葬儀社斎場会館にこの3日間ずっと詰めていたので
家に戻ってきたのが火葬を終え、遺骨を弟の仏壇前に祭壇を作ってもらい
納めてからになったので夜の7時過ぎになりました。
帰ってきてみると受講生からの数回の留守録が入っており、受講予約の変更でしたが、
折り返して明日の午前中の予約の受付の電話をしました。
亡くなった日の晩、通夜の晩、葬儀前の晩と線香番をしてほとんど寝ていなかったので、
お風呂に入ろうと思いましたが、お湯をためる気にもなれなかったので
シャワーだけにして、片付け物を終えると夜の11時になろうとしていました。
我が家には神棚と三宝荒神の神棚があるので、喪が明ける49日が5月3日で
5月4日まで封じておこうと、「母が亡くなりました」と報告し、
供物や榊などを下げて、半紙をテープで止めて貼っていきました。
神道においてはその家の人が亡くなるというのは穢れになるそうですので、
当然神社にはお参りには行けないので、毎日あちこちの神社に行っていたのを止める
のは良いとしても、村社の氏子地区総代の役はどうしようとか、
葬儀で疲れているからか、頭が働かず、どうでもいいような気がしてきて、
あとで考えればいいやとそのまま布団に入って眠りにつきました。
思い起こせば、私の人生での最初の大切な人との別れは、私が小学2年生まで家にいて、
私をとても可愛がってくれた曾祖母が亡くなった時でしたが、1週間泣き明かした
記憶があります。
それから49歳で若くして亡くなった父の死、そして今回の母の死ですが、
いろいろな思い出や出来事が思い出され、葬儀での親族代表の挨拶で涙が溢れ
言葉が詰まりましたが、「しっかりしなさい!」と母の言葉が頭に入ってきました。
それから落ち着いて別れの言葉を言う事が出来ましたが、亡くなった母が
ご先祖と一緒についてくれていると感じると、母を失ったと思う悲しい気持ちが
次第に薄れていったのでした。
胸に手を当て、いつでも此処に居ると感じる優しい明るい光は
父や母の魂と繋がっていると感じたとき、何かをやろう、してみようという
意欲が自然と湧き出て来るのです。
続きは次回以降アップしていきたいと
思いますので
少しでも、何か参考になったとか
興味があるとか気が落ち着いたと
思って下さると幸いです。
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