百人一首についてのメモ。

来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ/藤原定家
こぬひとを/まつほのうらの/ゆうなぎに/やくやもしおの/みもこがれつつ

建保4年(1215)、54歳のときの歌。
万葉集巻6、笠金村の「朝凪に玉藻刈りつつ夕凪に藻塩焼きつつ」が本歌とされる。
王朝和歌で「夕暮れに待っている」のは、女の人の視点から詠まれた歌。

いかにも定家チックな、複雑な歌です。何句切れなんだ?
いちおう三句切れなのかもしれないけど、意味の上では、単純な切れがなく見える。
というのは、ぐるぐるまわる迷宮的な構造がしかけられているから。

...来ぬ人を、まつ
今、まつほの浦では、この夕暮れの彼方では、
夕凪に、行き通う風も途絶え、
海士の焼く藻塩草が、焦がれてけぶっているのか、
そのように、
わたしの身も焦がれ、こがれつつ、
...来ぬ人を、

クドい訳。でもまあ全体が倒置文で、ぐるぐるまわる
結句の「身も焦がれつつ」は、また最初の「来ぬ人を待つ」に戻ってくる。
それが、焦がれ「つつ」、ずっと焦がれ続けることの表現になってる。

また、音読したときに感じるのは、不思議におもしろい音のかんじ。
一種の頭韻がしかけられていて、
「こぬひと」のK音、「松帆の浦」のM音、「夕凪」のY音、
「焼くや」はY音を引き継ぎ、「藻塩の」のM音、「身も」もMを引っぱって、
そして「こがれ」のK音。
K-M-Y-M-Kの、ゆるやかなシンメトリーを構成している。
硬質なK音と、やわらかいM音・Y音の対照もおもしろい。
その真ん中あたりに「やくや」がおかれている。パズルみたい。

だから、意味だけでなく、音の上でも、最後がまたはじめに戻るようになってると
読める。人を待ってる感じって、こんな感じかもしれない。
不思議でおもしろい歌だと思います。

水銀の如き光に海見えてレインコートを着る部屋の中

近藤芳美(1913-2006)、「埃吹く街」(1948)所収、戦後短歌の超有名な歌を、がんばって、読んでみる。


口語的な文語短歌、難解なところはないように見えて、解釈はむずかしい。
三句に軽い切れ。下句を倒置と読むと、つまらない。
 (海が水銀のような光に)見えて、(レインコートを着るその)部屋の中(...)。

☆☆
一首は体言止め、言いさしで、一首の意味内容は、
結句「部屋の中」が、いったい何だというのか、ということにかかっている。

体言止め余情表現は短歌の常套的な方法とはいえ、一首の意味はかなり曖昧だ。
それは三句、接続助詞「て」切れの、論理的な曖昧さによるところも大きい。

寺山修司はこの歌の曖昧さを強調し、わざと「部屋の中でレインコートを着る」非日常性と読んでみせた。
寺山っぽい読みだが、それだと、上句「水銀の如き光に海見えて」が、あまり活きてこないと思う。焦点がぼやけてしまう。
あたりまえに、平易さの中に詩的な緊張をもたせた歌として読むべきではないか。

☆☆☆
「て」字における、「海が見えた」ことと、「レインコートを着る」ことの関係は、
何か。

原因・理由の接続助詞とすれば、
海が水銀の如き光と見えたことで、天候の悪化を知った「ために」レインコートを着た。こう読めば、リアリスティックな叙景を意識して読むことになる。

あるいは、並列・時間経過。
語り手の意識における、因果関係をもたない2つの事象の時間的な関係を「~して、そして、」と示した、とも読める。
この場合は、語り手の意識体験をフォーカスして読むことになる。

二つの「て」の解釈は、つまるところは表裏一体のものということになるだろうけれど。

☆☆☆☆
水銀の光は、それほど輝かしくない、鈍い光だ。
だから、雨の日の空を映した遠くの海が一つの塊として見えるとき、詩的な誇張はあれ、それは「水銀の如き光に」と言われ得るだろう。

そして、語り手はレインコートを着る。
レインコートが光沢あるものならば、水銀の「光」と照応する、と思ったが、
昭和20年代の服飾についての資料がないので、どのようなレインコートかは、私にとって明確ではないのだった。

☆☆☆☆☆
たぶん、このレインコートはゴム引き防水コートのようなもので、表地は布、たぶん、それほど光ってはいないのではないだろうか。

「水銀の如き光」という詩的な見なしにより、瞬間に海は暗い輝きとして荘厳された。
一方、それを見「て」、語り手自身は、「レインコート」を纏う。
おそらくそれはこれから、雨をふくんで、さらに暗く、くすんでいくことになるのかもしれない。レインコートを着るのは、雨を避けるという日常的な有用性による。
それは詩的な荘厳とは、遠い場所に位置する。

そうすると、初句「水銀」と結句「部屋の中」体言止めの距離は、一瞬暗い輝きを共有しつつ、また遂につながることのない、海と語り手との距離を暗示すると思う。
「て」字の曖昧さは、因果関係をもたない時間的な並列として、この距離感を的確に表現していることになる。

「部屋の中」はすなわち、水銀の如き光の消滅なのだろう。
古雑誌を本棚から取り出してみたら、それは短歌研究2012年2月号で、
雪舟えま「おねしょの中で」という20首歌が強く印象にのこった。
その中でなんか記憶に残ったのが、この歌。

連作には、
コンロの火青くて素直この部屋で飼えない犬の代わりのように

とか、古典的なまでに綺麗な歌もあるけど、なんでまたこの「うずら卵」に惹きつけられたのかは、自分でもまだわからない。
何か、じわじわくるヘンな感じがあるからと思うが、よくわからない。
それは、今から、後付けで考える。


うずら卵で滋養つけよと逆光のなかのあなたは自営の人か
うずらたまごで/じようつけよと/ぎゃっこうの/なかのあなたは/じえいのひとか

「うずら卵で滋養をつけよと私に言う、逆光の中のあなたは、自営業の人なのか」。
どのような根拠で語り手は、うずら卵を勧める人物は「自営の人」である蓋然性が高いと判断しているのか。

いきなり初句二句「うずら卵で滋養つけよと」が文語短歌的だし、なんか昭和の女性の生活詠かと思う上句。下句の意味の上での不安定さと相まって、非常にヘンなのだけど。

ぶっちゃけよくわからないなりに、とりあえず考えつくのは、
この「うずら卵」、健康食品みたいのだと思う。たぶん。
それを、知人に勧められている場面なのだと思う。
そして友人は健康食品マニアというより、そういう食品のセールスを副業としており、語り手にそれを勧めているのだと思う。そうだとすると「自営の人か」がわかるような。

また、滋養をつけよ、という命令は、女性の身体が社会的なものとして現れる状況、というコンテクストを想起させるわけですが、その命令文は、下句の、ほとんど、問いとして意味をなさない問いと対比されている。脱力した下句は、「力なさ」の強度において、上句の産めよ殖やせよ殖産興業、的な(?)力と拮抗している、ように思った。

うずら卵で滋養つけよと「逆光の」って続くわけだけど、「逆光の」と言われれば、脊髄反射で

医師は安楽死を語れども逆光の自転車屋の宙吊りの自転車 塚本邦雄
いしはあんらく/しをかたれども/ぎゃっこうの/じてんしゃやのちゅう/づりのじてんしゃ
を思い出し、そういや、初句七や下句の句跨がりも、50年代前衛短歌を思わせる。

塚本の歌は「生きさせられてる」感覚の象徴として、
「逆光の」中の、骨格しかもたない自転車のシルエットを描いてる。
この自転車には、マルセル・デュシャンの作品とかの面影付けもあるんでしょう。
宙づりにされ、車輪が地を蹴ることのない自転車を、ある種の惨劇としてイメージしている訳で、上句は下句のイメージを散文的に説明しただけとも言えるが。

それで「うずら卵」。
とりあえず、「逆光」というのは、ものの輪郭を強く際立たせ、その表情を黒く消去する、極めて劇的なイメージを喚起することば。
「うずら卵で滋養つけよと」と「逆光の」の劇性のあいだには、塚本の歌以上に、ものすごい詩的な跳躍がある。
「滋養をつけよ」といってくる人は語り手の知人なのかもしれないけど、今、個体としての顔を持たないシルエットとして、語り手の前にいる。
知っていたはずの誰かが「自営の人」として現れる瞬間。

おまけにも一回、デュシャンをもってくれば、「自営の人か」は『大ガラス』の中の、制服になった人間なんかに通じるイメージかもしれない。
NHKドラマ『あまちゃん』挿入歌、小泉今日子の歌う『潮騒のメモリー』がオリコンチャート入り。
それでその作曲者が大友良英、Sachiko M、ドびっくりです。

だって、映画音楽の作曲家でもある大友良英はともかく、Sachiko Mはサイン波だけを素材に演奏する音楽家で、そんな人が歌謡曲のオマージュを作曲してヒット。しかも小泉今日子。

■■
大友良英は高柳昌行に師事、だからもともとはポスト・フリージャズ、デレク・ベイリーなんかの系譜につらなる即興演奏家の血筋、といえるかも。

大友が初期音源集"We Insist?"以来展開してた音楽は、ターンテーブルやサンプラーによるコラージュやリミックスを生の即興演奏と混ぜ合わせた、いわば、音楽の「解釈」についての音楽、みたいな感じだったと思う。

また、そういうコラージュをパンク的な速度感で繰り出すことも特徴で、即興演奏をゲージュツ的な停滞とか、ある種のジャズのエゴセントリックな表現のあり方から解放してみよう、というコンセプトもあったのかも。

たしか香港のレーベルから出てた"We Insist?"。 テレビCMのサンプリングは古くなったかもしれないけど、今聞いてもかっこいいと思う。
入手困難かもしれないけど。
いきなりアジア圏での活動が多かったんですよね。
映画『青い凧』のサントラとか。

■■■
それでコラージュ的な音楽、ジョン・ゾーンやクリスチャン・マークレー(ターンテーブル奏者、ヴィジュアル・アーティスト)、ジョン・オズワルド(剽窃音楽plunderphonics すっごいヒドいサンプリング作品で知られる)なんかと近い方向性だと思われた。
90年代ごろ、高校生のわたしは、そんなんばっか聞いてました。

でも当時、大友良英たちが、欧米のそうした音楽家と違うと思ったのは、
欧米の実験音楽家は、やっぱ、西洋的な、コンポーザーだったり、アーティスト、
っていう感じで。つまり表現にはまずゴリゴリに理論がある。

大友良英はもっと生粋の即興演奏家、即興してみて、その中で何かを発見するタイプの音楽家、という感じがしてた。
日本の音楽家は、やっぱどこか日本的というか。武満徹とか思い出すんだけど。
ぶっちゃけガキンチョの私は「ゼンエイ的な芸術」には、すごい斬新で、むずかしい理論とかがないといけないのだ、とか、純真に、思いこんでました。

「前衛」というのが今あるとすれば、それは単に、表現における、ある固有の場所を発見すること、とかいうことなんでしょうけど。

作曲/即興って、ものすごく図式的な言い方ですが、思い出すのが『アヴァン・ミュージック・ガイド』(柴俊一編,作品社,1999)。いい本だった。
ギタリストのヘンリー・カイザーがカール・ストーン(作曲家ですが)に、「作曲家であることは、即興演奏家であることより犯罪的な感じがしちゃう」とかいう冗談を語ってたりして。すぐに「カール、君はちがうけどね!」とか言ってて、おかしい。

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このころ日本でもポップ・アバンギャルドな感じの音楽がおもしろかった。
ホッピー神山のGod Mountainレーベル、ティポグラフィカが有名。
あと勝井祐二と鬼怒無月の「まぼろしの世界」レーベルとか。
Bondage Fruitの1stが好きだった。『ギロチン兄弟』という、全く意味のわからないCDも印象に残っている。
ROVOとかDCPRGとかも、そういう流れから出てきたわけです。

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いっぽう、卓越した即興演奏家集団だったGround Zeroの中で、プロの楽器奏者としてのバックグラウンドを持たないSachiko M。
劇団燐光群の音響担当を経て、大友良英Ground Zeroに参加。
後期Ground Zeroでは、サンプラーをサンプリング素材のトリガーとして使うことをやめ、サイン波だけを素材に演奏するようになった。

なんというか、これは、相当ぶれない精神がないと出来ないと思うんだけど。

楽音の音色は多くの倍音の組み合わせと、それらのダイナミクスで成り立ってる。
それでサイン波は、倍音をもたないもっとも単純な音。
なんか、耳鳴りで聞こえる音に似た感じの音です。
だから、常識的にいえば、音楽表現上、もっとも貧しい音といえる。
ものすごく慎ましい音だけど、
ものすごく耳障りな音でもある。
そういう音が生演奏のアンサンブルの中に聞こえることで、演奏そのものが異化されて聞こえるわけですね。

楽器が上手いプロの音楽家の集団即興演奏、どうしてもフィジカルに盛り上がってしまうから、それはそれで良い音楽だとしても、また一面では、どっかでやったことの繰り返しだったり、エゴの張り合いになったりもする。
そこで、即興演奏における、演奏の主体性とは別の回路として、「聴取」というのが出てきた、と。

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時系列や因果関係は正確じゃないかもだけど、
これはGround Zeroが完成しつくしたと感じていた大友良英に多大な影響を与えたようで、大友良英は次第に音楽を「聴くこと」をフォーカスした音楽に移行、
また一方で、ルーツであるジャズや昔の歌謡曲を再解釈する仕事というのがはじまり。

その後の音楽活動もまた多岐に渡るけど、東日本大震災(大友は福島県出身)の体験を経て(プロジェクトFUKUSHIMA!「ええじゃないか音頭」は感動した)、
「あまちゃん」にいたる、というところで、拙文おわり。

ビールをまだ飲んでないのに、とりとめのない文章。

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「歌合」というのは、和歌の紅白歌合戦(変な喩え)。
歌人が左右2チームに分かれ、一首ずつ歌を提出、その優劣を競うというもの。
判定の前に各チームのメンバーが、
(無理にでも)相手チームの歌の欠点を指摘し、(無理にでも)自チームの歌のすばらしさを讃える議論があって、それから判者(審判)が加判する。そういう遊び。
この議論がおもしろいところで、王朝時代には、この歌合の議論から歌論というのも発展してきた。

この歌合は主催は小説家の小林恭二、判者に詩人・俳人の高橋睦郎を迎え、世代も歌風もまちまちの当代歌人が一同に会した歌合。
三十一文字の短いテクストを如何に多様に読むか、というところが見どころ。

印象に残ったのは、

水原紫苑
パラシュートひらきし刹那わが顔のステンドグラス荒天に見ゆ
常識的には、語り手が地上から見上げた景として読むだろうけど、語り手がパラシュートで降下しているのではないか、はたまた、地上に居ながら同時に空から見てもいるのではないか、というような議論にもなる。

歌の中では、居合わせた全歌人が驚嘆したという大滝和子「家々に釘の芽しずみ~」が白眉だと思った、引用は、もったいないので、やめておこう。


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ビールとヤキトリを手にご機嫌で書いてるので、何を書いてるのかもはやよくわからず。

源氏物語って、定子と一条帝の悲劇を連想させるところがありますが。
道隆・定子・伊周、つまり道長一門にほろぼされた側で。
しかしながら、紫式部は彰子の女房で、道長の妻源倫子の遠縁、道長周辺の人で。源氏物語のある種の政治性(あるいは非政治性)というのは、当時の貴族にどう読まれていたんだろう。道長も愛読者だった訳ですが、どう思ってたんだろうか?
道長という人は、よく知らないけど、何だかタヌキのような人で、でも人間的なお茶目なところもあって、また、そういう隙を人に見せるのも上手い人、という勝手なイメージがあるんだが。食えないオヤジ?

行成『権記』、一条帝の崩御の予言を見た道長が思いっきり号泣、
それが近くにいる一条帝の耳に入って病状が一気に悪化、とかさ。
このおっさんは、わざとやってんのか、なんなのか。
紫式部日記さらっと見て思ったのは、この人は詩人ではなく、散文の人だということ。
紫式部は没落した歌の家の出で。
身分の高い貴族女性は基本的には人目にふれないものですから、女房として出仕することは、華やかではあるけれど、「品がない」という見方も存在した。
紫式部にとって、(少なくともはじめは)女房になったということは、わりと絶望的な境遇だった。

また、紫式部は、彰子サロンに知性を導入すべく道長たちに送り込まれた存在。
やたら道長が紫式部の機知を抜き打ちテストして、「うむ見事だ」とかご機嫌になってる描写があるが。
『尊卑文脈』で式部が道長の妾という記述があるとかいうことはともかく、日記で見る限りはそういう感じはない。

知性でならした定子サロンの教養にだって、ツッコミを入れちゃうような人だったわけで、いろんな意味で、宮中という世界では異分子なわけですな。
清少納言や「日本紀の局」というあだ名に文句言ってるのも、あくまで後宮の優雅なあそびである「漢詩文の教養ゲーム」と自分がゴツく知ってる「本当の漢詩文の教養」とのギャップに、イラっときたからかもしれません。

前半はそういう距離感のフィルターを通して、道長・彰子周辺の人々の様子が活写される。
「源氏物語」成立に関する記述もおもしろい。
家で書きためてた「源氏物語」、道長により、彰子サロン女子力アップのための重要アイテムとみなされた節が。
いろいろおもしろい記述があるなかで、個人的ヒット。実資と紫式部 in 宴会。
紫式部が宴席で、『小右記』でしられる反骨のカタブツ、藤原実資を発見。
実資は女房の服装が過度に華美じゃないか、チェックしてます。
内向的な観察者・式部と「賢人右府」実資。
あきらかに、パーティで所在なげにしてそうな二人で、けっこう、気があいそうです。

そんでそれを見た、紫式部は「どうせ自分のことなんか知らないだろうし、宴会だし、いいか」と実資に話しかけます。紫式部は実資の謹厳な雰囲気に好感をもったようです。
傑作なのがその後の、実資が、自分の芸の番が近づいて、ちょっと落ち着かない様子だった、って描写。宴会芸とか苦手なんですな。

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新古今和歌集時代の概説書。読みやすく、おもしろい。
新古今なら、まずこれ一冊、という本かも知れず。

たとえば後鳥羽院の苛烈さを示すエピソード。
・新米歌人を集め、実力試験を開催。
・歌合の判者(審判)を複数人にして互いに競わせる
・泳げない人を川に投げ込み無理矢理泳がせる(後鳥羽院はスポーツ万能だった)
・後鳥羽院歌壇で否定された六条藤家を「嘲笑するため」歌を詠進させる
(「いい歌もあった」という感想、定家を意識して「咲う」といったのかもしれないが)
強烈な性格と才能、野心をもったこういう王様がボスなのだから、新古今集は普通の勅撰集を超えたものにならざるをえなかった。戦々恐々。

承久の乱を巡る激動のあと、袂を分かった定家と後鳥羽院それぞれの和歌観の深まりや、「新勅撰」周辺も紹介しつつ、最後の「終焉と最終章」は、二条家において後鳥羽院と定家の血統が結ばれた事実を紹介して、閉じられる。
まるで長い物語を読み終えたような気分にさせられる、素晴らしい構成だと思う。

新古今の代表的歌人の動向はもちろん、後鳥羽院歌壇で不遇だった人たちにもスポットライトがあてられ、新古今時代が立体的に理解されてくるようです。


新古今集 後鳥羽院と定家の時代 (角川選書)/田渕 句美子
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「百人一首」(「百人秀歌」)はもともと障子に張る色紙として書かれたということです。
それで、いったい障子歌というのは具体的にどういうものなのか、勉強してみようと買った本。

多くのアーティストの力を結集した、絵屏や障子などの調度は、とうぜん権勢の象徴として意図されています。藤原道長女彰子の入内に際して詠進された屏風歌などは、有名です。そもそも勅撰集、ひいては王朝和歌自体が、ある程度権力と結びついたアートなのですし。

書名を見ると、そんな、王朝における権力と芸術の関係を論じた本のようですが、そうでもない。むしろ屏風歌・障子歌というテキストの読解が中心であるように思った。
たとえば紀貫之などの多くの和歌が「屏風歌」というメディアの構成要素として詠まれているということ。なるほど和歌を読む上で大事なことだなあと思った。

実際の屏風・障子の作例の詳細な分析もあります。(宴席における屏風の配置の図なども)
たとえば、後鳥羽院主催の、俊成九十賀における屏風歌における、新古今歌人たちの表現方法の分析など、非常におもしろく勉強になりました。


歌が権力の象徴になるとき 屏風歌・障子歌の世界 (角川叢書)/渡邉 裕美子
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むかしの和歌に関心があるけど、風雅和歌集より後~近代短歌以前、は、
ちょと苦手な感じの歌が多く、まだあんまりよくしらない。
ちゃんと読めば、きっと素晴らしい歌がたくさんあるのでしょうけど。

江戸時代の和歌の詠み方とか、ちらほら読むと、フラットな感じで、割と苦手なんですよ。良寛さんとか橘曙覧「楽しみは」とか、徹底して日常的なことばでうたってるのは、好きだけど。
なんか、花鳥風月をただ並べて、優雅で観照的な、起きてるのか寝てるのかわからない感じが、イヤ。

「詞」と「心」っていう伝統的な歌論のタームがありますが、王朝が元気だったころの和歌の「心」って、時にけっこう激しいものもあった。在原業平とか和泉式部とか式子内親王とか。激しすぎて時に破綻したりするんだけど。そういうのが好きですね。
それで結局王朝和歌を読んでると、「その人」の生きた痕跡、を読むようなことにもなってしまう。

☆☆☆
丸谷才一や岡野弘彦などは、大正天皇の歌を激賞していたそうです。
大正天皇の歌はほとんどしらないけど、大正っぽい、という印象。当たり前だが。

 池の面にしだり柳のかげみえて水の緑も深くなりぬる
こういう叙景歌は、新古今や玉葉集と続けて読むと、あまりにフラットすぎるのでは、とか思ったり。

 かげろふのもゆる野路をわが行けば小草の花に蝶もあそべり
「蝶も遊べり」、むしろ漢詩を好んだという大正帝、これ漢詩の措辞ですよね。
もともとゆるい「やまとうた」でこういう擬人法は、かなりのゆるキャラになってしまって上手く機能しない。しかしキュートな歌だ。

でも、小さきものを愛する人だったんだろうな、ということは伝わる。
折口信夫が和歌について言うような「意味がほとんどないが、なんとなくいい感じ」でうたってる。それがたぶん丸谷才一や岡野弘彦が讃える理由なのかも。

☆☆☆
それでこの
 神まつるわが白妙の袖の上にかつうすれ行くみあかしのかげ
 かみまつる/わがしろたえの/そでのへに/かつうすれゆく/みあかしのかげ

いわゆる暗愚の帝だったという説は、この歌を見る限り、あり得ないと思う。
関係ないけど「狂気の暴君」(15歳なのに?)として譲位さえられた、陽成院の歌も、いい。
 筑波嶺の峰より落つるみなの川恋ぞつもりて淵となりぬる

大正天皇の歌、特にこの歌の感覚の感覚はおそろしいほどフラジャイル fragileで、
完璧な「近代の皇帝」だった明治天皇の後継者に期待されていたものとは、
あまりに違いすぎていたんでしょう。鎌倉右大臣実朝を思いだしたり。

それでその「間違っていること」は詩人の属性かもしれず、その間違い方に、ある種の愛おしさを感じる。

☆☆☆
宮中儀礼や歌の背景はよくしらないから、間違うかもしれないけど、勉強しながら、読んでみる。

「社頭暁」という題のあるこの歌、大正10年(1921)、生前最後の御製、新嘗祭の歌とされているようです。
社頭とは社殿の前。社殿とは神域内の建造物。
この年11月25日、大正8年(1919)あたりからの病の悪化を受けて、裕仁親王が摂政となり、大正天皇は事実上の退位。大正15年(1926)薨去。

「神まつる」新嘗祭。古代の収穫祭。11月23日。「神まつるわが」、祭祀王だけが読める措辞ですな。
皇居の神嘉殿で午後6~8時に「夕の儀」、夜11~午前1時に「暁の儀」を行うということなので、たぶん後者なんだと思う。
「白妙の」は衣とか袖とかの枕詞。 新嘗祭で天皇は純白の「御祭服」を着るというから、ここでは「白い衣」の実景のよう。

「袖」王朝和歌では「袖」は、涙に濡れる描写に使われるけど、ここでは、
秋田刈る仮庵を作り我が居れば衣手寒く露ぞ置きにける(万葉巻十)
秋の田の仮庵のいほの苫を粗み我が衣手は露に濡れつつ(後撰集秋中「天智天皇御製」)
などが意識されているのでしょう。
「かつ」同時に、次々に。「かつ薄れ行く」の音調の張りが素晴らしい。
「みあかし」は御灯し。
「かげ」は、光。

ということで、「一晩中、神に感謝して、我が国の平安を祈ったことだ」というのが、「正しい」解釈だと思います。

ところで、「あかし」は漢字で書けば「灯火」ですが、「証し」でもあり、
どちらも、やまとことばとしては同語源、同一のことばですよね。
だから、「わが袖の上より、み証しが薄れ行く」、という読みも、ありえますね。

もし「薄れ行くみ証し」と読んだならば、それはどのような事態なのでしょうか。
それは、譲位のことかもしれず、あるいは自身の生命のことかもしれません。
我が上に、うすれ行く恩寵。とかいうと、passion playめいてきますが。

しかし、そこまで深読みせずとも、
白い衣とその上の、光と影のゆらめき、白に白を重ねた微妙な配合、
かつ「うすれて行く」、時間推移による色彩変化。
明治天皇の歌を考え合わせてみると、このあまりに小さくかそかな感覚っていうのは、あまりに...
またそれも詩人の魂に映じた、明治と昭和にはさまれた小さな一時代の映像なのかもしれず。

戦争の20世紀に、巨きなものではなく、小さきものを詠いつづけ、そして暗愚の帝と呼ばれるようになった、一人の詩人王の生命、個人的には、そういうところに惹かれます。
ゆく秋の川びんびんと冷え緊まる夕岸を行き鎮めがたきぞ/佐佐木幸綱

石川信雄『cinema シネマ』(1936)(復刻、ながらみ書房)が復刻されてた。
装丁、かっこよし。
手持ちなく、買えず(別に高くない、1500円ナリ)。
筑摩書房『現代短歌全集』(7巻)で持ってるが、単独の歌集で読む方が楽しい。

『現代短歌全集』、古書だと全15巻揃でもけっこう安いと思うが、明治から昭和の重要な歌集が揃っててお得だと思う。
塚本邦雄や山中智恵子の師、前川佐美雄『植物祭』とか。20~30年代モダニズム短歌の時代ですね。

ひじやうなる白痴の僕は自転車屋にかうもり傘を修繕にやる 前川佐美雄
しかし、こういう歌と現在のある種の口語短歌って、あんま変わらないという気もする。

その復刻版『シネマ』の帯は佐佐木幸綱が書いていた。
岩波文庫で古典読むとお世話になる、国文学者佐佐木信綱の孫。
口語まじり文語の韻律で現代的な風俗をかっこよく読む、という意味で、現代口語短歌の大きな源流の一つになった人だと思う。
弟子である『サラダ記念日』の俵万智も、やっぱりそういう流れを受け継いだ古典的な歌人だと思う。

「ゆく秋の川びんびんと冷え緊まる夕岸を行き鎮めがたきぞ」という歌、

思ひかね妹がり行けば冬の夜の河風寒み千鳥鳴くなり 紀貫之(拾遺和歌集)
 恋しさに、恋人の元に冬の夜を急げば、河風の厳しさに、千鳥が寂しげに鳴いている。
の口語訳の試み、かと思う。紀貫之、「人はいさ」とか『土佐日記』のウィットとは違った男性的なリリシズムのうた。

古今集時代の和歌は「理知的な作風」と言われるけど、ここではそれを肉体的なものに読み替えているわけだ。
短歌は俺たちにとって、かっこいいはずだ!という。

かっこいい一首であり、そして特に本歌とかいわなくても、遡って、なんか和歌とかかっこいい、とも思わせるような歌ですね。
すごいtour de forceといえるんじゃないでしょうか。

サキサキとセロリ噛みいてあどけなき汝を愛する理由はいらず
父として幼き者は見上げ居りねがわくは金色の獅子とうつれよ

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