大分八幡宮に呼ばれる | 希望と光のブログ

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八幡の神様に呼ばれた

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~疎外感や孤独を感じている人たちへ~

パソコン教室を営んでいる

和田基博と申します

 

 

 

 

 

 

父の妹の二女の叔母から大分(だいぶ)地区に住んでいる

 

義理の叔母の姉が住んでいる家まで

 

送っていってくれないかと電話が入りました。

 

 

 

 

午前受講予約はなく午後からだったので、いいよとOKし

 

教室まで叔母が来るという事で電話を切りました。

 

 

 

叔母が近くのスーパーで買い物をした後、傘を差してやって来ました。

 

 

 

車に乗り込み出かけましたが、ワイパーを動かしても前が見にくい

 

土砂降りの状態で、今日は義理の叔母の家に介護マネージャーが来て

 

生活のアドバイスをしてくれるという事で、一人暮らしの叔母も一緒にと

 

考えたようです。

 

 

 

 

 

叔母の家の近くには大分(だいぶ)八幡宮があり、

 

しばらく行っていないなと思いましたが、今日は叔母を送って行ったあと

 

お参りには行かずに真っすぐ帰ろうと思ったのでした。

 

 

 

 

 

叔母の家を出て通りに戻ろうと通りまで来た時、右が戻る道、

 

左が大分八幡宮の通りの一つ先の裏道で、左、左と直感が働き

 

裏の道から大分八幡宮へとやって来ました。

 

 

 

雨は小降りになっていましたが境内の駐車場に車を止め、傘を差して車を降り

 

境内を見渡し、猿田彦大神、巨大な神木、二の鳥居の左手奥にある

 

市来島神社と恵比寿神社、世界平和と刻んである八幡宮で見かける馬の神、

 

それから楼門へと視線を移して、それから一の鳥居前まで出て

 

鳥居之祓を奏上し、二の鳥居、楼門とくぐって拝殿までやって来ました。

 

 

 

空を見上げると、ゴォーと音がして飛行機かと最初は思いましたが

 

大粒の雨が降っていて雲が大きく動いていて

 

それが空が鳴っている音だと分かりました。

 

 

 

お賽銭を静かに入れ、高い耳鳴りと研ぎ澄まされた感覚の中、

 

思い浮かぶままに天津祝詞で禊ぎ祓い、大祓詞、神社拝詞、トホカミを奏上し、


空が鳴る中、オオーと警蹕を奏上し、

 

吐き切った息を、口角を上げて息を吸いこみ

 

思い切り飲み込みました。

 

 

 

ジィー、ジィー、シャー、シャーと虫が鳴きだし、空気とは別に

 

何かを飲み込む感覚があって、それが何なのかはわかりませんが

 

暖かいエネルギーであることだけは感じたのです。

 

 

 

 

拍手も力を込めていないのにパァーン、パァーンと響き渡り

 

高い耳鳴りと体に感じるビリビリとした感覚を覚え、神に成り代わり

 

この身を使って出来ることがないだろうかと伺いを立てたことが

 

伝わったと感じたのです。

 

 

 

毎回どこの神社でも仏閣でもお参りするときに、

 

決まり文句のように言霊として述べるのですが、

 

魂のあるものすべてが愛と喜びに満ち溢れ幸せとありますよう、

 

ご祭神の益々の発展と繁栄、弥栄を祈りますと述べ参拝を終えました。

 

 

 

 

人間は知恵を持って生きていく生き物でもありますが、その教えが何なのかは、

 

人によって受け取るものも感じるものも違います。

 

 

 

神に向けて奏上する祝詞は誰かが考え、作り出したものを

 

言霊として発しているものです。

 

 

 

それはどうしても、いろいろな感情や考えから来るものを持って、

 

人は物事を測ろうとします。

 

 

 

詰まり、知らない以上のものは考えることが出来ないと

 

言ってもいいかもしれません。

 

 

 

人知を超えたものが神であり宇宙であるとするならば、

 

無条件で敬い畏れ多いものだとする神の教えには無知で盲目でもいけないし、

 

それを自分なりに知って感じてみて、どうするかということに

 

繋がるとも思うのです。

 

 

 

最近受け取った造化三神報恩祝詞を覚えると良いというメッセージにも、

 

そういった意味があると思うのです。

 

 

 

ネットで検索して調べると、科学的にも宇宙の中心があって、

 

今でも宇宙が広がり続け、ある人はそれを神の息とも表現していましたが、

 

その広がる速度は光よりも早いという理論があるようです。

 

 

 

 

光より早いものは無いとする、考えられないとする現段階の理論では

 

それは計り知れないということになるようです。

 

 

 

それを表したのが宇宙創成の始まりビッグバンによって引き起こされた

 

という科学的な説明ですが、スピ的にもこの魂は、その根源から来ているもの、

 

言い換えれば魂は宇宙から与えられたものと解釈されるもので、

 

魂に触れるたびに感じる、感じられてそれが信じるに値すべきものと知っている、

 

分かっている、理解している、ように思っている

 

と私は感じるのです。

 

 

 

だからその本津、自分が今こうやって地球上で肉体という入れ物を感じ、

 

動き続けている心臓や、無意識の呼吸、そして考え、思うことが出来る

 

意識に対して感謝する、愛と光を感じる出来る心を持ちなさいという教えが、

 

祝詞を覚える、覚えないという事は抜きにしても、

 

そこにあるからだとも思うのです。

 

 

 

 

魂という観点からもシリウスやプレデアス、アルクトゥルスの魂だったとしても

 

宇宙は地球一元だけではないという事は想像もつきやすく、

 

違和感なく受け入れられると思うし、時に空に向かって意味不明とも思える

 

音を発するというと、物質世界にしか目がいかない人たちには

 

頭が可笑しいという表現になり、信じられないということになりますが、

 

その発している音は言語のように、

 

頭では感情や何かを見えない誰かに向けて発しているのを、

 

不思議な気持ちで、もう一人の私が感じていることもあったりするのです。

 

 

 

 

造化三神報恩之祝詞にしても誰かがというと、語弊がありますが、

 

知恵や叡智を持つ先人が作り出して世に広めたものです。

 

 

 

 

実際に奏上してみても、感謝できる自分になれるからだとも思え

 

そう感じるのです。

 

 

 

 

楼門をくぐって向き直ってから深く一礼し、

 

ご神木で略拝詞を奏上し、樹肌に手を当ててみました。

 

 

 

 

生命の光のエネルギーが地面いっぱいに広がり、それから幹を伝って

 

上の枝葉までゴールドに光り輝いているのが伝わってきました。

 

 

 

天を意識し、愛と光のエネルギーを、頭髪が引っ張られている感覚で、

 

クラウンチャクラを意識して吸い込み、一旦第二チャクラに溜めて、

 

ゼロチャクラから大地のエネルギーガイアのエネルギーを取り込んで

 

呼吸とともに混ぜ合わせ手のひらから送ってみました。

 

 

 

 

光の粒子が優しく包み込むように流れて、ガイア、ガイア、ガイア…と呟き、

 

有難うと感謝の気持ちが湧いて来たのです。

 

 

 

 

 

それから境内神社の市来島神社でお参りし、神社拝詞と龍神祝詞を奏上、

 

恵比寿神社とお参りして、最後に車を止めたところの猿田彦大神に

 

略拝詞と、オン・アロマヤ・テング・スマンギ…とマントラを繰り返し唱え、

 

天狗の神が神体の石から飛び上がり、それらが樹上に集まって

 

一つになるのを感じながら、何時も導きと気づきを与えてもらい

 

呼ばれた良かった、お参りして良かった、有難うございますと

 

つぶやいてお参りを終えました。

 

 

 

 

 

 

 

 

続きは次回以降アップしていきたいと

思いますので

少しでも、何か参考になったとか

興味があるとか気が落ち着いたと

思って下さると幸いです。

 

 

 

 

 

 

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